太田述正コラム#6481(2013.9.29)
<キリスト教が興隆したわけ(その3)>(2014.1.14公開)
(4)キリスト教の特異性
ア 大衆/普遍宗教
「オグレイディのこの本の長所は、異なった種類の宗教を明確に描写していることだ。
彼女は、ヴェーバーの大衆宗教と選良宗教の分別を効果的に用いている。
(大衆諸宗教は、マルクス主義者からの引用をここで一つ選べば、大衆にとっての阿片ないし心なき世界の心を提供する。
それに対し、選良諸宗教は哲学的に排他的だ。)
<また、特定の>場所や人種に結び付けられている諸宗教もある。
(オグレイディは、募ってきた交易と都市化は、これら諸宗教が適応しなければ消滅することを意味した、と賢明にも観察する。)
これに対し、普遍的妥当性(relevance)があると主張する諸宗教ないし諸哲学・・とりわけ、ストア派と儒教・・があった。
「イエスのカルト」というよりは「キリスト教」は、地方に根差した(grounded)国家に敵対的な大衆宗教として始まることができ、それが、悪しき老人たる聖パウロによって普遍主義的で国家を支持する選良的な宗教へと変貌したのだ。
イ アポロニウス
「オグレイディの本が光を照射する点の一つがティアナのアポロニウス(Apollonius of Tyana)<(注11)>の蘇りだ。
(注11)[15年?~100年?。小アジアのカッパドキア属州のティアナ出身のギリシャ人たる新ピタゴラス主義(Neopythagorean)哲学者。]「キリスト教がローマ帝国に蔓延していたころ、異教徒たちがキリストに対抗する聖人として、彼を持ち上げていたらしい。彼に関する多くの寓話的なエピソードが、キリストの伝説の形成よろしく行われていたらしい。・・・彼の思想は、ピタゴラスにプラトンやデモクリトスの思想を魔術的に結合させようとする一種の新ピタゴラス主義の一派であり、そうした神聖な啓蒙をバックグラウンドに、民間の間で行われていた呪術をも、より高位な教義に高め昇華させるものだったらしい。」
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/shinpi/aporoniusu.htm
http://en.wikipedia.org/wiki/Apollonius_of_Tyana ([]内)
彼は、4世紀に至るまで、異教徒達とキリスト教徒達双方を仰天させ続けた。
ルキアノス(Lucian)<(注12)>は、彼を幼児性愛者であったと主張した。・・・
(注12)Lucian of Samosata。120?~180年以後。「ギリシャ語で執筆したシリア人の風刺作家・・・彼は『ペレグリーノスの昇天』という風刺作品を書いたが、この作品では主人公のペレグリーノスがキリスト教徒たちの寛大さとだまされやすさにつけ込むという話が展開されている。これは非キリスト教徒から見たキリスト教をとらえた書物で現在残っている初期のものの一つである。また、『本当の話』という作品では、月への旅行譚を書いており、しばしば最古のSFの一つとして言及される。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%AD%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%82%B9
エウセビウス(Eusebius)<(注13)(コラム#5396、6302)>は、彼を魔術師であると非難し、ポルピュリオス(Porphyry)<(注14)>は、彼をキリスト教の諸主張を反駁するために用いた。
(注13)カエサレアのエウセビオス([Eusebius of Caesarea。]263年?~339年)。「[ローマ人たる]歴史家にして聖書注釈家。314年前後から[パレスティナの]カエサ<リ>ア・マリティマ 《(Caesarea Maritima)》Caesareaの司教(主教)を務めた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%A6%E3%82%BB%E3%83%93%E3%82%AA%E3%82%B9
http://en.wikipedia.org/wiki/Eusebius ([]内)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E8%BE%BA%E3%81%AE%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%82%B5%E3%83%AA%E3%82%A2 (《》内)
(注14)テュロスのポルピュリオス([Porphyry of Tyre。]234~305年)。「ネオプラトニズムの哲学者。《レバノンの南西部、地中海に面する都市》テュロス《(ティルス)》<(コラム#2108、3926、5390、5396)>出身。彼は師プロティノスの唯一の著作『エンネアデス』を編纂・発表した。・・・。彼の『エイサゴーゲー』は論理と哲学の手引きであり、そのラテン語訳は中世を通じて論理学の標準的な教科書となった。さらに、いくつかの彼の著作を通じて、特に『託宣からの哲学』、『反キリスト教論』で、彼は多数の初期キリスト教徒との論争に携わってい<る。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%A5%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%81%AE%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%82%B9
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%A5%E3%83%AD%E3%82%B9 (《》内)
イエスとアポロニウスとの間には、死者の起き上がり、在来の道徳性に背馳する姿勢、奇跡的諸業績や奇跡的諸生誕といった明白な類似性がある。
<ただし、>アポロニウスの方が<イエスより>はるかに多く旅をしている。
彼は、インドに赴き、またギリシャに戻ってきたと報じられている。
しかし、類似性と同じくらい相違性もあり、この点がこの類の比較研究をひどく悩ませてきた。
アポロニウスは、(「彼が実際に死んだとすれば」と保険をかけつつ、彼の伝記作者のフィロストラトゥス(Philostratus)<(注15)>が行う、アポロニウスの死に関する三つの物語のうちの一つによれば、)神殿の中で物理的(physically)に消え、その死の後に再出現した、とされている。
(注15)170/172年?~247/250年?。通称アテネ人(Athenian)。ギリシャ人たるソフィスト。[エーゲ海の]レムノス島出身と目され、アテネで教えた後、ローマに定住。
http://en.wikipedia.org/wiki/Philostratus
http://en.wikipedia.org/wiki/Lemnos ([]内)
しかし、諸福音書では、(イエスが魚を食べたり疑う使徒達に自分の傷を触ることを認めたりして)<蘇って>起き上がったイエスの肉体性(physicality)を執拗に主張するのに対し、<再出現した>アポロニウスは、幻として出現するだけで、恍惚の瞬間にある人々しかそれを見ることができない。
この点もまた、使徒列伝(Acts of the Apostles)の中で、イエスは多くの人が彼を同時に見る形で出現するところ、かかる物語とは甚だ対照的だ。
<なお、>人間が神(divine)たりうるとの観念は、オグレイディが示すように、古代世界ではごくありふれたことだった。」(A)
(続く)
キリスト教が興隆したわけ(その3)
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