太田述正コラム#0199(2003.11.30)
<今次総選挙と日本の政治(補足3)>

 (今までのコラムで「奇想天外な」アングロサクソン論を散々聞かされた挙句、今度は手放しのイギリス礼賛(コラム#198)か、と辟易している読者の方もおられるのではないかと推察します。私だってイギリス人の陰湿さを炙り出した会田雄次さんの「アーロン収容所」は若い頃の愛読書ですし、1000年間にわたってアイルランド人を蔑み、苛めぬいたイギリス人の「本当の」姿も熟知しています。いずれイギリスの暗部についても、きちんととりあげるつもりなので、今しばらくご辛抱のほどを。)

民主党に合流した前自由党党首の小沢一郎氏と民主党の横路孝弘氏が、わざわざ日曜日の11月24日に会談を行い、「自衛隊とは別組織の国連待機部隊を新設し、指揮権を放棄し国連に委ねる」という安全保障政策で合意したということです。(http://www.asahi.com/politics/update/1124/006.html。11月25日アクセス)。
この小沢氏らの動きを受け、民主党の菅直人代表は翌25日の会見で、「国連による平和協力活動に参加するため自衛隊と別組織の国連待機部隊を創設する案について「私もかなり古くから一つの考え方として提起したことがある。これから(党内で)安全保障の議論をしていく上で、一つの大きなたたき台的な考え方だ」と述べ、党内議論を前向きに検討する考えを示し」(http://news.msn.co.jp/newsarticle.armx?id=633862。11月26日アクセス)ました。
また、自民党の加藤紘一元幹事長は27日のTV番組で、自衛隊のイラク派遣について「派兵には反対だ。イラク戦争は大量破壊兵器(WMD)があるからというのが大義名分だった。それで日本も米国に同調したが、WMDはなかった。大義はなくなった・・・米国内でもイラクから軍事的に手を引けとの意見が半分ほど出ている。米国(との関係)を大切にすることと、ブッシュ政権の政策を支持することは違う」とも語り、対米支援に傾く小泉政権の姿勢を批判し」ました(http://www.asahi.com/politics/update/1127/016.html。11月28日アクセス)。
 
 吉田ドクトリンの下で育った「善良」な市民をたぶらかして自らの権力の伸長を図ろうとするこれら政治屋諸侯には、一刻も早くお引取りを願う必要があります。
 加藤氏など、側近中の側近の長年にわたる深刻な不祥事を放置したのですから、二度と議員バッジをつけるべきではなかったのに、臆面もなく政界に復帰したわけで、彼が何を発言しようと耳を貸すべきではありません。(拙著「防衛庁再生宣言」日本評論社47??48頁で、加藤氏のあきれ果てた素顔をご披露しています。)
 特にたちが悪いのは小沢氏のかねてからの「持論」の国連待機部隊創設案です。
 55年体制下では、自民党はまともな安全保障政策を掲げるものの、社会党がこれを全面否定するので、自民党も妥協せざるをえない、という馴れ合い田舎芝居の形で吉田ドクトリンが墨守されてきましたが、冷戦が終焉し、社会党が存在根拠を失って政治の舞台から退場し始めた頃から、政府・自民党はまともな安全保障政策の実施をサボる口実がなくなって困惑しています。
そこに急遽登場したのが小沢氏の国連待機部隊創設案なのです。
 国連に部隊を差し出し、後は国連にすべておまかせするというのですから、日本がカネだけ国連の平和維持活動に拠出するのと大同小異です。この国連待機部隊創設案なるものは、日本が国家主権の発動たる集団的自衛権の行使を永久にしない・・つまりは吉田ドクトリンを引き続き墨守する・・ことだけを狙いとする、退嬰的かつ姑息な案というべきでしょう。

 いまだに吉田ドクトリンの呪縛下にある日本のなさけない状況をさらけだしたのが、イラクのティリート付近で29日に起こった日本人外交官二名の痛ましい襲撃殺害事件です。
 カンボジアでは日本人警察官が殉職し、イラクではこのように外交官二名が殉職したというのに、海外での自衛官殉職者はまだ一名も出ていません。しかも危険であり、自衛隊の部隊もまだイラクにいないため、この二名の外交官の遺体のクウェートへの搬出を米軍に依頼する始末です。
 (以上、事実関係はNHKTVのニュース及び日本経済新聞11月30日朝刊2面伊奈論説による。)
 吉田ドクトリンというのは、見てくれだけの軍隊である自衛隊を維持しつつ、その自衛隊を決して使わない、という国家戦略ですが、その吉田ドクトリンを墨守した結果、本来日本の文民を守るべき自衛隊が逆に日本の文民によって守られており、その両者とも米軍におんぶに抱っこである、というシャレにもならない現実、が白日の下にさらされたと言ってもいいかもしれません。

 公明党=創価学会との訣別に加えて、吉田ドクトリンとの訣別なくして、日本の政治が世界の範例になることはありえない、と申し上げたいのです。

(完)

<補足の補論:日本社会の先進性への留保>

 コラム184及び#185で、日本社会の先進性を指摘しました。しかし、このことについても留保が必要です。

 米国のフリーダムハウス(Freedom House)は、毎年世界の国々の自由度を発表していますが、最新のランキングでも、日本は全十三段階中の上から二番目の段階の自由度であり、日本は、一番上の段階の自由度の34カ国の後塵を拝しています(http://www.freedomhouse.org/research/freeworld/2003/averages.pdf。11月30日アクセス)。
 この不名誉な指摘を私は深刻に受け止めているのですが、日本では話題にすらなっていません。
 日本についての解説を読むと、日本における政治的自由の問題点としては官僚機構における不祥事・非透明さ、しか挙げられていませんが、市民的自由の問題点は多岐にわたっており、犯罪被疑者保護不十分、抑圧的な監獄、死刑の恣意的執行、閉鎖的な記者クラブ・取材対象との癒着、男女差別・セクハラへの寛大さ・家庭内暴力の放任・痴漢の横行・少女売春ないし援交の横行、学校でのイジメ、部落民ないしアイヌ差別、朝鮮人差別・日本国籍取得の困難さ・不法入国者(難民を含む)への過酷な取り扱い、自衛隊員/警察官/消防士の団結権の否定・公務員の争議権の否定・外国人労働者差別、戦前及び戦中の日本による他国の占領を正当化したり戦中の占領地における軍の残虐行為をかばう教科書の採択、が列挙されています(http://www.freedomhouse.org/research/freeworld/2003/countryratings/japan.htm。11月30日アクセス)。
 これらのうち、団結権、争議権のところと、教科書のところ以外は、うなずけるところが大いにあります。
 とりわけ男女差別問題と犯罪被疑者保護問題への対処は喫緊の課題だと思います。(犯罪被疑者引渡しに係る地位協定改定交渉が暗礁に乗り上げているのは、日本の犯罪被疑者保護が不十分だと米国が指摘しているため(http://www.tokyo-np.co.jp/00/sei/20031124/mng_____sei_____003.shtml。11月24日アクセス)であり、この米国の指摘は正当だ、という自覚が必要です。)
 前にも述べたことがあります(コラム#73)が、民主党は、男女差別問題等、日本の市民的自由の一層の増進にもっと積極的に取り組む姿勢を打ち出すべきでしょう。