太田述正コラム#0196(2003.11.27)
<今次総選挙と日本の政治(補足2)>
2 55年体制の残滓
コラム#159で、「改めて痛感するのは、先の大戦における敗戦やそれに伴う占領期の後遺症というより、むしろ主権回復後の吉田ドクトリンの墨守が日本人の精神にもたらした取り返しのつかないダメージです。吉田ドクトリンとは、国際社会の平和と安定の維持と自らの安全保障とを米国に丸投げし、もっぱら経済的繁栄の追求に専念する国家戦略です。私見によれば、この吉田ドクトリンの墨守は言葉の本来の意味で日本人を米国の家畜に化せしめることとなり、その結果日本人の知性は鈍磨し、かつ人間らしい惻隠の情を日本人は失うに至ってしまったのです。」と述べたところです。
その具体例を二つあげましょう。
<例の1>
「・・「軍部独裁」や「宗教独裁」などの全体主義ではなく、政治のシステムは、少数者や弱者を大切にする民主主義でなくてはならないし、人が人を殺戮することを目的とするテロ、戦争や、職業的に人を殺すことが訓練される「軍隊」もダメである。つまり、『非暴力・絶対平和』の考え方だ。その意味で、「いかなる戦力」も否定した「憲法第九条第二項」を全世界に広めようという・・運動は大賛成だ。自衛隊は一刻も早く、国民に喜ばれながら現実に果たしている『役割』に沿って、「災害救助隊」や「沿岸警備隊」へと形も中身も変更してほしいものである。戦争状態のイラクに派遣されるようなこともなくなる。」(矢野穂積・朝木直子「「女性市議転落死事件」8年目の真実」第三書館2003年11月 184頁)
前回のコラムでご紹介した本の一節です(出版社は「第三書房」ではなく、「第三書館」でした)。
こういうのを、支離滅裂な論理というのです。
殺された市議の同志と遺族である著者二人が、事件発生後8年目にして故人の名誉回復をすることができたのは、メディアと裁判所のおかげなのですが、メディアの報道の自由と司法の独立を保障しているのは日本という国家であり、その保障は窮極的には死刑(=殺戮)の宣告・執行という国家の暴力によって担保されていることを忘れてもらっては困ります(注4)。
(注4)法律で死刑を(しかも平時において)廃止した国はあるが、憲法上死刑を禁止した国は聞いたことがない。
また、その日本という国家の防衛を、「人を殺戮すること」のない「沿岸警備隊」にゆだねるということは、日本が「軍部独裁」や「宗教独裁」の国や集団の侵略を受け、国民が生命財産を蹂躙されてもこれを甘受すべきであると言うに等しいことです。
更に言えば、仮に日本の国家全体が、事件発生当時の東村山市にように、特定のセクトの強い影響下におかれてしまっていたとしたら、著者達は、一体どのように故人の名誉回復を図るつもりだったのでしょうか。
<例の2>
「最後に、<9.11同時多発テロ>のようなテロをなくすための解決方法について私見を述べたいと思います。・・<この>テロの要因は、オサマ・ビンラディンの語っているところによれば、パレスティナ問題です。・・
アメリカの同時多発テロも、パレスティナのハマスも自爆テロが武器です。自爆テロをするということは、人間が極限まで思いつめているということですから、そういう人間のことも考えてやらないといけないと思います。単にテロは悪だと片付ける事はできません。
そこで私はパレスティナ人のことも考えます。・・<イスラエルに加担するアメリカではなく、>国連が仲介して早く<パレスティナに>和平をもたらすべきです。
一旦平和が保証されれば、次にやるべきことは、パレスティナ人の生活を豊かにする施策を打つことです。なぜなら、紛争の原因の大部分は貧富の差だと思うからです。・・」(櫛谷直正「奈生香―妻をNYのテロ爆発で失いて」2002年2月 非売品 174頁) (注5)
(注5)NYのツインタワー内の外資系金融会社の役員で9.11同時テロの犠牲者となった故櫛谷奈生香(なうか=ロシア語の「自然」)さんが家内恵子の友人であった関係から、ご主人の直正氏(日本の金融機関にお勤め)から家内宛に贈られたもの。
こちらは、悲しいかな国際問題に対する無知をさらけ出しておられます。
(1) テロは戦闘の一形態に過ぎず、テロをなくす、すなわち戦闘をなくす方法などあるわけがないし、いわんや、テロ、すなわち戦闘自体に善悪があるはずがないのです。(テロももっぱら民間人の殺戮を目的とするものであれば、東京大空襲や広島・長崎への原爆投下同様、戦闘行為としては違法であって「悪い」ことなのですが、この問題を論じるのは別の機会に譲ります。)
(2) 戦闘の一方の当事者の言い分、すなわちプロパガンダを額面どおり受け取ってはならない、というのは初歩の常識に属します。
