太田述正コラム#6313(2013.7.7)
<皆さんとディスカッション(続x1953)>
<太田>(ツイッターより)
 「集団的自衛権の行使容認には「断固反対」 山口・公明党代表…」
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130706/plc13070621280010-n1.htm
 自民党「タカ」派の期待に応え、弱体化した自民党「ハト」派の代わりを見事に演じる公明党。
 いつまで日本の「右」の人々は自民党「タカ」派に騙されたフリを続けるつもりなんだ?
<Ckk87GpG0>(「たった一人の反乱」より)
  私は、ごく一般的な悟りの定義(輪廻の迷いからの解脱といったことはwikipediaにも載っていることです)の要件を満たしていないのに、それで悟りを語り完結してしまうことに対しての指摘をしているだけですので、その点でブレているつもりはありません。
 そして最初から、「一切の執着の滅却」でも「解脱」でもいいですが、(瞑想/座禅の効能による)一時的なものとしては語っていません。
 悟りですから、また迷いが生じるようではそれを悟ったとは言わないからです。
 単に瞑想/座禅の(最新の科学的な)効能くらいは宮崎・呉両氏だって百も承知でしょう。
 しかし、その効能だけで悟りのすべてを説明できるとはまさか思っていないでしょう。
 その効能だけで悟りを語っていたのが太田さんなのですよ。
 瞑想/座禅だけで無我の状態を一時的に作り出すことは仰るように、そんなに難しいことではないでしょう。
 しかしその無我の状態を恒久的・不変的に制御する能力(能力というのが正しいか分かりませんが)を得ることができるのかということが、悟りのキモのキモなわけです。
 そのキモを語らずして、瞑想/座禅で一時的に心身ともに変化することについてだけで、悟りのすべてを語っているのを見たら、おかしいと思いませんか?
<kNwItakM>(同上)
 <Ckk87GpG0クン、>あなたの考える「悟り」(別に一般的定義による悟りでもいいですが・・)とは、知識の一種(少なくとも現在の科学力では直接観測は不可能)なのでしょうか?
 それとも脳の状態の一種なのでしょうか?
 (太田さんは(少なくとも)脳の状態の一種として観測され得るもの、とお考えのようですが。)
 あるいは、「輪廻」だの何だの、特定の知識を得る(理解する)ことによる脳の状態の変化を「悟り」というのでしょうか?
 そうであるとおっしゃるのなら、特定の知識を得る(理解する)ことで脳の状態が変化するという事例をいくつか挙げて頂けると助かります。
>しかしその無我の状態を恒久的・不変的に制御する能力(能力というのが正しいか分かりませんが)を得ることができるのかということが、悟りのキモのキモなわけです。
 「その無我の状態」とは、「瞑想/座禅の(最新の科学的な)効能」を指し、つまりは脳の状態の変化として科学的に観測されたもの・され得るものを指す、と理解します。
 すなわち、あなたのいう「悟り」とは、科学的に観測され得るものなのですね?
<Eo26rLG40>(同上)
 <Ckk87GpG0クン、>「初期仏教等の「仏経典」に書かれてる、「悟り」に係ることが、釈迦本人が語ったことの痕跡が残っているものなのか、全面的に弟子達の創作なのか、定かじゃないが、大事なことは、それが誰のものであれ、「悟り」について語られ、書かれたものは、方便にすぎないってことだ。」(コラム#6305。太田)
 あなたは、オウム真理教の信者が「最終解脱者」と「太田さんの人間主義と悟りの考え方」に矛盾があると、ここに書き込んだらどう思います?あなた、それに近いことをやり始めている。
  「一般的な悟りの定義」であれ、あなたの言う「キモのキモ」であれ、「それらも”方便”に過ぎないのでは?」と一度考えてから再投稿することをお勧めします。
 もし、あなたにそれが出来ないのなら、あなたの「最終解脱」、もしくは、あなたの絶対状態としての「神」に太田さんも、ここの住人もこれ以上付き合う義務はないと考えます。
 (もちろん、付き合う付き合わないは、太田さんを含めた他の方の自由ですが。)
<太田>
 <Ckk87GpG0クン、>太田コラムでディスカッションに参加するつもりがあるのなら、少なくとも、常に典拠を援用するように心がけなきゃならないよ。
 キミは名前も経歴も明らかにしておらず、キミの発言に何の権威もない以上、一層典拠の援用が求められる。
 
