太田述正コラム#6242(2013.6.1)
<パナイ号事件(その3)>(2013.9.16公開)
「橋本欣五郎<(注8)(コラム#4376)>(1890~1957)は、ファシスト運動を推進した軍人。国家改造を目的に参謀本部少壮将校等を集めて桜会を結成、1931年満州事変に前後した軍部のクーデター未遂事件である三月事件、十月事件の首謀者とな<り、>十月事件で行政処分をうけ、二・二六事件後の祝軍によって大佐で予備役となると、ファシスト運動を推進するべく大日本青年党を結成した<ところ、>日中全面戦争が勃発したため、召集され、野戦重砲第13連隊長として、南京から撤退する蕪湖付近の中国軍を殲滅する作戦任務を遂行していた。・・・
(注8)幼年学校、陸士、陸大。、トルコ公使館付武官を経て参謀本部ロシア班長。「<米国>の砲艦・・・パナイ号・・・を撃沈し死傷者を出し、さらに<英>砲艦レディバード号にも被害を与えた・・・という責任を取って陸軍砲兵大佐で退役した。同年大日本青年党(のち大日本赤誠会に改称)を組織しファシズム運動を展開、近衛文麿首相が掲げる新体制運動にも積極的に協力した。1942年の翼賛選挙で衆議院議員に当選し、翼賛政治会総務に就任した。極東国際軍事裁判でA級戦犯として起訴され、終身刑。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%8B%E6%9C%AC%E6%AC%A3%E4%BA%94%E9%83%8E
ビー号の参謀長は橋本との面会の様子を上海の英国代理大使ホーウィに対してこう打電した。
・・・私は・・・強い抗議を行った。彼はくだらない言い訳をしたが、軍艦を砲撃したのは彼のミスであったこと、および日本軍は長江にあるすべての船を砲撃するように命令されていたことを認めた。
日本軍の最高司令部に対して至急、蕪湖およびその下流にイギリスや他の外国の商船、軍艦がいることを悟らせる必要がある。蕪湖の日本軍には、この事実が知らされていないふしがある。」(43~44)
→「英国砲艦に砲撃を加えた<のは>・・・野戦重砲第13連隊で、連隊長は国家主義者の橋本欣五郎大佐であった」と著者は書いていますが、「国家主義者」という意味が必ずしも明らかではない言葉ではなく、著者自身が脚注で用いているところの、「ファシスト」という言葉を用いた方がよかったと思いますが、いずれにせよ、本文中で橋本を「ファシスト」呼ばわりすることにいかなる意味があるのか不明です。
ビー号の参謀長との面談の際の橋本の言からは、「ファシスト」的なものは何も感じられないからです。
また、そもそも、橋本を「ファシスト」呼ばわりすることそのものが問題です。
その理由ですが、まず、史実を押さえておきましょう。
「参謀本部の橋本欣五郎中佐、長勇・・・少佐らは、政党政治が腐敗しているとするとともに国民の大多数を占める農民の窮状に日本の将来が危惧されるとして、いわゆる満蒙問題を主張し農民の窮状解決の活路を求めた。また、従来の反ソ親米路線を廃し反米反中への転換と政党内閣を廃して軍事政権を樹立する国家改造構想を抱いていた。彼らは1930年9月に桜会を結成<した。>・・・橋本・長らを中心とした急進的なグループは、大川周明らと結んで、1931年・・・3月の三月事件、同年10月の十月事件を計画(いずれも未遂)。・・・組織は十月事件後に解散させられたが、同会に所属していた会員の中から多くの将校が統制派として台頭。対立する皇道派が二・二六事件を契機に一掃されるに及んで、軍部の中枢を掌握した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%9C%E4%BC%9A
「1928年・・・当時、・・・日本陸軍中央(木曜会(ついで一夕会)および参謀本部第一部)の「満蒙領有方針」<においては、>満蒙問題の解決のみならず、対ソビエト連邦戦争をはじめとする国家総力戦対応の要請から、満蒙の実質的領有をめざす立場<をとっており、満蒙における>中国の主権<を>まったく否定<しようとしていた。>・・・1931年・・・9月の柳条湖事件よりはじまる満州事変は、一般に、1929年よりはじまった世界恐慌の甚大な影響を受けて日本が陥った1930年代初頭の経済的苦境(昭和恐慌)や農村の疲弊(農業恐慌)を打開するため、石原莞爾や板垣征四郎ら関東軍によって計画・実行されたものとの見方が多い。しかし、実際には世界恐慌に先だって、満州事変につながる満蒙領有方針がすでに打ち出されていたのである。世界恐慌は満州事変を計画した軍人たちにとっては、かねてからの方針を実行にうつす好機となった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E8%92%99%E5%95%8F%E9%A1%8C
つまり、橋本の言動は、やや過激ではあったものの、陸軍中央(≒赤露抑止戦略を追求していた統制派)の政策の枠内のものでしたし、この陸軍中央が推進した政策は、世論の支持、とりわけ満州在住日本人世論の強い支持を受けたものであった以上、橋本一人を特にファシスト呼ばわりするのはおかしい、と言うべきでしょう。
更に言えば、陸軍中央は、あくまでも対赤露抑止戦略を全うならしめるために、議会制の存続を前提に、挙国一致内閣の樹立や軍事予算の大幅増や国家総動員体制の樹立、そして、満蒙の対赤露緩衝地帯化、等を求めていただけのことであり、これは、客観的に見て、しごく軍事合理的にして自衛的な政策であって、人種主義的立場から独裁制の下で領土拡大を目指した対外政策をとるファシズム・・例えば、スペインのフランコの体制
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B3
とは根本的に異なるのであり、陸軍中央、ひいては世論についても、これらをファシスト呼ばわりするのはおかしいのです。
この際、付言しますが、橋本のビー号の参謀長への対応には首を傾げざるを得ません。
彼は、「日本軍は長江にあるすべての船を砲撃するように命令されていた」ことを伝えるだけでなく、日本当局から退避勧告がなされていたにもかかわらず、英艦艇群が戦闘区域内に留まっていたことに抗議した上で、それが英軍艦艇群であるかどうか、かつまた、蒋介石軍に協力していないか、の見極めがつかなかったので攻撃せざるを得なかったと述べ、しかし、この面談で疑いが晴れた以上、英艦艇群に人的物的被害が生じたことは、個人的には遺憾であった、と結ばなければならなかったのです。
「くだらない言い訳をした」挙句、「軍艦を砲撃したのは・・・ミスであった」などと橋本が述べた(らしい)ために、ビー号の参謀長をして、「日本軍の最高司令部に対して至急、蕪湖およびその下流にイギリスや他の外国の商船、軍艦がいることを悟らせる必要がある。蕪湖の日本軍には、この事実が知らされていないふしがある。」などという、全く事実に反するピンボケ報告を行わせてしまったわけです。
(英国や米国の艦艇群がいることを知っていたら、日本は英国や米国を恐れているだろうから、日本軍は何が何でも英国や米国の艦艇群への攻撃を回避するはずだ、という(傲慢な)思い込みがその背景にあったに違いないのですが、この「誤解」を橋本は解こうとしなかった、ということです。
これも、人間主義が誤解を呼んだ一例ということになりそうです。)
一番問題なのは、現場の責任者である橋本が攻撃がミスであることを認めた結果、それだけで日本政府の賠償責任を事実上確定させてしまったことです。
いくら橋本に(トルコ)駐在武官経験があったとはいえ、彼にそこまで外交官的センスを求めるのは、いささか酷かもしれませんが・・。(太田)
(続く)
パナイ号事件(その3)
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