(3) 極限まで思いつめて行ったかどうかは、その行為の正当性や情状酌量性とは全く関係がありません。(なお、コラム#193で述べたように、ハマス(パレスティナ人)のテロと違い、アルカーイダのテロは、最後の手段でも何でもない、宗教的行為であり、そもそも「極限まで思いつめて」行っているわけですらありません。)
(4) 国際平和に関して「国連」とは、安全保障理事会の五つの常任理事国のコンセンサス以上でも以下でありません。コンセンサスが成立しなければ、国連は何もできないのです。しかも、この五つのうちの二カ国が中露という独裁国家及び準独裁国家です。米国単独で仲介してくれた方がはるかにマシだと、イスラエル側はもとよりですがパレスティナ側も考えています。
(5) 「紛争の原因の大部分は貧富の差」という主張は、一抹の真実が含まれていないでもない「犯罪の原因の大部分は貧富の差」という主張とは違って完全な誤りです。(これまで私のコラムを読んでこられた読者にはくどくどしい説明は不要でしょう。)
学識経験とも豊富なお三方がどうしてこんな支離滅裂な文章や無知をさらけ出した文章を書かれるのでしょうか。
怒りや悲しみが冷静な判断能力を奪ったからでしょうか。
いやそうではありますまい。
厳しすぎる言い方かもしれませんが、怒りに身を震わせ、悲しみにくれているからこそ、理性による抑制を受けることなく、戦後日本で「吉田ドクトリン」を叩き込まれてきたことによる知性の鈍磨、ないし(身内に対する愛着を超えた)人間としての惻隠の情の喪失、がそのまま純粋に発露してしまった、ということではないでしょうか。
これらの人々に罪はありません。
問題は、このような人々に受けることを狙って、いまだに純国内政治的観点から吉田ドクトリン的安全保障政策をあえて打ち出す、ポピュリスト的政治家が跡を絶たないことです。
小沢一郎氏がその典型です。
(続く)
<岩瀬>
来年アメリカ大統領選挙がありますが、ブッシュ氏の再選を危ぶむ声もあるようです。そこで、仮にアメリカで政権交代が起きた場合に、アメリカのイラク問題をはじめとする外交政策はどうなるのか。そして、もしアメリカが方針転換をした場合には、イラク問題で対米支援を行っている国々の政権、とりわけ日本の政権への影響はどのようなものになるのかに興味があります。
もちろん、まだ民主党の統一候補も決定していませんし、そもそも政権交代があるのかどうかも不明ですから、この問題に言及するにはまだ早すぎるのかも知れませんが、あり得るシナリオなど、なにかお考えはおありでしょうか。
<太田>
米国の政権交代の展望についてですが、イラク国内での対ゲリラ戦は収束の目処が立っている(ただし、散発的に起こるアルカーイダ系による自爆テロは別)というのが私の見方ですので、来年の大統領選でブッシュがイラク情勢が原因で敗れるとは思いません。
問題は経済です。現在は米国経済は「停滞」を脱し、瞬間風速的には高度成長していますが、このまま好景気が持続するかどうか、というところです。
私は個人的には民主党政権に代わってほしいと考えています。英国のブレア政権を高く評価してきた私がそう言うのはご理解いただけると思います。
英国が覇権国であった19世紀、英国は長きに渡って他国と同盟関係に入らず、名誉ある孤立というunilateralismを貫きましたが、現在の覇権国である米国にとって、ブッシュ政権のunilateralismは米国自身にとっても、また世界にとってもマイナス以外のなにものでもないからです。
英国が最終的にunilateralismを放棄したのは、ボーア戦争という英国らしからぬ(オランダ系の南アフリカ二カ国に対する)侵略戦争が泥沼化し、30万もの大軍をつぎ込むはめになってかろうじて勝利を収めることができたことに衝撃を受け、自らの驕りを反省するとともに力の限界を感じたからです。1902年に英国が日本と同盟関係に入ったのにはそういう背景がありま
す。(http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/EK27Ak01.html。11月27日アクセス)
米国がmultilateralismに戻るのはブッシュ政権の下では容易なことではないだけに、民主党政権への交代を期待せざるを得ません。
ブッシュは国内政策についても、一握りの富裕層以外の大部分の米国民のため、もう少しブレアの社会民主主義的政策を見習って転換してほしいと思いますが、転換することはないでしょう。そういう意味でも私は民主党のりです。しかしこれは内政干渉にあたるので、米国民の選択にまかせることにしましょう。
ただ、米国はその過剰消費体質を改めて貿易、財政の双子の赤字を大幅に削減しないと、いつかは世界はドルの大暴落という激震に見舞われることになると指摘されており、米国債を山のように積み上げている日本の一国民としては、米国政府がこの問題に真正面から取り組んでほしいところですが、これは民主党政権になったとしても期待できないでしょうね。