 さて、たまたま、コラム#6297で、井筒俊彦が言及されていたが、井筒は、父親が「在家の禅修行者。坐禅や公案に親しんで育」ち、「旧制青山学院中学で・・・キリスト教に触れ」、慶応文学部在学中、「旧約聖書に関心を持ち、・・・ヘブライ語を習う。さらに、・・・アラビア語・・・を学<び、>・・・戦時中は軍部に駆り出されて中近東の要人を相手にアラビア語の通訳として活躍。保守思想家でイスラム研究者でもあった大川周明の依頼を受け、満鉄系の東亜経済調査局や回教圏研究所で膨大なアラビア語文献を読破し、イスラーム研究を本格化した」という人物だ。
 これらの経験、研究を踏まえ、井筒は、晩年、仏教研究に「回帰」し、「「東洋哲学覚書 意識の形而上学 -『大乗起信論』の哲学」を1992年に3回に分け「中央公論」に連載したが翌93年1月7日、就寝中の脳出血により78歳で急逝。遺著として1993年3月に中央公論社で出版された」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E7%AD%92%E4%BF%8A%E5%BD%A6
ところ、この遺著の183頁に次の一節がある。
 「・・・人は生あるかぎり、繰り返し繰り返し、「不覚」から「覚」へ戻っていかなくてはならない。「悟り」はただ一回だけの事件ではないのだ。「不覚」から「覚」へ、「覚」から「不覚」へ。そしてまた新しく「不覚」から「覚」へ・・・」
http://www18.ocn.ne.jp/~seoka/essays/kishinron/kishinron.htm#
 もとより、一旦悟ってもまた元の木阿弥になりうる、というこの井筒の仏教解釈は、大乗仏教の経典を踏まえたもののよう・・『大乗起信論』はその名の通り大乗の、しかもそ「の教義を要約した論書」・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%97%E8%B5%B7%E4%BF%A1%E8%AB%96
であるところ、井筒のような解釈をとらない大乗仏教研究者も存在する。
http://www18.ocn.ne.jp/~seoka/essays/kishinron/kishinron.htm# 前掲
 また、原始仏教ないし小乗仏教においてはどうなのかは私は知らない。
 いずれにせよ、昨日私が述べたように、小乗によ大乗にせよ、また、僧侶にせよ在家にせよ、生涯、一つないし複数の悟りの方法論の実行を繰り返す、という仏教界の実態と、この井筒の仏教解釈とは整合性がある、とボクは考える。
 ここで、kNwItakMクンの「脳の状態」として「科学的に観測」できる云々に係る話を、昨日引用した記事から紹介しよう。
 「<別の学者によるもう一つの実験結果によれば、>瞑想的諸技術に関する比較的短い訓練によってさえ、他の人々の嘆き(distress)を共感的に理解することに係る脳領域・・当該脳領域の反応度(responsiveness)が、その人の他の人々との一体感の度合い(degree of felt associations)に応じて調整(modulate)される・・の神経的機能(neural functioning)が変更(alter)されうるのだ。」
http://www.nytimes.com/2013/07/07/opinion/sunday/the-morality-of-meditation.html?ref=opinion&_r=0
 「神経的機能<の>変更」は、新しい神経回路の形成なのか休眠状態であった神経回路の再活性化なのか、また、それと脳内分泌される化学物質との関係がどうなのか、等までまだ分かっていないのではないかと思われるが、いずれにせよ、この「神経的機能<の>変更」が不可逆的なものである保証はない。
 新しい神経回路が形成されたり休眠状態の神経回路が再活性化されたりしたとしても、ほおっておけば、それが機能不全に陥ったり休眠状態に戻ったりする可能性はあるはずだ、と考える方が自然だろう。
 以上からすれば、悟りは不可逆的なものではない、ということにならざるをえないのではなかろうか。
 ところで、悟りへの方法論として瞑想/座禅は科学的根拠があることはほぼ明らかになったと言えそうだが、浄土系の念仏や日蓮系の題目についても、それらが悟りへの方法論なのかどうかの科学的検証を、誰か、願うべくは日本人の誰か、が行って欲しいもんだ。
 同じことを、芸術、とりわけ日本の仏教諸芸術・・声明、寺院建築、寺院庭園、華道、茶道、(また新しく挙げるけど)禅画・・についても言いたいねえ。
<Jm8WSbi.>(「たった一人の反乱(避難所)」より)
 太田説を地で行くアメリカ人女性発見。
 虫好きのアメリカ人女性が撮った虫好き大国日本『カブト東京』海外でのレビュー
http://asnyaro.blog129.fc2.com/blog-entry-432.html
 素顔ノ甲虫女王、現ハル!
