太田述正コラム#6385(2013.8.12)
<日支戦争をどう見るか(その22)>(2013.11.27公開)
六 禁酒法
禁酒法については、何度か取り上げていますが、ローズベルト政権を語る際の枕として不可欠なので、ざっと復習しておきましょう。
「<米>国史における禁酒法(・・・Prohibition)は、1920年から1933年まで<米>国憲法修正第18条下において施行され、消費のためのアルコールの製造、販売、輸送が全面的に禁止された・・・
禁酒法に与する勢力は1840年代から1930年代への州における地方政治の重要な勢力であり、民俗宗教的な性格を持っていた・・・。禁酒法は「ドライ」 ― 主に敬虔なプロテスタントの宗派、特にメソジスト、北部バプテスト大会、南部バプテスト連盟、長老派教会、ディサイプル教会、クエーカーとスカンジナビアのルーテル教徒 ― によって要求された。彼らは政治的に不正で、個人の罪として飲んでいるものとしてバーを特定した。彼らは「ウェット」 ― 政府が道徳を定めなければならないという考えを非難した主に一部のプロテスタント(米国聖公会、ドイツのルーテル教会)とローマのカトリック教会 ― によって反対された。ニューヨーク市の「ウェット」の拠点でも、禁酒法が労働者、特にアフリカ系アメリカ人のためになると考えていたノルウェーの教会グループとアフリカ系アメリカ人の労働活動家によって禁酒法運動は活発になった。茶商と炭酸飲料メーカーも、アルコールの禁止令が製品の売上高を増加させると考え禁酒法に賛同した。・・・
1917年2月に米国全土で禁酒法を達成するための憲法修正決議が議会に提出され両院を通過した。1919年1月16日には修正決議は48の州の内36州で批准され、同年10月28日のボルステッド法によって「酔いをもたらす飲料」が定義され、0.5%以上アルコールを含有しているものが規制対象となった。1920年1月16日に修正第18条が施行され、禁酒法時代が始まった。・・・
革新派と、一般に女性、南部人、農村地帯の人々の暮らしとアフリカ系アメリカ人はそれが社会を改善すると信じ、クー・クラックス・クラン(KKK)もその厳格な施行を強く支持するという呉越同舟状態だった。・・・1932年の大統領選挙では・・・フランクリン・<ロ>ーズベルトは禁酒法の改正を訴えて勝利し、大統領となった<ロ>ーズベルトは1933年3月23日にボルステッド法のカレン=ハリソン修正案に署名し・・・1933年4月7日に施行され、さらに憲法修正第18条自体も修正第21条により1933年12月5日に廃止され、これによりボルステッド法も違憲状態となってその役目を終えた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E7%A6%81%E9%85%92%E6%B3%95
「1929年の株式市場の崩壊と大恐慌の始まりにより、人々の見解が<以下のように>変わり始めた。
人々は仕事が必要だった。
政府はカネが必要だった。
酒類製造を再び合法にすることは、市民達に多数の新しい仕事、そして政府に追加的な売り上げ諸税を創り出すだろう。」
http://history1900s.about.com/od/1920s/p/prohibition.htm
例えば、禁酒法導入に積極的だったKKKは元来は民主党の中核支持団体の一つであった(後出)というのに、民主党の大統領のローズベルトは、超党派で一旦行われた憲法改正を、(最初にして今のところ最後です(典拠上掲)が、)ご破算にしてまでして、このように、禁酒法を廃止したのでした。
まことにもって、民主党、すなわちリベラルのぶれには凄まじいものがある、と言うべきでしょう。
ちなみに、KKKについては、次のとおりです。
「マニフェスト・デスティニーを掲げ、プロテスタントのアングロサクソン(WASP)、ゲルマン民族などの白人のみがアダムの子孫であり、唯一魂を持ち一切の罪を犯していない神(エホバ)による選ばれし民として他の人種から優先され隔離されるべきである、と主張する。・・・
民主党最右翼の人種差別過激派として保守的な白人の支持を集め始めていく。・・・
しかし南部が復興する中で奴隷制こそは廃止されたが、変わって白人と黒人の「分離」という形式をとった実質的な差別法制(いわゆるジム・クロウ法)が南部各州の州法という形で制定され始め、最終的にかかる差別的法制を正当化する法理(いわゆる「separate but equal」ドクトリン)が連邦最高裁で合憲とされた(プレッシー対ファーガソン裁判)。警察の摘発に加え、目的を失ったKKKはやがて自然に消滅した。・・・
20世紀初頭、・・・「第2のKKK」が誕生する。第2のKKKは「黒人を躾ける」とした以前のKKK以上に強硬的な過激派として活動し、その思想も従来の黒人差別のみならず有色人種全体の排撃を主張した。・・・
南部の州のみならず中西部のテネシー州やオレゴン州、それにオクラホマ州ではKKKの構成員もしくはKKKに対して好意的な政治家らが州政府を支配するなど合法的な進出を果たし、インディアナ州ではKKKの構成員エドワード・L・ジャクソン (Edward L. Jackson)が州知事にまでなっている。・・・後の大統領ハリー・トルーマンもそのためにこの当時KKKに加入していた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%B3
ジャクソンは共和党ですが、
http://en.wikipedia.org/wiki/Edward_L._Jackson
トルーマンはもちろん民主党です。
ローズベルトの後を襲ったトルーマンも、筋金入りの人種主義者として出発したことを、我々は覚えておきたいものです。