<岩瀬>
非常に丁寧なお返事を頂いて大変うれしく思います。
イギリス外交の例は興味深く拝読しました。米国が多国間協調主義へ転換することが米国を含む世界にとって望ましく、そのためには政権交代ぐらいしか道がないだろうということですね。
今日イラクを訪問したブッシュ大統領の最近の支持率は50%前後だそうでして、活気がなさそうな民主党側では、出馬表明こそしていないものの、ヒラリー氏も近くイラクを訪問するという話があり、なにやら一発逆転を狙っているようにも見えて、ブッシュ政権は相当危機感を持っているのではないかと推測しています。
ところで、私が最初の質問で一番興味がありましたのは、アメリカで政権交代が生じた場合、9・11以後のブッシュ政権の対外政策に(嫌々そうに見えるが)協力してきた日本に対して、どのような利益・不利益があるのかということです。
たとえば、新政権が、イラク問題で対立してきた独仏露中などと歩み寄った場合、日本はどのような立場に置かれるのか。置いてけぼりのような格好になってしまうのか。
あるいは、小泉首相の自民党内での影響力は、ブッシュ政権が後ろ盾になっていることが作用しているというような話をよく聞きますが、もしそうだとすると、アメリカで政権交代がおきて小泉政権がブッシュ政権の後ろ盾を失うようなことになった場合、小泉政権、ひいては日本の政治状況はどうなるのか、といったことです。
最初の質問でも述べましたように、政権交代があると決まったわけではありませんし、新政権ができたとしても、どのような対外政策(というより対日政策)になるかはわからないわけですが、どのようなシナリオがあり得るのか、お聞かせ願えたら幸いです。
<太田>
肝心のご質問にお答えしていませんでしたね。
一般論でお答えしましょう。
(以下に出てくる「米国政府」は、共和党政権と民主党政権とを問わない、ということを頭に入れておいてください。)
最初に強調しておきたいことは、私が日本は米国の保護国だと申し上げてきていることを額面どおり受け取っていただきたい、ということです。
保護国たる日本から外交・安全保障を丸投げされている米国にとって、対日政策など必要はありません。日本が米国の外交・安全保障政策の枠内にその外交・安全保障政策ごっこをとどめているかどうかを監視し、逸脱しそうになったり、おふざけの度合いがひどすぎる場合は是正を求めて圧力を加え、それでも聞き分けがなければ首相の首をすげかえ、場合によっては野党への政権交代を実現する、というだけのことです。
これも何度も申し上げていることですが、戦後日本に安全保障政策は存在しないのであって、講和以降の日本の歴代の政府は、米国の議会(世論)を逆上させない最低限度の、しかも見てくれだけの防衛力整備を行い、最低限度の、しかも見てくれだけの防衛政策を遂行してきただけのことであり、米国政府は日本政府の「安全保障政策」上の「瑕疵」をとがめて恫喝する材料に事欠きません。つまり、米国はいつでも首相の首を切り、あるいは(自民党が単独で衆参両院で過半数をとれなくなって以来、)政権与党に引導をわたすことができる状態にあるのです。
(民主党が政権をとるためには、まともな安全保障政策を打ち出し、与党の支離滅裂な安全保障政策をつくべきだと私が指摘するのは、米国の認知が得られなければ、絶対に政権はとれないからです。仮に次の総選挙で民主党が過半数をとったとしても、米国の認知が得られなければ、脱党者が続出し、民主党政権はすぐ瓦解するでしょう。保護国日本が米国からの独立を図ることを考える以前の話です。)
これは観念的に申し上げているのではなく、1997年に在沖縄米海兵隊の日本本土への射撃訓練移転問題に携わっていた私が実際に体験したことです。当時日本政府と米軍(在日米軍)との関係悪化が頂点に達し、自民党が政権を奪還したばかりで不安定であった橋本龍太郎自社連立内閣の命運は風前の灯となったのですが、米国政府(クリントン大統領)の決断で、最終局面で米軍は押さえ込まれ、橋本首相は続投することを認められました。
(拙著「防衛庁再生宣言」(日本評論社)ではそこまで書きませんでした。いずれにせよ、こんな大変な話が、全く日本のマスコミに取り上げられていないところに、日本のマスコミのだらしなさが端的に現れています。)
いささか直截的にお答えしすぎたかもしれません。
お気を悪くなさらないことを祈っております。
<岩瀬>
アメリカで政権交代に伴う対外政策の転換があろうが無かろうが、そこから日本に及ぶであろう利益・不利益について、現状の日本では外交的に対処することはできないということですね。
再度お返事を頂きましてありがとうございました。