http://mononoke.asablo.jp/blog/2010/06/20/5172136
 日本人の昆虫趣味は、世界でも特異らしい(笑)。
<0gL1B29.>(同上)
 ヨーロッパは、日本に比べて気候的に昆虫が圧倒的に少ないっていう理由もある気がするな。
http://asnyaro.blog129.fc2.com/blog-entry-905.html
 以下、和辻哲郎の『風土ー人間学的考察ー』から引用
 「自分はかつてベルリン近郊のグリューネワルドやワイマルに近いテリューリンガーワールドで、昆虫を探して歩いたことがあるが、下草のほとんどないこれらの林や森には、ついに一匹の蟻をさえ見いだすことができなかった。
 ただ一種の蛾が同じ方向に幾つも飛んで行くのをみたきりである。
 日本の夏山の無限に多い昆虫の営みに見慣れている眼には、初めはほとんど信ぜられないほどであった。」
 (和辻はもっと詳細にヨーロッパの昆虫が発生しにくい気候を紹介してるけど、引用が膨大になるので省く。
 重要なのは、当たり前かもだけどヨーロッパには日本人が想像するような形で自然が存在してなさそうだってこと)
 日本人の人間主義が風土と関係しているなら、日本の昆虫趣味も風土と関係してそうだな。
 そう考えると、人間主義(昆虫趣味含む)を育んできた日本の風土にも愛着がわく・・・わけねー。あちーし。虫コワー。
<AAx3ebwE>(同上)
 少々、意外な話 
 日本には木が多すぎる
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20130327/245731/?P=1
<太田>
 というか、かつては日本も(現在の朝鮮半島のように)はげ山だらけだったという点に、日本もかつてはその点では必ずしも人間主義的じゃあなかったということかなあってなもんで、この記事を紹介したと思ってたんだけど、過去コラムで見っけられなかたなあ。
 それでは、その他の記事の紹介です。
 案の定だが、ちゅうことは、ますます、初期に撃ち落とすイージス艦や直近で撃ち落とすパトリオット・ミサイルの役割が重要になってくるってことだな。↓
 「米軍MD試験、ミサイル迎撃失敗 08年以来成功なし・・・」
http://www.asahi.com/international/update/0706/TKY201307060227.html
 韓国の諜報機関は、かつては朴正熙大統領によって反体制派弾圧に活用された。(その長に同大統領は殺害された。)
 今度は、その娘たる大統領を同様の形で助けてるとさ。↓
 ・・・South Korea’s National Intelligence Service (NIS), which some analysts here say has turned into a political provocateur, using its power to champion conservative causes and widen a partisan divide.・・・
 Former authoritarian leader Park Chung-hee, who seized power in a 1961 military coup, used the agency as a tool to crack down on student protests. In 1979, Park was assassinated by his own spy chief.
 After South Korea’s democratization in the late-1980s, the agency officially became apolitical. But opponents say the agency is now helping Park Geun-hye in much the way it helped Park Chung-hee, her father.・・・
http://www.washingtonpost.com/world/asia_pacific/in-south-koreas-latest-controversies-spy-agency-takes-a-leading-role/2013/07/06/8b610c74-e3ca-11e2-aef3-339619eab080_print.html
 ミャンマーの仏教問題が取り上げられている。↓
 <(タイにおけると同様、)ミャンマーでは仏教徒たる男性の大部分は子供時代に短期間僧侶として過ごす。↓>
 ・・・In this highly traditional Buddhist country, the monkhood permeates everyday life, and most Buddhist men spend at least a short stint as a novice monk during their childhood.・・・
 <同国で、このところ、仏教徒によるイスラム教徒迫害が取り沙汰されている。
 はでばでしく報道されているが、それは圧倒的少数派の所業だ。↓>
 As deadly incidents have spread from long-volatile Rakhine state to parts of the country where Buddhists and Muslims have lived in relative harmony, some monks have taken part in the riots, according to media reports. But they appear to be a minority.・・・
 <しかし、イスラム教徒には、1960年代以降、市民権の一部が認められていない。↓>
 Muslims have not enjoyed full citizenship rights since the 1960s,・・・
 <また、イスラム教徒の男性と結婚する仏教徒の女性はイスラム教に改宗してはならないとする法律をつくれとの要求が一部からあがっている。↓>
 U Wirathu’s proposed marriage law seeks to prevent Buddhist women from converting to Islam when they marry Muslim men, drawing on concerns about forced conversions.・・・
 <非仏教徒の男性が仏教徒の女性と結婚する場合は仏教に改宗しなければならず、違反すれば10年の刑というのも要求に入っている。↓>
 ・・・including a section that would force non-Buddhist men to convert if they marry a Buddhist women, under threat of a 10-year jail sentence. ・・・
 <大統領はこの要求に対して立場を明らかにしていないが、アウンサン・スーチーは反対の意を表明した。↓>
 Thein Sein has not yet taken a public position on the proposal, but opposition leader and possible presidential contender Aung San Suu Kyi has weighed in against it. Suu Kyi has resisted international calls to more strongly condemn recent violence, however, saying she does not want to exacerbate the problem.
 <こういったことの背景には、ミャンマーが大国に周囲を囲まれていること、135もの民族を力で統合してきたことに由来する不安と恐れがある。↓>
 Some observers point to a complicated legacy of mistrust in a country that is surrounded by more powerful neighbors, has 135 official ethnic groups, and was held together by force for decades.・・・There is an insecurity and fear that comes with being Burmese,”・・・
http://www.washingtonpost.com/world/asia_pacific/in-burma-monks-accused-of-stirring-up-anti-islamic-violence/2013/07/04/ef702e0c-e31b-11e2-a11e-c2ea876a8f30_print.html
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太田述正コラム#6314(2013.7.7)
<日進月歩の人間科学(続x32)(その1)>
→非公開