太田述正コラム#6082(2013.3.13)
<映画評論37:ゼロ・ダーク・サーティ(その1)>(2013.6.28公開)
1 始めに
映画館で鑑賞してから、随分時間が経ってしまいましたが、2011年5月のオサマ・ビンラディンの隠れ家襲撃事件とそれに至る顛末を描いた、キャスリン・アン・ビグロー(Kathryn Bigelow)
A:http://en.wikipedia.org/wiki/Kathryn_Bigelow
監督の映画『ゼロ・ダーク・サーティ(Zero Dark Thirty)』
B:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BC%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3
C:http://en.wikipedia.org/wiki/Zero_Dark_Thirty
の映画評論をお届けします。
まず、史実を押さえてから、拷問とフェミニズム・・監督も主演も女性・・という二つの論点に焦点を絞って論じたいと思います。
2 史実
ハーヴァード大ケネディ行政大学院教授のグレアム・アリソン(Graham Allison。1940年~)(注1)によるところの、昨年5月に上梓された、上記襲撃事件を総括するコラムのさわりは次のとおりです。
(注1)彼の1971年の「「合理モデル」・「組織過程モデル」・「政府内(官僚)政治モデル」の3つのモデルでキューバ危機を分析した『決定の本質』は対外政策決定論の必読文献として有名であり、」私も1974~76年のスタンフォード大留学時にビジネススクールで読まされたものだ。なお、彼は、「クリントン政権期に国防総省スタッフとして、ウクライナ、ベラルーシ、カザフスタンの核兵器廃棄政策にも携わっ<ている>。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%BD%E3%83%B3
(襲撃後に報道済の内容が多いですし、そもそも、このコラムそのものが訳されて報じられている可能性がありますが、復習を兼ねる、ということで・・。)
「オバマ<大統領が、>彼の新しいCIA長官のレオン・パネッタに2009年に命じたのは、「アルカーイダに対する戦争の「一番の優先順位をオサマ・ビンラディンの殺害ないし捕縛にすること」だった。・・・
<しかし、>米国が行動を起こす24時間前まで、国家安全保障会議(NSC)のメンバーの過半はこの作戦にまだ気付いていなかった<というほど、秘密は厳守された。>・・・ <なお、>このビンラディン作戦は、CIAと統合特殊作戦軍(JSOC)が同じベッドで10年間にわたって一緒に過ごしていなければ、実行不可能だっただろう。・・・
この作戦の前に開かれた最後の会合で、大統領は採決した。
国家安全保障チーム中の最も経験豊富なメンバーである、ロバート・ゲーツ国防長官は、コマンドを地上に投入すれば、彼らが捕虜になったり殺されたりする危険性があるという見解を再度述べ、この襲撃に反対した。
ジョー・バイデン副大統領も、行動に移すことは待つことに比べてリスクは大きく便益は小さいと感じていた。
<比較的>最初から関与していて、最も濃密に参画して来た役人であるところの、米軍の指導者たるジェームス・カートライト(James Cartwright)統合参謀本部副議長は、地上に要員を送り込むよりも空爆の方を好んだ。・・・
<隠れ家らしきものが浮上した2010年の>8月から12月までは、大統領の特別指示により、<大統領、ドニロン(Donilon)安全保障担当補佐官、そして副大統領を含む>ホワイトハウスの6人だけが<CIAのパネッタ長官とモレル副長官によって支援される形で>本件に関与した。
その頃までは、パネッタとモレルは、少数であり殆んど話題に上ったことのなかったところの、CIAの準軍事要員達の一団をこの襲撃にあてようと考えていた。
しかし、その冬に彼らが諸選択肢を検討していた際、CIAの<スタッフから>隠れ家襲撃計画を聴取した後に、モレルはパネッタに向かって「プロに入ってもらう時が来た」と語りかけた。
CIAに強烈な忠誠心を抱くところの、CIAキャリア官僚たる彼にとって、これは痛みを伴ったけれど現実的な判断だった。
それまでの10年間を通じ、モレルは、米軍がこの種の作戦についての独特の能力を発展させてきたことを知っていたのだ。
こうして、ホワイトハウスの了承の下、関与者は拡大され、二人の、ただしわずか二人の、追加的当事者が加えられた。
どちらもオバマのお好みであったところの、マクラヴェン(McRavwen)<統合特殊作戦軍司令官>とカートライト統合参謀本部副議長だ。
この時点で、関与者にカートライトの上官であるマイク・ミュレン(Mike Mullen)統合参謀本部議長も、ヒラリー・クリントン国務長官も、そしてゲーツ国防長官でさえも、入っていなかった。
この作戦のために必要な予算を流用し、かつその合法性を確保するため、パネッタは、米議会上下院の諜報委員会の指導者達に、この段階におけるこの任務の概括的な考え方を打ち明けた。
その6週間後に、ドニロンはパネッタのこうした動きを知って、驚愕した。
大統領の頭の中では、ビンラディンを殺害する4つの選択肢は、すぐに、3つに、そして2つに減った。
オバマが<2011年の>1月末に諸選択肢を初めて調べた時、パキスタンとの共同作戦はすぐに一覧の中から落とされた。・・・
その数週間後、オバマは、ヘルファイアー・ミサイルを用いるプレデター<無人機>計画をお蔵入りにした。・・・
