太田述正コラム#6329(2013.7.15)
<皆さんとディスカッション(続x1961)/日進月歩の人間科学(続x32)(徒然草)>
<太田>(ツイッターより)
「ぜいたく過ぎる僧侶、僧籍剥奪 性的虐待の疑いで捜査 タイ…」
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130714/asi13071416230001-n1.htm
これは、悟ってなかったのか、悟りが堕落したのか。
(<昨>日終わったシリーズが公開された時に読んだら私の言いたいことが分かるよ。)
とまれ、僧の妻帯は認めるべき。
BBCが(商業捕鯨を続けている)ノルウェーの 捕鯨船同乗ルポを報じた。漁師達の牛や羊を屠殺して食うのと同じだという言葉を紹介すると共に、つい50年前まで英国でもそうしていたとしている。
http://www.bbc.co.uk/news/magazine-23286193
アングロサクソン本家の英国、ついに正気に?
<豊丘時竹>(2013.7.14)http://d.hatena.ne.jp/toyotoki11/20130714/1373790091
–強制連行はなかった–
従軍慰安婦の問題は、<「」>で示した太田氏の一言で解決した。私はそうとった。
・・・
太田述正コラム#6325(2013.7.13)
・・・
<「…終戦直後に日本政府がつくった>米軍用の国営慰安所は、朝鮮人女性を連行した戦中の慰安婦制度と軌を一にしている。…搾取の対象が日本の女性か、朝鮮の女性かという差があるだけ<だ。>・・・
じゃ、強制性はなかったわけだな。アンガト。<」>
<太田>
それでは、その他の記事の紹介です。
自民・民主野合によるところの、属国状況を肯定し、強化するだけの集団的自衛権禁止政府憲法解釈の緩和だけはやめてけれー。↓
「自民党の石破茂幹事長は・・・、政府の憲法解釈で認められていない集団的自衛権の行使について「日米同盟の信頼関係を強めていく上でも、行使を可能にすることが必要だ」と述べた。・・・
一方、公明党の井上義久幹事長は「集団的自衛権の行使は認めないのが、政府の一貫した憲法解釈だ。海外での武力行使を国民は認めないだろう」と反対論を表明。・・・」http://mainichi.jp/select/news/20130715k0000m010094000c.html
「民主党の細野幹事長・・・は、政府の有識者会議(安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会)が検討している集団的自衛権の4類型のうち、〈1〉米国に向かうミサイルの迎撃〈2〉国連平和維持活動(PKO)で一緒に活動している部隊が攻撃を受けた場合の武器使用――について、「問題があるなら、それはできるようにする。そういう議論なら積極的にやっていく」と述べ、容認もあり得るとの認識を示した。
ただ、民主党には集団的自衛権の行使に慎重論が根強い。ミサイル迎撃などは個別的自衛権の範囲にあるとみなして容認する可能性がある。・・・」
http://www.yomiuri.co.jp/election/sangiin/2013/news2/20130714-OYT1T00639.htm?from=ylist
日本で言うパリ祭の7月14日というのは、実は1789年のそれ(バスティーユ襲撃)ではなく、1790年のそれ(Fete de la Federation)・・立憲君主制の樹立。そこには、ルイ16世もマリー・アントワネットも、そして皇太子もいた!・・だったんだー。↓
Fete de la Federation・・・<i.e.> 14 July 1790 is the most beautiful day in the history of France, possibly in the history of mankind. It was on that day that national unity was finally accomplished.・・・
Passed in 1880, the law was deliberately ambiguous. It did not say which 14 July was being celebrated.
