太田述正コラム#6106(2013.3.25)
<太平洋戦争における米兵のPTSD(その2)>(2013.7.10公開)
2 米兵にとっての太平洋戦争
(1)序
「子供の頃からの最も早い思い出だが、私は、・・・第二次世界大戦の際にガダルカナルで撮られた写真の存在がある。
父のスティーヴは、第6海兵師団第22海兵旅団第3大隊L中隊のブローニングM1918自動小銃(B.A.R.=M1918 Browning Automatic Rifle)
< http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0%E8%87%AA%E5%8B%95%E5%B0%8F%E9%8A%83M1918 >
手でありライフル射手(rifleman)だった。・・・
<父は鍛冶屋だったが、>ある夜、<金属を>とぎながら、「連中」が、沖縄で起こったところの、<その写真に父と一緒に写っている>男<・・これがマリガン(太田)・・の死について自分をどんなに咎めたかについて語った。
「だけど、私の責任じゃないんだ」と言った。
父はそれまでも、それからも見たことがないほど感情的になっていた。・・・
場面は2000年へと移る。
父は75歳で死の床にあった。
この最期の数日の間に、彼は自分が最後に殺した日本兵のことについて、そしてそのことがどんなに彼を悩ましてきたかについて語った。
しかし、写真の中の男のことは語らなかった。・・・」(G)
「私の家では何かがおかしかった。
父は深く怒りを潜めていた。
・・・彼の父の怒りは、何の前触れもなく爆発した。
これは人格的欠陥によるものではなく、彼の第二次世界大戦の時の試練、戦闘によるトラウマ、そして経験した戦闘中最悪のものの最中に、彼の人生をひっくり返した(upended)ところの巨大な事故の残響だったのだ。」(A)
「『マリガンを連れ帰る:良き戦争の他の半面』は、第二次世界大戦中に太平洋で戦った一人の海兵隊であるマハリッジの父親を悩ませた二つの条件であるところの、PTSDと外傷性脳損傷(traumatic brain injury)(TBI)<(注1)>という目に見えない傷を切り裂いて開く。」(B)
(注1)「脳の一部が局所的にダメージを受ける脳挫傷とは異なり、脳の軸索が広範囲に損傷を受けるもの。軽度から中程度の損傷においては、早期回復が期待されるが、高次脳機能障害に至った場合、記憶力、注意力の低下や人格形成やコミュニケーション能力に問題が生じるほか、四股の麻痺が生じることもある。外見上、健常人と何ら変化は無いが、社会適応性が損なわれるため、通常の生活が送れずに苦しむ患者は多い。・・・<米>国では、兵士が交戦時に負傷する例で知られて<おり、>・・・爆風<が>音速を超える強さとなる<ことから起こる。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E5%82%B7%E6%80%A7%E8%84%B3%E6%90%8D%E5%82%B7
(2)探求
「<父親が亡くなってから、>私は情報公開法(Freedom of Information Act)に基づく要求を提出し、得られたものは、マリガン氏が1945年5月30日に戦闘中に死んだことを示す死亡報告書だった。
彼の死体は米国に戻ることはなかった。
それ以外は、ほとんど何も書いてなかった。」(G)
「デール<・マハリッジ>は、父親の戦争を見つけるべく乗り出し、父親の部隊にいた29人を追い詰めた。
密度の濃い10年にわたる作業に基づき、彼は<この>・・・本を生み出した。」(A)
「著者は、読者を沖縄島へ、シュガー・ローフ・ヒル(Sugar Loaf Hill)の戦いへ、そしてマリガンが死んだタートル・バック(turtle-back)の墓へ、と連れて行く。」(D)
(3)PTSD
「<父親はマリガンを殺したわけではなかった。>
<しかし、>もう少し具体的な命令を行う等のことができたかもしれなかった。
これが、歩兵射撃チーム長達や分隊長達や中隊長達等々が下した総括であり、この総括が彼に何度も起きる悪夢を生ぜしめたのだ。
<そもそも、(マリガンだけでなく)大勢の米兵の死傷、天文学的な沖縄の一般住民の死傷、一部米兵による日本兵捕虜や一般住民の殺害、そして一般住民女性の強姦、更には死んだ日本兵の金歯の強奪等の記憶がPTSDとなって彼や上出の29人等を苦しめていたのだ。>」(I)
「10年前にタッド・バーティマス(Tad Bartimus)は『戦争よってかき乱され:ベトナムから戦争を報じた女性記者達が書いた戦争の物語(War Torn: Stories of War from the Women Reporters Who Covered Vietnam)』の中で、この戦争が参戦者に及ぼした影響を書いた。
彼女は、ベトナムから報じた一人だったが、後に、ベトナムでの戦闘部隊員とその妻達の慰労と休養(R&R=Rest and Recuperation)の再会の集いの取材を命じられた。
「<彼女>は、再会する幸せで、休暇を過ごしている夫妻達をそこに見出すことを期待していた」が、そうではなく、「精神的外傷を受けた男達とひどく取り乱した女達」を見た。
兵士達は泣いており、それと同時に、彼らの打ちひしがれた妻達は、「彼女達が結婚した少年達を戦争から戻った怖い顔をした兵士達に変貌させたものがなんであるかを理解することができずに」彼らの傍らに座っていた<、というのだ>。」(C)
「<父親は、PTSDに加えてTBIに苦しめられていたのだ。>
マハリッジ軍曹は、まともな(blooded)歩兵の帰還兵であればだれでも知っていたように、大きな連続した音は我々をその時へと連れ戻すことを知っていた。
生々しく思い出すこともあった。
ほっておいてもらえば、我々は一時的に心の中の悪鬼達をやっつけることができるし、写真に向かってどなることさえもできる。
とにかく、一番いいのは、この過程を妨げないことなのだ。」(D)
「爆風による震盪は、爆風による事故で頭が単に打撃を受けるよりもはるかに深刻であり、頭がい骨が実際に脳を圧縮する・・・。
人によっては、神経が損傷を受け、容易に癒えない。
・・・父親の時としての狂ったようなふるまいは、この爆風に起因するのかもしれないのだ。」(G)
(続く)
太平洋戦争における米兵のPTSD(その2)
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