<その理由だが、第一に、このミサイルに搭載される>500ポンド爆弾群でもって確実に<ビンラディンを>殺すことができるか、彼は疑問を抱いた。
第二に、遺体群の検証にパキスタンが協力するとは考えられない以上、米国として、まさに彼を殺したかどうかをどうやって知るのか。
仮にパキスタンがしらばくれて、米国が無辜の一般住民達を殺したと非難し、アルカーイダがビンラディンがまだ生きていると唱えた場合、そうではないことを米国はどうやって証明できるのか。
第三に、プレデターによる爆撃をすることは、米国は、アルカーイダを片付けるにあたって貴重なものとなるであろうところの、証拠を邸内で獲得する機会を失うであろうことを意味する。
同様の議論により、オバマは、B-2による邸内の爆撃に首を傾げるに至った。
カートライトは、B-2航空隊の司令と直に作業をして、標的に対して32個の2000ポンド爆弾を落とすことを求める選択肢を作り上げた。
こうすれば、ビンラディンは地下トンネル<があったとしても、そこ>から逃げることができないことは間違いないけれど、彼と一緒に住んでいる約20人にのぼる女性達と子供達、それに(可能性として)近所の家々の住民までも殺してしまうだろう。・・・
・・・<それにしても、>イラクの大量破壊兵器に関する状況証拠の方が、アボタバード(Abbottabad)の男がビンラディンであるということに関する状況証拠よりもまだ強力なものだった<ものの、こうして、次第に選択肢は、ヘリでコマンドを送り込むものへと絞り込まれて行った。>
しかし、仮にパキスタンが、米軍部隊を、彼らが、<現地に>向かう途中で、あるいは<到着した後に>地上で、発見し、捕虜にしたら?
ヘリが壊れたら?
4月19日の会議でオバマがこれらの質問を提起した時、マクラヴェンは、<一笑に付したが、ゲーツがカーター政権の時のイランの米大使館人質救出作戦でヘリコプターが壊れた時の話をしたので、>オバマは、現地で<コマンド>が発見されてパキスタン軍に囲まれた場合でも「戦って脱出する」ことができるよう、予備のSEALs24人を乗せたチヌーク・ヘリコプター2機を計画に含めるよう、最終計画を膨らませた。・・・
Dデー前一週間を切った4月25日に、ウィキリークスのグアンタナモ・ファイルがNYタイムスの一面を飾り、更にウェッブ上に掲げられた。
資料群のうちの一つは、CIAがビンラディンの飛脚(courier)の素性を知り、かつアボタバードをアルカーイダの避難地の一つとして指し示したところの、一人の個人の尋問に由来したものだった。
CIAの尋問者達は、この要員(operative)が、2003年央に、ビンラーディンの「指定した飛脚」からの、ビンラディンの「公式伝令(messenger)」になるよう促す手紙を受け取った後、アボタバードに移ったことを記していた。
ビンラディンの保護者達が<このNY>タイムス<の記事>を念入りに読めば、米国がこの飛脚の素性を知ったことを推測し、SEALsが到着した時にはこの家はもぬけの殻になっている可能性がありえた。
4月28日に、<ホワイトハウスの>シチュエーション・ルーム(Situation Room)で<上述の>最後の会議が開かれた。・・・
<上述したように、>ゲーツとバイデンは反対票を投じた。
<しかし、>翌朝、外交接受室での短い会議において、オバマは、ドニロン<らに>「結論は決行だ(It’s a go)。」と伝えた。
この時点で、関与者が<更に>拡大された。
エリック・ホルダー司法長官、ジャネット・ナポリターノ国内安全長官、ロバート・ミュエラーFBI長官<等>にこの目前に迫った襲撃のことが伝えられたのだ。・・・
<襲撃の結果はご存知のとおりだ。>
<以下、結論だが、>第一に、この事例は、米国政府は異常な状況下で異常な<までに見事な>行動をとる能力があることを示した。・・・
第二に、しばしば、秘密<保全>は重要である、ということだ。・・・
第三に、秘密<保全>にはコストが伴うということだ。・・・
仮に米国が自分達の国<であるパキスタン>に黙って入って急襲を行い、ビンラディンを連れ去る能力も意思もあるのだとすれば、将来、自分達の核兵器群を奪取することだってできるのではないか?
(アボタバードがパキスタンの核兵器貯蔵場所でもあることは殆んど知られていない事実だ。)・・・
・・・この襲撃で奪取されたものを念入りに調べた結果、分かった残酷な事実は、パキスタンの軍と諜報の階統制の中のただの一人でさえ、ビンラディンの居所を見つけていたことを示唆する証拠は皆無だったということだ。
これにより、我々は、パキスタンの軍や諜報の指導部が米国が最も追い求めていた男が自分達の国で生活をしていたことを知らなかったという、更におぞましい可能性を考慮することを強いられた。
パキスタンの国境内でビンラディンが6年間も住んでいて、3人の妻と5回も引っ越しをし、4人もの子供をなした・・<しかも、>そのうち2人は地域の病院で生まれている・・ことに気付かなかった国が、同時に、約100個もの核爆弾のコントロールをしている国でもあるというようなことがありうるのだろうか?
ありえないように見えるけれど、これまでの証拠は、まさにそうであったことを示唆している。・・・」
http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,2113156,00.html
(3月12日アクセス)
(続く)
映画評論37:ゼロ・ダーク・サーティ(その1)
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