太田述正コラム#0203(2003.12.8)
<イスラム社会は世俗化できるか(その2)>
イブン・ワラックは次のように述べています。(何度もお断りしておきますが、私は紹介しているだけです。(ただし、(注4)は私の責任で挿入しました。))
ブッシュ大統領もブレア首相もテロとイスラム教とは何の関係もないと言っているが、暴力的原理主義はイスラム教の本質的属性なのだ。
イスラム教には宗教と国家を分かつ考え方はない。だからイスラム社会は非寛容であり、思想の自由を認めず、世俗化が困難なのだ。
世俗化の動きは1920年代のエジプトにさかのぼることができる。パキスタンは実に皮肉なことに、無神論者のムハメッド・アリ・ジンナー(Muhammad Ali Jinnah)によって創設されたが、パキスタン人はこのことを知らないし、認めようとはしないだろう。ジンナーを継いだリアクァット・アリ・カーン(Liaquat Ali Khan)は完全に世俗化された憲法を制定しようとしたが、それを果たす直前に暗殺されてしまった。1950年代のイラクでも世俗化が進んだ。イラクでもシリアでも、それぞれのバース党の下で世俗化は一層進展した。ところが、時計の針を50年もとに巻き戻してしまったのが、1979年のイランのイスラム革命だ(注4)。
(以上、http://www.abc.net.au/rn/talks/8.30/relrpt/stories/s386913.htm(12月5日アクセス)による。)
(注4)米国のトルーマン大統領は1947年にCIAをつくったが、CIAによる外国政府の転覆は認めなかった。これを解禁したのがアイゼンハワー大統領であり、彼は1953年8月、アングロイラニアン石油を国有化したイランのモサデグ首相を追放しパーレビ国王に実権を回復させるクーデターをCIAに実行させた。翌年6月には、ユナイテッドフルーツ社の余剰農地を強制的に農民に売却させたグァテマラのアルベンス(Arbenz)大統領追放のクーデターが実行され、爾後キューバ、英領ギアナ、ブラジル、チリにおいて、CIAは次々に政府転覆を実行していくことになる。
最近の研究で、これらの国々における共産主義の脅威が誇張されていたこと、とりわけイランとグァテマラでは、クーデターの後、政治的安定が確保されるどころか、民主主義は後退し、抑圧と悲劇がもたらされたことが明らかになった。
(以上、http://www.nytimes.com/2003/11/30/weekinreview/30KINZ.html(11月30日アクセス)による。)
イラン革命は、米国のかつての愚行の帰結だと言えよう。
1971年のバングラデシュのパキスタンからの分離独立の際には、パキスタン軍によって百万人以上が虐殺され、20万人の女性が強姦され、800万人の難民がはだしでインドに逃げ込んだ。ところが、この蛮行をバングラデシュのイスラム教指導者達は支持した。それどころか、バングラデシュ内の4000にのぼるモスクは、この蛮行をけしかける広報宣伝の中心的舞台となった。そして全世界のイスラム教国のイスラム教指導者達は、イスラムの名の下で、この事態について口をつぐむか、蛮行を行っている側を支援した。この出来事は、イスラム教そのものに決定的な問題があることを示す典型例だ。
同じことが、パレスティナ、チェチェン、ボスニア、カシミール、インドネシア、エジプト、パキスタンでも繰り返されている。
ところが、そのたびに非イスラム教国のメディア等は、これは一握りの誤ったイスラム教徒のせいであり、真のイスラム教はそんなものとは無縁だ、という物分りのよい見解を垂れ流してきた。(非イスラム教国におけるイスラム教指導者達の大部分は、狡猾にもこの見解に同調するそぶりをしてきた。)
いいかげんに、イスラム教そのものに問題があることを認めようではないか。
(以上、http://www.islamreview.com/articles/islamapostasy.shtml。12月5日アクセス)による。)
どんな宗教にも原理主義はある。しかし、ヒンズー教やユダヤ教ではそもそも布教活動はしないし、キリスト教では積極的に布教活動が行われるとはいっても、かつて一部で見られた暴力でもって信仰を押し付けるやり方はとっくの昔に放棄されている。ところがイスラム教は、本来的に原理主義的であるだけでなく、いまだに暴力でもってその原理主義的宗教を非イスラム教徒に押し付けようとしている。
コーランの中には、イスラム教を強制してはならない、というくだりはあるが、棄教を暴力をもってしても押しとどめよとするくだりにこそ、イスラム教の本質が現れている。「他の神を信仰しようとする者を見つけたら、アラーとともにその者を殺せ」(??.5-6)、「不信心者にこう伝えよ。「信仰なき者がイスラム教を拒むのなら、彼らのそれまでのことは大目に見てやれ。しかし、彼らが再び信仰なき者に立ち戻ったのであれば、古よりの過酷な運命(地獄(太田))が彼らには待ち受けている。だから、(彼らのためにも)彼らがアラーを受け入れるまで戦え。」と」(??,39-42)(注5)。
(注5)1940年代に、国連で世界人権宣言の制定について審議された際、宗教変更の自由を盛り込んだ世界人権宣言第18条の採択にサウディ政府は反対した(上記イスラムレビュー)。
コーランが神自らが語ったものとされていることも、コーランのテキスト批判さえ許さないというイスラム教の非寛容性をもたらしているが、コーランの中に、神へ語りかける箇所が沢山あることや、歴史的事実の誤りや矛盾点が散見されることから、コーランが神の言葉などではないことは明白だ。
(以上、http://www.secularislam.org/articles/wtc.htm(12月5日アクセス)による。)
(続く)