太田述正コラム#6397(2013.8.18)
<日支戦争をどう見るか(その28)>(2013.12.3公開)
しかも、ムッソリーニ政権やヒットラー政権やフランコ政権等の「まともな」ファシスト政権とは違って、蒋介石政権/中国国民党は、下掲のように、腐敗・堕落していることで悪名高い政権/政党でした。
「政権党であり、本来は軍の上位にあるべき国民党は腐敗堕落していたため、1938年の「軍事委員会」の改変では、民衆動員等の権限は、軍の権限となっていたのである。・・・
<実際、>抗戦期の国民党政権において、軍事委員会によって重要な決定がなされていた・・・
抗日戦時において国家総動員を行おうにも、関係者の私利私欲や縄張り争いによって、予定通りに機能していないのが現実であった。」(生田頼孝「書評「中央大学人文科学研究所編『民国後期中国国民党政権の研究』」(アジア研究 Vol.52,No.1.January 2006))
http://www.jaas.or.jp/pdf/52-1/p117-120.pdf
「中国国民党の若干の指導的役人や軍事指導者は、米国によって提供された、物資、武器、軍事援助資金を隠匿(hoard)した。
これは、米国との関係の障害となる問題となった。
米大統領のトルーマンは、蒋家、孔家、そして宋一家(は)全員盗人(thief)だ」と記した。
彼らは、米国の援助から7億5,000万ドルを掠め取ったのだ。」
http://en.wikipedia.org/wiki/Kuomintang
私は、コラム#6168で、「国家元首(ないし国家指導者)夫妻がプロテスタントであった中華民国・・蒋介石夫妻は準白人と目されたに違いありません・・に米国が容易に誑かされて、同国政府に対して積極的な反日的梃入れを続けたこと<は>当然であった」と記したところですが、日本でキリスト教布教が進まないこともあり、蒋介石政権/中国国民党に、そのファシスト性や腐敗・堕落ぶりにもかかわらず、たったそれだけの理由で・・「たったそれだけの名目で」と言った方が的確かもしれません。ローズベルトの目的は米国の世界覇権国化であり、全てはそのための手段だったわけです・・入れ込んだ、当時の米国の指導層、就中ローズベルト政権は、言葉の正しい意味で狂っていた、と断定してよいでしょう。
(4)戦前の日本
キリスト教の論理を共有していたところの、スターリン主義のスターリン政府/中国共産党、ファシストの蒋介石政権/中国国民党、狂ったローズベルト政権と日本との間の冷戦及び熱戦、すなわち、日支戦争/太平洋戦争について、東アジアでただ一国、正気で冷静であった日本は、一体、どのように見ていたのでしょうか。
(これまで、英国に言及していないのは意図的であり、後ほど論じます。)
そういう観点から、改めて光を照射すべきなのが、いわゆる京都学派の哲学です。
「その詳細な定義は<様々であるけれど>・・・主なメンバーとしては、西田幾多郎、田辺元、波多野精一、和辻哲郎、三木清、西谷啓治、久松真一、武内義範、上田閑照らが挙げられる。
西洋哲学と東洋思想の融合を目指した『善の研究』などで表される西田哲学の立場に立ち、東洋でありながら西洋化した日本で、ただ西洋哲学を受け入れるだけではなくそれといかに内面で折り合うことができるかを模索した。しかしながら東洋の再評価の立場や独自のアイデンティティを模索することは次第に「西洋は行き詰まり東洋こそが中心たるべき」との大東亜思想に近づくことになった。特に西谷啓治・高坂正顕・高山岩男・鈴木成高らは、「世界史の哲学」や「近代の超克」を提唱し、海軍に接近した。このため太平洋戦争の敗戦により、戦前の京都学派はいったん没落した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%AD%A6%E6%B4%BE
時間と能力に限りがあることから、この中から、主要な西田、和辻、三木の3人に絞って、それぞれについて、若干掘り下げてみましょう。
西田幾多郎(1870~1945年)「は、高校の同級生である鈴木大拙の影響で、禅<に>打ち込むようになる。20代後半の時から十数年間徹底的に修学・修行した。この時期よく円相図(丸)を好んで描いていたという」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E7%94%B0%E5%B9%BE%E5%A4%9A%E9%83%8E
という人物です。
以下、私見ですが、彼の主著の『善の研究』(1911年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%96%84%E3%81%AE%E7%A0%94%E7%A9%B6
は、仏教の悟りを欧米哲学の概念を借用しつつ説明しようとしたものであるところ、彼は、戦時中に国策研究会<(注50)>において、大東亜共栄圏のイデオロギーとして『世界新秩序の原理』を発表しています。(ウィキペディア上掲)
(注50)「昭和初期に結成された民間の国策研究機関。電力国家管理法案をはじめとする戦時重要政策の立案に大きな影響力を及ぼした。1933年10月に結成した国策研究同志会を前身とする。1937年2月、国策研究会と改組。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E7%AD%96%E7%A0%94%E7%A9%B6%E4%BC%9A
