太田述正コラム#0184 (2003.11.8)
<今次総選挙と日本の政治>
いよいよ明日は総選挙の最終投票日です。(公示日以降、いつでも「不在者」投票が可能なので、11月9日は最終投票日に他なりません。)そこで本日と明日の二回にわたって、日本の政治について、改めて私見をご披露させていただきます。
肩の力を抜くため、国際情勢等を論じる時同様、もっぱら英米のメディアを典拠に論じることにしました。(オブザーバー紙の引用については、その名調子に惚れたということもありますが、翻訳の労を惜しんだ点をお詫びしておきます。)
1 今次総選挙について
日本のメディアは、おしなべて今回の選挙の最大の争点は、自民党等与党と民主党のどちらが「改革」(=既得権の打破等)の担い手としてふさわしいかの選択だとしています。ところが、どの世論調査を見ても今回の選挙で政権交代が起きる可能性はなさそうです。
そもそも、「改革」のためには、自由民主党を中心とする与党連合の政権からの下野、すなわち政権交代が不可欠であることは自明です(注)。しかし日本の国民に政権交代を実現する気がなさそうである以上、彼らが「改革」を最大の争点だなどと考えているはずがありません。
(注)英オブザーバー紙は、自民党総裁たる小泉総理によって「改革」ができるという謬説を、’・・ it is domestic matters that will determine whether・・Koizumi・・ extends his mandate for his faltering reform programme. For the battle between the ‘Lion King’ and the ‘Irritable Kan’ will be fought over the narrowest political space – over the question of whether Koizumi and his monolithic party are capable of carrying out his much-vaunted reforms that brought him to power on a wave of discontent in 2001. While Koizumi will ask for more patience, more sacrifices and a broader mandate, Kan will challenge not whether Koizumi has the right intentions, but whether he can carry his promises through from atop one of the country’s greatest and most troubling institutions – the LDP itself. This is the moot point of the Japanese political landscape: whether the country can be transformed by a party so closely associated with all the political and economic ills of five decades; a powerful political machine whose complacency and sclerosis have been matched only by its in-fighting, self-interest and patronage that have at times put the mafia to shame.’ (http://www.guardian.co.uk/japan/story/0,7369,1061301,00.html。10月12日アクセス)、と一刀のもとに切り捨てている。
経済が最大の争点だとする見方もありえます(http://news.bbc.co.uk/2/hi/business/3246963.stm。11月7日アクセス)。
しかし、この10年余、経済は停滞していたといってもマイナス成長が続いてきたわけではなく、失業率が高くなってきているとは言っても、社会不安が起きるほど各家庭に蓄えがないわけではありません。
しかも今年は1.2%という近来にない「高」成長が予想されており、株価も上がり、おかげで不良債権問題についても解消の兆しが見え始めており(BBC上掲記事)、まさにその絶好のタイミングをねらって小泉首相は解散に打って出たわけであり、少なくとも今次総選挙において経済は争点にはなっていないと見るべき(http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/3247023.stm。11月7日アクセス)でしょう。
鳴り物入りの民主党の「マニフェスト」(=各選挙公約について実現期限を明記したもの)の中(=「5つの約束」ないし「2つの提言」の中)に、事柄の性格上、政策実現の期限を明記できないということもあるのでしょうが、経済政策は登場していません。
では、外交・安全保障が争点なのでしょうか。
今回の総選挙について、日本の「左翼」系学者達は連立与党側が勝てば、自衛隊がイラクに派遣され、憲法9条が改正されるとし、外交・安全保障が争点だと主張しており、日本の一部メディアもそう指摘しています(http://www.asahi.com/politics/update/1106/001.html。11月6日アクセス)。しかし、民主党も基本的に自衛隊のイラク派遣や憲法9条改正に反対しているわけではなく(http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/3237289.stm(11月3日アクセス)及びhttp://www.latimes.com/news/nationworld/world/wire/ats-ap_intl14nov07,1,4042929.story?coll=sns-ap-topinternational(11月7日アクセス))、外交・安全保障は争点になっていないと言うべきでしょう。
外交・安全保障の基本政策については、実現期限を明記できるものも少なくありませんが、にもかかわらず、民主党の「マニフェスト」の中には外交・安全保障も全く登場しません。
そもそも、かねてから私が繰り返し指摘しているように、日本は米国にその外交・安全保障を丸投げした、米国の保護国であって、外交・安全保障政策はないのであり、ないものが争点になるはずがないのです。
ただちに政権交代はないとしても、英米のような、政権交代の受け皿が常に用意されている二大政党制の実現、が争点だとする苦し紛れの指摘についてはどうでしょうか。
民主党の「マニフェスト」なるものは英労働党からの借用である(BBCの11月7日アクセスの二番目の前掲記事)という点だけからも、英国の二大政党制を理想化していることが伺えますが、(自由党を吸収合併できて息を吹き返した)民主党の今次総選挙に向けてのホンネはそんなところでしょう(http://www.csmonitor.com/2003/1107/p07s01-woap.html。11月7日アクセス)。
しかし、英国のような「class」(アクセントや生活様式を異にする階層。コラム#92参照)による分化や米国のような、富・人種・宗教をめぐる分化が存在しない金太郎飴的日本に、英米のような、世界観を異にする2つの政党からなる二大政党制が成り立つ基盤があるとは思えません。
戦後の55年体制というのは、旧社会党に政権奪取の意思がなかった以上、自民党一党体制であったと言ってもいいと思いますが、その自民党は、党内の派閥の合従連衡によって主流派と非主流派に分かれ、主流派が政権を担当し、非主流派が批判勢力となる、ということを繰り返してきました。
旧社会党がほぼ消滅した現在、自民党(を中心とする与党連合)はかつての自民党主流派、民主党はかつての自民党非主流派だと考えればいいのです。
今度の総選挙で仮に民主党が伸びて二大政党制らしきものが実現したとしても、それは55年体制の延長でしかなく、多数勢力の形成をめぐって派閥や「政党」の合従連衡が今後とも続く、と割り切ったほうがいいでしょう。
つまりは今回の総選挙も、55年体制下と同様、既得権擁護票獲得へ向けての候補者の売り込み合戦にほかならないということです。ですから、選挙が終わっても引き続き、既得権擁護政治が続くことになるでしょう。
換言すれば、ファミリービジネス(家業)としての政治(http://www.nytimes.com/2003/11/05/international/asia/05JAPA.html及びhttp://www.csmonitor.com/2003/1105/p06s01-woap.html(11月5日アクセス))・・後援会政治、二世政治家の跋扈・・が続くだろうということです。
2 日本政治の「先進」性
しかし、だからと言って絶望する必要は毛頭ありません。
むしろ日本の政治は世界の最先端を走っており、それは日本社会の先進性の反映である、という自負を持っていいのです。
(続く)