太田述正コラム#6188(2013.5.5)
<ドイツ中心近代史観(その8)>(2013.8.20公開)
 (5)ドイツとEU
 「ドイツの脆弱性は常に挑発的だった。
 それは、例えばオスマントルコやフランスの侵攻を招いた。
 そして、脆弱なドイツは、外部からの諸危険に欧州が一体として対処する能力をも脆弱化した。
 例えば、15世紀と16世紀には、神聖ローマ帝国は、オスマントルコの攻撃からハンガリーとクロアティアを守ることに失敗した。
 20世紀の後半になって、再軍備の後、ようやくドイツはソ連を封じ込めることに効果的な貢献ができるようになった。・・・
 神聖ローマ帝国は、極めてドイツ的な、長い交渉の諸会期を通じて生み出される法的諸解決への偏好を反映していた。
 これは尊敬すべき事柄だけれど、深刻な欠陥があった。
 討論ばかりに時間を費やし行動がなかなかとれないという・・。
 1780年代に米国憲法の創造をもたらした諸討論において神聖ローマ帝国が悪い例とされたことは偶然ではない。
 他方、<1707年の>イギリスとスコットランドの統合は良い例とされた。・・・
 欧州が単一の連邦国家になるのであれば、残されたスイス、英国、及び少数の他国、はその中に入るべきではない。
 これら諸国はそうすることを欲していないからだ。
→私がしばしば言及しているところの、イギリス人流の韜晦ということでしょうが、どうして欲していないかをシムズは述べていません。
 私見では、文明的な違いの他に、英国王(女王)を元首とする諸国からなる拡大英国の中から盟主たる英国だけが抜けて、欧州連邦国家の一員・・英国州という形かイギリス州とスコットランド州という形かは不明ですが・・になるわけにはいかない、という事情もある、ということです。
 他方、スイスについては、私に言わせれば、文明的に最も欧州的であると言っても過言ではないこの国(コラム#61)が、ユーロの採用どころか、EUにすらまだ加入していないことの方が不自然なのです。(太田)
 私は<英国が>参加する必要性(imperative)を見出せない。
 英国が欧州に与えることができる最大の贈り物は、英語と英国の政治構造なの<であって、欧州連邦国家に加入することではないの>だ。」(H)
 「あなたは・・・ドイツの力は「再び欧州に出没している妖怪だ」と描写した。あなたは、「ドイツ嫌い」が欧州大陸中で増加しつつあるとも述べている。<こう聞かれて、シムズは、以下のように答えた。>
 史上初めて、ドイツは民主主義的な同盟諸国、すなわち同国が友好関係を持っている諸国、だけによって囲まれている。
 しかし、これはドイツがリスクを評価する能力を鈍らせてきた。
 ドイツの、NATOの計画された拡大の継続の拒否、及び、ロシアの脅威に対して真剣な考慮を払ったり、リビアへの軍事介入へ参加することの拒否の全ては、この低くなったリスク評価能力の症候だ。」(H)
 「EUの中へ、ドイツは急速に再起した経済だけでなく、前近代的な文化の多くも持ち込んだ。
 とりわけ、適法性(legality)への没頭、絶え間ない討論とデュープロセスを・・。
 その結果、EUは神聖ローマ帝国にどんどん似通い始めている。・・・
 マーストリヒト(Maastricht)条約<(注23)>とドイツ・マルクに取って代わったユーロの導入<(注24)>は、統一されたドイツが統一されつつある欧州により固く埋め込まれるよう、加速された。・・・
 (注23)「欧州連合<(EU)>の創設を定めた条約。1991年12月9日、欧州諸共同体加盟国間での協議がまとまり、1992年2月7日調印、1993年11月1日に・・・発効した。・・・附帯議定書では単一通貨ユーロの創設と3つの柱構造(欧州共同体の柱、共通外交・安全保障政策の柱、司法・内務協力の柱)の導入が規定された。・・・その後、アムステルダム条約によって司法・内務協力から難民・移民問題などを欧州共同体の柱に移管し、残った分野について警察・刑事司法協力に改められた。この3つの柱構造はリスボン条約の発効により廃止された。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%88%E6%9D%A1%E7%B4%84
 (注24)「1999年1月1日に決済用仮想通貨として導入された。この時点では現金のユーロは存在しなかった。3年後の2002年1月1日に初めて現金通貨としてのユーロが発足した。・・・ユーロはヨーロッパでは23の国で使用されている。この23か国のうち17か国が欧州連合<(EU)>加盟国である。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%83%AD
 ドイツ問題は、500年を超える期間、突然変異を続けて来た。
 400年間はドイツは脆弱過ぎた。
 問題は、勢力均衡を守るためにドイツ人達をどう動員するか、或いは、ドイツ人達が特定の覇権国の手に落ちないようにすることだった。
 統合後の80年間は、ドイツは強大過ぎ、世界平和の脅威になるか、そうなりそうに見えた。
 それに続く約半世紀は、ドイツは政治的に相対的に脆弱であり、そうすべきであった程度に比べて、欧米の大義に、はるかに少なくしか貢献していない。」(G)
 「ポーランドの外相のラデク・シコルスキー(Radek Sikorski)は、2011年にベルリンで行った演説で、沢山の人々に代わってこう言明した。
 「私はドイツの力を恐れるよりは、ドイツの非行動(inactivity)を恐れ始めている」と。
 これが、今日のドイツの力のジレンマなのだ。」(G)
 「将来をどう見るかについてだが、シムズ氏は、結論に代わり、いくつかの質問を投げかける。
 EUとユーロは、おおむね、ドイツの力をより広い欧州の中に包摂するために考え出された。
 にもかかわらず、彼が言うように、ユーロ危機は、ドイツをいまだかつてないほど支配的な存在にするという効果を持ってきた。
 その解決法は、より深い政治統合であることを彼は示唆する(hint)。
 そして、これを実現させることができるのは2つの国・・まだ二軒連続住宅的<に壁を隔ててEUと関わっている>英国と、しぶしぶの指導者としてしか行動することはないドイツ・・しかない、ことを彼は示唆(suggest)する。・・・
 EUは欧州的なドイツを創造するためにつくられたというのに、EUが生み出しつつあるのはドイツ的な欧州である、とこぼす<者もいる。>」(C)
(続く)