4 終わりに代えて–日支戦争試論
(1)ローズベルト政権
「第41代海軍長官のジョセファス・ダニエルズ(Josephus Daniels)(1862~1948年)<(注42)は、>・・・敬虔なる福音派キリスト教徒だったが、1914年6月1日の彼の評判の悪い「一般命令99」でもって、全艦艇及び陸上基地に禁酒を課した。・・・
(注42)「政治家、新聞出版者。・・・ダニエルズをはじめとする・・・<北>カロライナ・・・州民主党員は、人種差別の論調を前面に出した白人至上主義運動を展開した。その結果、州民主党は1898年と1900年の州議会選挙で勝利を収め、アフリカ系<米国>人の公民権を剥奪することに成功した。・・・<そして、>第一次世界大戦期の1913年から1921年まで、<民主党の>ウッドロウ・ウィルソン大統領の下で・・・海軍長官を務めた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%8B%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%BA
彼は、海軍の艦艇へのコンドームの持込みを禁じ、売春婦を海軍基地の5マイル以内に立ち入らせてはならないと訴えた。・・・
他方、ダニエルズは、ウィルソンを説得し、<米海軍を>世界のどの海軍にもひけをとらないものとすべく、大戦後の時期にそれを<大西洋と太平洋の>二大洋海軍にすることへの支持を取り付けた。
彼はまた、ウィルソンを説得して、<日本をにらんで>太平洋に軸足を移すことに賛同させ、ダニエルズが1921年に海軍長官を辞した時には、弩級戦艦10隻が太平洋に配備されるに至っていた。
共和党が1920年の選挙を制した後、ダニエルズは<故郷の>ラレイ(Raleigh)に戻り、自分の諸新聞を運営するとともに、依然として恐るべき政治的な力をふるった。
ウィルソン同様の、その進歩主義(progressivism)にもかかわらず、彼は、人種平等に強く反対した。
実際、ダニエルズは、古き南部全域において黒人の権利剥奪(disenfranchisement)がもたらされるのを助けた。
戦間期においては、会員であったことはないと・・・されているものの、彼はKKKの強力な支持者だった。
・・・ダニエルズと古き奴隷所有にして農業依拠の政治的利害が率いたところの白人至上主義運動<は、>・・・共和党員達と南部における黒人達の政治的な力を毀損するために、最初は1908年に北カロライナで、後には1919年の憲法の第18次修正の批准という形で、禁酒諸法を活用した・・・。
黒人達を田舎から都市へ引き寄せたところの、繊維、家具、紙、その他の工業による新都市経済を構築しつつあったのは、共和党員達と彼らのウォール街の金融家達だった。
共和党員達は、蒸留所、ホテル、酒場(saloon)も所有していた。
これらを廃業させることによって、民主党員達は、共和党員達のプレゼンスと政治的影響力を大いに減殺することができるはずだった。・・・
戦間期において、ダニエルズは、政治的なキングメーカーであり続けた。
彼を大統領選に引っ張り出そうとする努力に抗しつつ、彼は、1932年に、南部を彼の庇護者たるローズベルトに獲得させる(deliver)ことを助けた。
そのご褒美として、ローズベルトは、彼を駐メキシコ大使にし、ダニエルズは、その職に1941年までとどまった。」
http://www.washingtonpost.com/opinions/2013/08/02/27691a20-e3ef-11e2-a11e-c2ea876a8f30_story.html
(8月3日アクセス)
ローズベルト政権、そしてローズベルト自身が、どんな輩だったのか、これまで何度も説明してきたところですが、そろそろ納得していただけたでしょうか。
チャーチルは、単なるキチガイ(双極性障害)のドアホに過ぎなかったけれど、ローズベルトは、米国の暗部を象徴するところのKKK的な人物であって、結果として、ヒットラーより一桁多い、20世紀最大の、ということは、史上最大の惨禍を人類にもたらすこととなったことが不思議でもなんでもないところの、唾棄すべき人物だったのです。
当初ローズベルトの支持者であったJ・T・フリンが予感したように、まさに、ローズベルトはファシストであり、しかも、私に言わせれば、ヒットラーより一桁以上凶悪にして狡猾な人種主義的・好戦的なファシストだったのです。
そんなローズベルトの宗派は聖公会であるところ、聖公会は、「正式名称は “The Domestic and Foreign Missionary Society of the Protestant Episcopal Church in the United States of America,”<で、もともとは英国教会であって、>・・・<米>国が<英国>から独立すると創設された<という経緯があり、>・・・歴代の<米>大統領の1/4、<米>最高裁判所長官の1/4は・・・信者で・・・<米>議会と<米>最高裁判所判事の約半分が信者」という宗派であり、「カトリック系をも含めた全てのキリスト教諸教派の中で最もリベラル寄りだとする評価<が>あ」ります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E5%9B%BD%E8%81%96%E5%85%AC%E4%BC%9A
すなわち、ローズベルトこそ、私の言う米国のリベラルの理念型的な存在である、と言ってよいでしょう。
(続く)
日支戦争をどう見るか(その22)
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