太田述正コラム#0207(2003.12.15)
<ニール・ファーガソン(その1)>
今回は、日本で著書がまだ全く翻訳されておらず、殆ど紹介もされていませんが、英米では大変な評判になっているスコットランド出身の新進気鋭の歴史学者ニール・ファーガソン(Niall Ferguson。39歳。ニューヨーク大学ビジネススクール教授兼オックスフォード大学客員教授)を採り上げることにしました。
<ファーガソンの見解>
以下は、ファーガソンの本の批評、ファーガソンの対談、ファーガソンによる小論考を参照して、さわりを私なりにまとめたものであり、ファーガソンの何冊もの本に直接あたってはいないことをお断りしておきます。(典拠はすべて12月13日にアクセスしたもの。)
1 経済と歴史
民主国家においては、経済が有権者にとっての最大の関心事だというのは事実に反する。(1932年以来の英国での政権交代50件中、経済が原因だったのは4件にとどまる。一番最近の保守党から労働党への政権交代は、経済が空前の好況を呈していた1997年に起こった。)
繁栄が自由や民主主義をもたらし、自由や民主主義が繁栄をもたらす、というのも事実に反する。そもそも、マルクス主義等の、経済が歴史を動かしていく、という経済決定論は誤りだ。人間は社会的動物であり、人間にとってより重要なのは理念や文化だ。(20世紀のドイツはその三分の一の期間民主主義ではなかったが、経済は一貫して高度成長を遂げた。不況が独裁制をもたらすものだとすれば、チェコスロバキアでは1935年に、フランスでは1936年にファシスト政権が樹立されていたはずだがそうはならなかった。ソ連は経済が破綻したために崩壊したわけではない上、その経済破綻の中から「民主主義」が芽生えた。中国は経済的に躍進を続けているが、民主主義は初歩的水準にとどまっている。シンガポールも同様だ。ユーゴは共産主義圏きっての経済の優等生だったが、共産主義の権威が失墜した後、混沌と暴力が荒れ狂い、無残な姿を晒している。1970??80年代には、相対的に経済的繁栄の下にあったアルゼンチン、チリ、ウルグアイ等のラテンアメリカ諸国の民主主義が破綻した。)
2 戦争と歴史
ヘロドトスが指摘したように「戦争はすべてのものの父」なのだ。1495年から1975年を見ると、その四分の三の期間、世界の諸大国は戦争を行っていた。
政府が戦争を始めるのではなく、戦争が政府をつくったのだ。
戦争は政治的な危機(その中には宗教、人種、文化等を要因とするものを含む)が引き起こすが、その戦争が議会制度(http://www.helleniccomserve.com/ferguson.html)、徴税機構、(戦費が税金だけでは賄えないので国債が発行され、その国債を引き受けるための)中央銀行(の創設)、(その国債を売買するための)債権市場(の創設、更には)、株式市場等の金融制度を生み出した。そして、これら金融制度が適切に機能するように法の支配が確立し、これら金融制度を適切に運営できる人材を養成する必要から教育制度が発達した。
だから、経済問題が戦争の原因だなどという議論は倒錯以外の何者でもない。
貿易、投資等の経済的な相互依存関係の増大、あるいはグローバリゼーションが戦争を減少させるというのもウソだ。20世紀初めの英独は貿易によって緊密に結び付けられていたが、1914??18年の第一次世界大戦で両国が戦うことの妨げにはならなかった。
民主主義と戦争との関係はどうか。(このくだりは、http://www.brothersjudd.com/index.cfm/fuseaction/reviews.detail/book_id/824による。)
第一に民主主義国家は戦争を厭う。ナチスドイツ、日本帝国、ソ連、中共は米英等が文句をつけない間に強大な軍事力を整備した。第二に、民主主義国家は、一旦戦争を決意すると国民は無制限に戦い抜こうとする。これに対し、独裁国家では、自分の決めた戦争でないだけに、国民が途中で嫌気がさして戦争が終わってしまうことがしばしばある。最後に、民主主義国家は、戦争が国民の意思によって実施された聖なる事業であるということから、戦争における失敗から何も学ぼうとしない。失敗を究明するすることは聖なる事業を冒涜することになるからだ。
(続く)