太田述正コラム#6471(2013.9.24)
<英国の植民地統治(その4)>(2014.1.9公開)
「メイン<の理論に関する部分が、>この短い本の3分の1も占めている。・・・
マムダニは、メインが、当時、欧米とその残りとを区別しようとした唯一の学者ではないことを認める。
銘記すべきは、19世紀の多数の学者の中から、彼が、フェルディナント・デ・テンニース(Ferdinand de Tonnies)<(注5)>とエミール・デュルケム(Emile Durkheim)<(注6)>のような、欧米の工業化された社会とそのより「未開な」対応諸社会を比較する二分法的文化観念(notion)の生誕に貢献した二人の人物を引用していることだ。
(注5)1855~1936年。「ドイツの社会学者。・・・あらゆる社会的相互作用や集団を人間の思考と意思とがつくったものとして考え、そのなかで実在的・自然的な本質意思 (Wesenwille) と観念的・作為的な選択意思 (Kurwille) とを区別し,前者にゲマインシャフト、後者にゲゼルシャフトという集団類型をたてた。その区別は形式的類型にとどまらず、彼の歴史的発展構想においてゲマインシャフトからゲゼルシャフトへと定式化されることになった。」
(注6)1858~1917年。フランスの社会学者。「フランス系ユダヤ人<だが、>・・・彼自身は世俗的な人生を送っ<た>。・・・人間の行動や思考は、個人を超越した集団や社会のしきたり、慣習などによって支配されると<主張した。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%AB%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%A0
マムダニは、この知的パラダイムの法的繰り返しを人口に膾炙(develop)させたのはメインであるとする。
メインにとって、(そして、後には蘭領東インドにおいてクリスチャーン・スヌーク・ヒュルグロニエにとって、)法対慣習という概念的二分法は、植民地政策に長きにわたる影響を与えることになるところの、法進化論を補強(undergird)したのだ。
メインは、慣習は、文化から自身を解放できない一連の規則群であると見た上で、欧米の市民法を、慣習から理性を成功裏に分離し、社会的階統に関する欧米の諸観念を正当化した点をとらえて、それが「人間の社会的進化の例外」に他ならなかったとすることによって、慣習を擁護した。
実際、地方的諸慣習は文化的に区々たる被治者達の諸需要を充たすべく機能していたところ、<例外的に、>欧米の市民法だけが、理性の非文化的形態に恵まれていたおかげで、全人間被治者達に適用可能<なものとなったの>だった。
欧米が<例外的に>稀なる興隆を遂げ<ることができ>たのは、メインによれば、そのローマ帝国による統治のおかげであり、この恩恵に、インド人<やアイルランド人>のような、その他のアーリア諸集団は浴さなかったというのだ。
彼は、英国の功利主義者達の普遍的理性(universal rationality)<(注7)>という夢に背を向けつつ(shirking)、メインは、大英帝国の諸危機のせいで、立法を慣習で置き換え、インドにおける諸法<、すなわち諸慣習>の法典化を行うこととなった、とした。
(注7)功利主義達は、「<社会における全>個人の効用を総て足し合わせたものを最大化することを重視する・・・。・・・<その際、>効用は比較可能であると仮定される。ベンサムは快楽・苦痛を量的に勘定できるものであるとする量的快楽主義を考えた。これに対し、J.S.ミルは快苦には単なる量には還元できない質的差異があると主張し質的快楽主義を唱えたが、快楽計算という基本的な立場は放棄しなかった。・・・<なお、>功利主義は「万人の利益」となることを善とする立場を指<すのであって>、「私利」のみを図ることをよしとする利己主義とは異なる・・・。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%9F%E5%88%A9%E4%B8%BB%E7%BE%A9
<インド>大反乱は、<現地の>人々が、いまだ市民法を適用するだけの準備が整っていない発展段階にあったことの産物である、と。
こうして、諸植民地における諸危機に対する英国の政治的解として、法による統治から伝統による統治へと後退することが要請された。
これにより、進歩の速度が落とされ、<それによって>被治者たる人々をより効果的に抑え込むことができる、と目論まれた。
このように、メインは、慣習それ自体のように、空間的に固定され、文化的に静的であり、理性的理解能力のないところの、被治者たる人々に対する植民地<当局>の戦略的主権の種を蒔いたのだ。
被治者(subject)達は、市民社会の一員に選任されるのではなく、市民法と慣習法の間の法的分離を通して、守られ、保全されるものとされた。
そうしなければ、彼らは規制を受けることなく進歩し、植民地統治への脅威になる、というわけだ。
部分的に知的で部分的に政治的な<かかる>プロジェクトにおいて、メインは、土着アイデンティティを理論化したのだが、それは、研究、立法、そして保全に係る植民地諸政策を通じて強化されて行くこととなった。
フーコー的(Foucauldian)<(注8)>な知識、権力、ガバナンス、及び懲戒的統制の諸形態と、大反乱後のインドとその他の累次の植民地的諸文脈についての歴史的政治的分析、とを結合することによって、マムダニは、英国人が創造した「土着」の範疇が、主権の搭載車輛としてのみならず、植民地権力一般の正当化として機能した、と主張する。」(B)
(注8)フーコー的論議分析(Foucauldian discourse analysis)。ミシェル・フーコー(コラム#6389、6447、6457)の諸理論に立脚した論議分析の一形態であり、言語を通じて表明されたところの、社会における諸権力関係に焦点をあてる。
http://en.wikipedia.org/wiki/Foucauldian_discourse_analysis
「フーコー<は、>・・・一見ヒューマンにみえる転換において、別の種類の「権力」が生まれてきている<とする>。この権力は、監獄だけではなく、兵隊の訓練や、学校、病院などにおいても働いている<、と>。」
http://www.asahi-net.or.jp/~dq3k-hrs/untitled_000.htm
(続く)
英国の植民地統治(その4)
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