そして、1925年に西田から招かれて京大に移った和辻哲郎(1889~1960年)は、東大に移った1934年にご承知の『人間の学としての倫理学』を著し(注51)、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E8%BE%BB%E5%93%B2%E9%83%8E
1937年に日支戦争が勃発すると、「「東西文化の総合」を「一つの世界の形成運動」のために唱え」、
http://www51.tok2.com/home/sendatakayuki/etc5/syohyou227.html
京大学部時代に西田に師事した三木清(1897~45年)は、昭和研究会<(注52)>において「協同主義」を掲げ、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%9C%A8%E6%B8%85
日本型政治経済体制のイデオロギーを構築しようとしたのです。
(注51)その直前の和辻の業績は次の通り。「1925年京都大学<に移り、>1926年岩波書店から「日本精神史研究」と「原始キリスト教の文化史的意義」を出版した。「日本精神史研究」の論文「沙門道元」は注目された。和辻は「一切衆生、悉有仏性」に「自然的態度」を見た。1927年京都大学の博士論文となった「原始仏教の実践哲学」が岩波から出版された。感受するという主観的態度でこそ「愛」とよぶ受容性の次元となる。感覚的次元をめぐるすぐれて現象学的な分析であった。」
http://www51.tok2.com/home/sendatakayuki/etc5/syohyou227.html
(注52)「近衛文麿の政策研究団体、ブレーン・トラスト(1933年12月27日設立~1940年11月19日廃止)。主宰者は、近衛のブレーンの一人であった後藤隆之助。ただし、正式な組織として発足手続が取られたのは1936年11月に入ってからである。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E7%A0%94%E7%A9%B6%E4%BC%9A
西田の『世界新秩序の原理』
http://www.aozora.gr.jp/cards/000182/files/3668_16431.html
を一部私の用語を用いて整理すれば、次のような感じです。
日本は、大東亜共栄圏を構築することで、欧州由来で同根の帝国主義と共産主義の解消を期さなければならない。
そのイデオロギーは、キリスト教でも、儒教でも、欧州由来の個人主義や全体主義でもありえず、「超越的なるものが内在的、内在的なるものが超越的と云う・・・日本精神」(=禅の精神=人間主義(太田))である。
和辻の「東西文化の総合」は説明の要はないでしょう。
そして、三木清によれば、協同主義とは、「リベラリズムとファシズムを止揚し、共産主義に対抗する」
http://kotobank.jp/word/%E5%8D%94%E5%90%8C%E4%B8%BB%E7%BE%A9
主義です。
京都学派の哲学者達による、日支戦争/太平洋戦争の規定ぶりを理解する際に留意すべきことは次の通りです。
一、彼らに限らないが、当時の日本の哲学者はドイツ観念論哲学の言葉で語るため、分かりにくい。
二、人間科学が未発達であったことから、経験科学的説明が乏しく、この点も分かりにくさにつながっているとともに、説得力の不足をもたらしている。
三、欧州文明とアングロサクソン文明を区別せず、西洋と一括りにしているため、その点で雑駁な議論になっている。
四、外国の実態とその多様性を知らない。西田には海外経験がなく、和辻には1年間のドイツ滞在経験しかなく、三木にも3年間のドイツ滞在経験しかない。この3人とも直接的なアングロサクソン体験がなく、とりわけ米国については無知である。支那についても、(西田を除けば漢籍に親しんだ様子がうかがえず、また、)滞在経験がない。ロシア(ソ連)についても同様である。(事実関係については、それぞれのウィキペディアによる。)
結局、彼らの日支戦争/太平洋戦争の規定ぶりは抽象的・観念的たらざるをえなくなっている。
その上で、私の言葉で、改めて、彼らの規定ぶりを換骨奪胎的に要約すれば、インド発祥の禅と日本文化に共通するところの人間主義と、アングロサクソン発祥の個人主義ないし欧州発祥のスターリン主義(ソ連/中国共産党)やファシズム(蒋介石政権)といった全体主義との戦いが、日支戦争/太平洋戦争である、ということになりそうです。
(ファシズムのドイツやイタリアと日本が同盟関係に入ったのは、暫定的な緊急避難的措置、ということになりましょうか。)
そして、戦争の結果は、日本は軍事的には敗北したけれど、ファシズム粉砕に成功し、アングロサクソンにスターリン主義を抑止させるさせることにも成功するとともに、人間主義を維持するための空間(日本本土)の確保にもかろうじて成功した、と言えるのではないでしょうか。
(続く)
日支戦争をどう見るか(その28)
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