太田述正コラム#6192(2013.5.7)
<中共の資本主義化の軌跡(その1)>(2013.8.22公開)
1 始めに
 本シリーズでは、表記に係る本を取り上げるのですが、余りこれまでにない経緯を辿ってそうなったということを最初にお断りしておきたいと思います。
 その本は、ロナルド・コース(Ronald Coase)とワン・ニン(王寧=Ning Wang)共著の『中国共産党と資本主義(How China Became Capitalist)』です。
A:http://online.wsj.com/article/SB10001424127887323335404578444792065046344.html?mod=WSJ_Opinion_LEFTTopOpinion
(書評(以下同じ)。5月1日アクセス)
B:http://www.academia.edu/3135163/How_China_Became_Capitalist_by_Ronald_Coase_and_Ning_Wang
(5月4日アクセス(以下同じ))
C:http://blogs.lse.ac.uk/lsereviewofbooks/2012/12/13/book-review-how-china-became-capitalist-ronald-coase-ning-wang/
D:http://www.rand.org/blog/2013/05/a-truly-great-leap-forward.html
E:http://www.utdallas.edu/~mikepeng/documents/JAB1210_BkRev_CoaseWang_HowCHNbecamecapitalist.pdf
F:http://link.springer.com/content/pdf/10.1007%2Fs11127-013-0078-6.pdf#page-2
G:http://www.cato.org/policy-report/januaryfebruary-2013/how-china-became-capitalist
(著者達による解説)
H:http://www.american.com/archive/2012/november/how-china-became-capitalist/article_print
(著者達へのインタビュー)
I:http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20130225/244164/?leaf_bnld
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20130225/244174/
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20130304/244466/
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20130305/244568/
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20130307/244629/
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20130307/244642/
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20130311/244803/
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20130313/244969/
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20130314/245042/
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20130315/245113/
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20130318/245148/?leaf_bn
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20130318/245152/
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20130318/245162/?leaf_bn
(5月5日アクセス。本の第6章)
 私は、Aを読んで、てっきりこれは上梓されたばかりの本だと勘違いしたところ、後で述べるように実はそうではなかったわけですが、書評類をインターネット上で探す過程で、主要メディアの書評類としては、WSJ以外のものはない代わりに、専門誌的なものに掲載された書評類は多数あることから、専門家筋には注目されているけれど、主要メディアはこれから本格的にこの本を取り上げて行くのだろう、と勘違いの上塗りをした次第です。
 ところで、私がこの本に関心を持った理由は、言わずと知れたこと、中共の資本主義化の経緯という時宜に即したテーマに取り組んだ本であるからですが、もう一つの理由は、共著者の一人がロナルド・コースだったからです。
 コースは、下掲からも分かるように大変な学者です。
 「1910年生まれ。100歳を超えて現役の英国生まれの経済学者。論文の数は少ないが、そのうちの2つの論文 “The Nature of the Firm”(「企業の本質」)(1937年)と“The Problem of Social Cost”(「社会的費用の問題」)(1960年)の業績で、1991年にノーベル経済学賞を受賞。シカゴ大学ロースクール名誉教授。取引費用や財産権という概念を経済分析に導入した新制度派経済学の創始者。所有権が確定されていれば、政府の介入がなくても市場の外部性の問題が解決されるという「コースの定理」が有名。」(I)(注1)
 (注1)もう少し、コースについて補足しておこう。彼は、1910年にロンドンで生まれ、LSEで学士号、博士号を取得、1951年に米国に移住。シカゴ大学教授(1964~79年)。1991年にノーベル経済学賞受賞。現在、シカゴ大学ロースクールの名誉教授。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B9
 なお、コースの定理とは、例えば、「企業の生産活動から発生した公害が周辺住民に被害を与えている状況を考える。このとき取引コストがないなどの理想的条件の下では企業と住民の交渉によって外部不経済による過剰生産を避けることができ、少なくとも社会全体としては同じ水準の社会的余剰が達成される。」ことをいう。「ただし、誰が環境についての権利を持つかによって負担の配分は異なる。住民に権利(所有権)がある場合は企業に課税して住民に補償を与える(ピグー税など)ことになるので費用負担者は企業であり、企業に権利がある場合は住民側から企業の減産に補償を与えることになるので費用負担者は住民である。」ただし、「どちらの場合も、社会全体の利益(=住民の利益+企業の利益-費用負担)は同じである。」「<なお、>、住民と企業のどちらが権利を持つかによって、企業の環境対策へのインセンティブが変わってくる・・・。住民に権利がある場合、企業には環境負荷を小さくする技術革新を行うことでピグー税の負担を小さくすることが出来るので、企業に権利がある場合よりも環境対策への投資のインセンティブが高まる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E9%83%A8%E6%80%A7#.E3.82.B3.E3.83.BC.E3.82.B9.E3.81.AE.E5.AE.9A.E7.90.86
 
 私は、1974~76年にスタンフォード大学に留学した時に、初めてコースという学者の存在を知ったのですが、その時点では彼にまだノーベル経済学賞を授与されていなかったとはいえ、彼は、既に極めて有名な学者でした。
 そんな学者と40年近くを経て再び遭遇したこと、しかも、(現在101歳の)彼が100歳近くの時に、なお、新しい本を上梓した、という画期的事実に私は感動したのでした。
 ところが、書評類を探す過程で、随分後になってIを見つけ、この本が2012年に出版されており、冒頭で紹介したタイトルを付けられて2013年2月に邦訳まで出版されていて、しかも、その邦訳された第6章が無償で公開されている(於I)ことを知ったのです。
 それまでに既に目を通していたところの、この本の書評類を通じ、一、共著者達が(二次史料に拠っているために)新しい史実を発掘していないこと(F)、二、史実の解釈に偏りが見られること(C)、そして、三、理論的説明が殆んどなされていないこと(E、F)、が気になっていたのですが、ここで、この本は、王寧・・アリゾナ州立大学政治国際学研究科准教授(G)・・が、かつての超有名人たるコースを形式的に共著者として加えた本を上梓することで、自分の名前を売り込もうと考えたところの、余り中身のない代物ではないか、だからこそ、英米の主要メディアがこの本について沈黙を保ってきた可能性が高いことに思い至ったのです。
 また、そもそも、この本は邦訳が出ているのですから、私が紹介するまでもなく、太田コラムの読者は買って読めばいいのですし、既に読まれた方もおられるかもしれません。
 それなのにどうして、なお、私が、この本のシリーズを書こうと決意したかですが、この本の中での支那の文明や歴史への言及部分・・当然ながら王寧が一手に引き受けた(H)・・を批判的に取りあげること、かつまた、この本を貫くバイアス・・これは紛れもなく(過去の)コースのそれでしょう・・を批判すること、そして、中共は日本型政治経済体制の経済部分だけを採用したのではないか、という私の仮説を裏付ける史実らしきものを発見できるかどうかを見極めること、は一興である、と考えたからです。
(続く)