太田述正コラム#0186(2003.11.10)
<ロシアについて(追補)>

(昨日午後、コラム#185の末尾を若干補足してあります。私のホームページ(http://www.ohtan.net)のコラム欄をご覧ください。)

コラム#144と145でロシアとは何かについて論じましたが、今回はその追補です。

1 ロシア文明の領域について

ロシア文明と欧州文明との間の境界線は、かつてのカトリシズムと正教会の境界線だと考えればよさそうです。この境界線は、サンクトペテルブルクの西からほぼ真南に、現在のルーマニアのトランシルバニア地方まで伸び、そこから今度はほぼ真西にアドリア海の直前まで伸び、現在のクロアチアとボスニアとの境界線沿いに南東に伸びてアドリア海に至っています(The Time Atlas of World History, Time Books Limited 1986 PP183)。
ちなみにこの境界線は、いわゆるヘイナル線・・その西側には封建時代があったが東側には封建時代がなく、またその西側には「欧州的結婚パターン」(=晩婚+結婚率の低さ+結婚前の若者の(農業)奉公人制度)があったが、東側にはなかったとされる・・とほぼ一致しています(肥前栄一「エルベ河から「聖ペテルブルク??トリエステ線」へ??比較経済史の視点移動??」(学士会会報No.843(2003-??)に収録)参照)。
イスラム文明及び中国文明との境界線については、別の機会に触れたいと思います。

2 現在のロシアにおけるソ連時代への回帰

 故郷レニングラード(サンクトペテルブルク)に埋葬して欲しいというレーニン自身の遺志に反し、その遺骸はミイラにされてモスクワのレーニン廟に「展示」されてきましたが、ソ連崩壊後も、ロシア国民のレーニン崇拝熱は少しも冷めず、依然レーニンの遺骸はレーニン廟に「展示」され続けています(http://news.msn.co.jp/newsarticle.armx?id=622778。11月9日アクセス)。
 スターリン像を再建する町も出てきました(http://www.sankei.co.jp/news/031106/1106kok098.htm。11月7日アクセス)。
 また、プーチン大統領はソ連時代の国歌(ただしメロディーのみ)を復活しましたし、ロシアの国営テレビ局はコムソモール(共産党青年団)の創立86周年記念の演奏会を中継したばかりです(http://www.nytimes.com/2003/11/09/weekinreview/09MYER.html。11月9日アクセス)。
学校での軍事教練も復活しています(http://www.nytimes.com/2003/10/11/international/europe/11RUSS.html。10月11日アクセス)。

プーチン大統領自身が旧KGB出身ですが、プーチン政権では、旧KGB出身者が多数登用され、彼らが政権を牛耳るに至っています(http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A54711-2003Sep23.html。9月24日アクセス)。
このためもあってか、プーチン政権では、情報公開どころか、旧ソ連政権並みの秘密主義がまかり通るようになり、欧米ではプーチン政権首脳達の一言半辞からそのウラにあるものを探る(ソ連時代に欧米のソ連専門家の間で盛んだった)クレムリノロジーが再び大流行になっている(http://www.nytimes.com/2003/08/27/international/europe/27LETT.html。8月27日アクセス)という笑えない話もあります。

 最後に、ソ連時代への回帰ではなく、むしろ継続というべき事柄です。
警察等では相変わらず取り調べに拷問が日常的に用いられている(http://observer.guardian.co.uk/international/story/0,6903,1066223,00.html。10月19日アクセス)といいます。
また、昨年の10月に起こったモスクワでの劇場占拠事件では、「救出作戦」の際に100名以上の人質が死亡するという乱暴なやり口に全世界がショックを受けたものですが、それから一年が経過したというのに、治安当局への責任追及が全く行われていないどころか、いまだに、人質、占拠したチェチェンテロリスト、死亡者の正確な数すら明らかにされていません(http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/3207319.stm。10月24日アクセス)。
国民の生命や人権を軽視し、政府が都合の悪いことは隠したソ連時代そのままですね。

3 現在のロシアにおけるロシア文明の「逆襲」

旧ソ連圏内ではありますが、中央アジアのキルギスタンに、既に(アフガニスタンをにらんだ)基地を設けている米国の向こうをはって、ロシアは初めて新しい海外軍事基地を設置しました(http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20031024AT2M2302823102003.html。10月24日アクセエス)。またもやロシアの業病とも言うべき膨張主義が首をもたげてきたようです。
 とりわけ注目されるのは、世論調査機関、テレビ局、新聞に次々にささいな名目で弾圧の手が入り、政府に不利な情報や批判的な意見が国民の耳に入らないようになりつつある(http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A2504-2003Sep25.html。9月26日アクセス)ことです。これはプーチン政権が管理された民主主義(Managed Democracy)を目指しているからだと指摘されています。管理された民主主義とは、対外的には民主主義の形態をとりつつも、時の政権が本格的な反対勢力や厳しい批判の挑戦を受けないシステムです(http://www.csmonitor.com/2003/1001/p07s02-woeu.html。10月1日アクセス)。
 プーチン自身、「もし民主主義が国家の解体を意味するとすれば、そんな民主主義は必要ない。」と公言し、選挙は必要悪だとの見解を隠そうとはしていません(http://www.guardian.co.uk/elsewhere/journalist/story/0,7792,1053545,00.html。10月2日アクセス)。
 実際、12月に国会議員選挙を控え、プーチン政権は新興大産業家たるオリガーキー達に対する弾圧(http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A2704-2003Oct22.html。10月23日アクセス)(オリガーキー側に問題なしとはしないものの、)に血道をあげています。また、チェチェンやサンクトペテルブルクでのなりふり構わぬ政府寄り候補者当選へ向けての「管理された」選挙(選挙干渉)の実態(http://www.nytimes.com/2003/10/03/international/europe/03CHEC.html。10月3日アクセス)にはすさまじいものがありました。選挙になる前に反対勢力たりうる芽をできる限り摘み取り、選挙にあたっては、積極的に干渉して反対勢力を封じ込める、というやり方です。
プーチンは、帝政ロシア時代から強力な支配者を好み、政治との能動的関わりを忌避してきたロシア国民の間で、現在絶大な人気を博していますが、今や、プーチンは憲法規定を変更し、あるいは憲法規定を回避することによって、恒久政権樹立を狙っているのではないかという見方さえ出てきています(http://slate.msn.com/id/2090745/。11月5日)。
 アストルフ・ド・キュスティーヌのロシア論(コラム#145)が改めて思い起こされますね。