太田述正コラム#6312(2013.7.6)
<世俗化をもたらした宗教改革?(その6)>(2013.10.21公開)
イ スコトゥスとオッカム
「13世紀にドンス・スコトゥス(Duns Scotus)<(注15)>によって広められた「形而上学的な存在の一義性(metaphysical univocity)」<なる考え>は、様々な哲学者達に影響を与えた。
(注15)1266?~1308年。「神学者・哲学者。・・・スコットランドのドゥンスで生まれ、オックスフォードとパリで哲学・神学を学んだ。1302年からパリ大学で教鞭を執った。最後はケルンで教え、そこで亡くなった。・・・トマス・アクィナスと異なり、スコトゥスは神学を「人間を神への愛に導く実践的な学問」であると考えた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%88%E3%82%A5%E3%82%B9
「アクィナスに代表される正統なキリスト教義にあっては、意思は知性に従属するものであった。つまり主知主義の考えである。神でさえこの世界をイデアにのっとって作った後に、それを「良し」とされた、つまり知性によって作ったものを、意思によって確認したのである。「はじめにロゴスありき」という聖書の言葉は、この主知主義を宣言したものだとされた。
人間もまた同じである。そこにはキリストの教えを精神によってとらえる理性的な部分があり、それに導かれて人は神を信ずるようになる。そこには精神によって知ったものを、意思しないではおれないという、人間についてのとらえ方がある。
しかしドゥンス・スコトゥスは、人間には自由な意思があって、たとえ正しい事柄に接した場合でも、それを意思しない自由があるのだとした。主意主義の考え方である。人間の信仰は、こうした自由な意思によって選択されることで始めて意味をもつのだ、そう彼は考えたのである。・・・
<そもそも、>アクィナスは、物質的なものにおいては個別化させるものは質量であり、精神的なものにおいては形相であると考えていた<の>に対してドゥンス・スコトゥスは、物的、精神的をとわず、何物かが相互に区別されるのは、何らかの質的な差異によるのであり、それはそこに形相の差異があるからなのだと主張した。」
http://philosophy.hix05.com/Medieval/medieval06.duns.html
その観念は、存在は、神とその被造物に同様の形で適用される一般的な形而上学的範疇観念である、というものだった。
神は、我々と同様の物(thing)であって、ただ、より大きくより強力なだけだ、と。
宗教改革者達のうちの誰一人として、この教義を支持すると公式に言明した者はいなかったけれど、その「論理的系」が、カトリックの秘跡的見解、とりわけ聖体拝領的現存(Eucharistic presence)の教義、の広範な拒絶(denial)であったと言えよう。・・・
<ただし、>「神の超絶性(transcendence)の順化(domestication)」を引き起こし、神をかけ離れた存在(thing apart)から経験論的(empirical)に否定することができる物へと変換したこと、についてまでドゥンス・スコトゥスを非難すべきかどうかは、それほど明白ではない。」(C)
「<キリスト教が現在のような体たらくに陥ってしまったのは宗教改革のせいだ>という<これまで紹介してきた>物語に首をひねる人に対して、グレゴリーは、もう一つの物語を提示する。
今度のは、宗教改革とは殆んど関係がないのであって、中世の神学と近世の哲学における遷移(transformations)に焦点をあてる。・・・
(単純化すれば、)議論はこのように展開される。
スコトゥスは神の超絶性を、単一の概念を神と神の被造物の双方に適用できるという主張をすることによって緩和(compromise)した。
他方、アクィナスは、神と被造物の間は類推(analogy)関係しかないと述べている。
言うなれば、かつては神と被造物は同じ山に住んでいると考えられていたが、はるか下界のことを説明するためには、我々がどれだけ傾斜をよじ登って行ったらいいのか、という疑問が生じたわけだ。
その答えは、近代科学ではあるまいか、というものだった。
<つまり、>そんなに遠くまで行く<(=登る)>必要などない、というわけだ。
神は、実際的諸目的(practical purposes)に関しては、それなしに済ませることができる仮説(hypothesis)<のようなもの>である、と。
エティエンヌ・ギルソン(Etienne Gilson)<(注16)>のようなアクィナス派に言わせれば、近代科学の神学からの切り離し、及びその結果としての<近代科学の>道徳性からの切り離しは、<スコトゥスとオッカム(後出)、それぞれによって、アクィナスが大成したスコラ哲学という、>偉大なる神学的集成(Summa)からのそれぞれ微妙な神学的訣別(departure)がなされた時に、<既に>あらかじめ決められていた(forordained)のだ。」(E)
(注16)1884~1978年。フランスの哲学者。ソルボンヌ大卒。「近代ないし近世哲学と中世哲学との連続性を主張して、暗黒の中世的な哲学史観に転換を迫り、・・・中世西洋哲学に、古代ギリシア哲学にはない、存在の優位の思想があると主張して両者の異質性を強調した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%AB%E3%82%BD%E3%83%B3
→スコトゥスはスコットランド人でしたが、スコットランドでは、ブリトン系ケルト人・・アングロサクソン渡来前のイギリス原住民と同じ民族・・であったと考えられている先住民たるピクト人に、アイルランドから渡来したゲール系ケルト人が混淆し、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%AF%E3%83%88%E4%BA%BA
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%80%E7%8E%8B%E5%9B%BD
http://kotobank.jp/word/%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%AB%E4%BA%BA
その彼らが、南西部のアングロサクソン化したブリトン系ケルト人を支配下に収め、スコットランドの領域がほぼ固まった
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
という歴史的経緯からして、スコットランド人、ひいてはスコトゥスも、ブリトン系ケルト人の古来からの自然宗教的宗教観をイギリス人と共有していたと考えられ、そのスコトゥスが高等教育を最初にイギリスのオックスフォードで受けたわけですから、彼は、あたかもイギリス人のごとく、スコラ哲学をイギリス的な自然宗教観を踏まえて改訂することとなり、その上で、これを欧州大陸に広めた、と見ています。(太田)
(続く)
世俗化をもたらした宗教改革?(その6)
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