And today, of course, everyone thinks of it as Bastille Day.・・・
http://www.bbc.co.uk/news/world-europe-23280120
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–日進月歩の人間科学(続x32)(徒然草)–
表記のシリーズの中締めを昨夜おこなったわけですが、悟りと性的逸脱行動との関係について、様々な想念が湧いてきたところ、その一端を、そのままの形で、皆さんにご披露しておきたいと思います。
今東光(1898~1977年)は「関東大震災の時に一緒に逃げ歩いた、元帝国劇場女優の人妻とのちに結婚する。・・・
→性的逸脱行動!(太田)
妻の実家があった茨城県結城郡大花羽村、鬼怒川の辺に書院を建て独居していたが、同地の古刹、天台宗 正覚山蓮華院安楽寺(現茨城県常総市大輪)住職、弓削俊澄僧正の知遇を得て、非常勤私設秘書を買って出た。1930年・・・、金龍山浅草寺伝法院で大森亮順大僧正を戒師として出家得度、天台法師とな・・・<っ>た。・・・
→そんな彼が悟りへ。(太田)
<その後、>妻フミ子が離婚を申し出た。戦後1946年秋、・・・蜂谷清(きよ)と再婚。・・・
1951年・・・、天台宗総本山延暦寺座主の直命により大阪府八尾市中野村の天台院の特命住職となり西下する。天台院は当時檀家が30数軒の貧乏寺であった。・・・
<その地で、東光は、>ケチ(吝嗇)・好色・ド根性」といった河内者の人間臭と、土俗色の色濃い河内地方の方言や習俗に親しんでいった。・・・
<東光は、>河内人は「下劣で、ケチン坊で、助平で、短気で、率直で、つまりは僕自身に似た人物」と書いている。・・・
→河内人=東光=煩悩だらけの人間のありのままの姿、なんでんなー。(太田)
檀家の話は、ケンカだ。バクチだ。ヨバイだ、ジョロカイだって、そればかり<だった>。・・・
→日本固有の夜這い/遊郭文化は、少なくとも河内で終戦後まで健在だったー!(太田)
<彼>は「山椒魚」「春泥尼抄」「悪名」「こつまなんきん」「河内風土記」など、八尾周辺の河内地方に取材した、一連の「河内もの」を立て続けに発表し、舞台化、映画化も相次いだ。・・・
<東光の>作家の宗教者としての内面、深層に触れることなく、直木賞作家=大衆小説作家、通俗作家として、皮相、類型的解釈で摘み取る読者、文壇的関係者は多く、八尾をはじめ河内・大阪周辺では、東光の小説が河内を有名にするどころか「柄の悪い場所」というネガティブな印象を全国に定着させたとして今でも嫌う向きがある。八尾市では何度か彼の彫像建立の計画があったが、上記等の理由で住民の同意を得られず成立していない。・・・
→河内人は東光をもっと評価すべきだろうね。(太田)
<彼は、>「この世で一番畏いのは、かあちゃんだよ!」と言わしめた、愛らしく剛い人柄<であり、>・・・テレビや雑誌で見せる型破りな姿とは裏腹に、プライベートでは静かで謙虚な人柄であった・・・。死の直前の主治医であった医師は、東光がガンによる苦痛をものともせず「大丈夫だ」とニコリと笑っていた姿を見て「こんなに意志の強い患者は初めて見た・・・テレビで見せる姿とは違って、非常に思慮深い思考をなさる人でした。」<と言っている、>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E6%9D%B1%E5%85%89
→不可逆的な悟りに到達した人間の姿、ここにあり。(太田)
ついでにこれ↓もどうぞ。
恐らく、最初の妻との結婚生活中で、また、出家後のことである可能性も大いにあるけれど、東光が自分の廓通いの様子を自ら描いています。
http://www.maroon.dti.ne.jp/~satton/bungaku/yosiwara-aika.html
次に、東光の天台宗の弟子である瀬戸内寂聴(1922年~)は、「東京女子大学在学中に結婚し<たが、>・・・1946年に・・・夫の教え子と恋に落ち、夫と長女を残し家を出て京都で生活。・・・
、東京に住みだした後、二人の男性と恋愛関係にあった・・・
→寂聴は性的逸脱行動の限りを尽くしたわけです。(太田)
僧侶になったあとは男性との関係をいっさい断っている。
僧侶(尼僧)ゆえに一汁一菜、魚しか食さないと思われがちだが、80歳を超えた高齢ながら大の肉好きで酒豪でもある」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%AC%E6%88%B8%E5%86%85%E5%AF%82%E8%81%B4
→そんな彼女が悟りへ。その上で、不可逆的な悟りに到達か。(太田)
⇒この二人の軌跡から、性的逸脱行動の克服≒悟り、という構造がうかがえますねえ。
(性への貪欲さ→性的逸脱行動→悟りへの早道(正道?)、ってカンジか。
それだけ、性って根源的なモンなんだろな。)
とまれ、悟った後は、その時々の社会規範の埒内で性への貪欲さを充たす(男性たる東光)、或いは一切性を絶つ(女性たる寂聴)、ってのがオススメのようで・・。
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太田述正コラム#6330(2013.7.15)
<忘れられた大量虐殺>
→非公開
皆さんとディスカッション(続x1961)/日進月歩の人間科学(続x32)(徒然草)
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