太田述正コラム#6485(2013.10.1)
<キリスト教が興隆したわけ(その5)>(2014.1.16公開)
「イエスは、オグレイディにとっては、自分が聖なる存在(divine)であるなどと特段主張したわけではなく、ユダヤ人のナショナリズムの一形態を宣明(articulate)した大勢の彷徨する説教師達の一人なのだ。
(もっとも、人によっては、<イエスがナショナリストだと言うの>なら、どうして彼は彼に従う人々に対して「カエサルのものはカエサルに与えよ」と促したのだろうか、と異議を唱えるかもしれない。)
「神の子<イエス>」の名の下でローマとビザンツ帝国の皇帝達が統治したのは、オグレイディ女史の見解ではパウロによってお膳立て(construct)されたものだ。
彼は、キリスト教に、普遍主義的(=イスラム教がそうであるように、全人類にアピールする)にしてかつ政治的には無抵抗主義(quietist)という、帝国にとって理想的な衣を着せた。
この著者はいくつかの妥当な指摘を行っている。
<ただし、>古代ローマにおけるものにせよ、その他の時代におけるものにせよ、帝国の平和は一種逆説的な意味で社会的かつ文化的混乱(dislocation)の原因となった<ことも忘れてはなるまい>。
それは、交易と旅行を可能にし、異なった民族的かつ宗教的諸集団の間の交流をもたらした<からだ>。
<とまれ、>彼女の、普遍主義的宗教は帝国にとって有用であるとの主張は、妥当(sound)だが彼女だけのものではないので、英国の学者であるガース・ファウデン(Garth Fowden)<(注20)>の古代末における一神教に関する著作が彼女の参考文献中に含められてしかるべきだった。
(注20)ケンブリッジ大学神学部教授。オックスフォード大卒、同大博士。蘭グロニンゲン大、ギリシャ国立研究財団を経て現職。この間、プリンストン大、ミシガン大、仏社会科学高等研究大、独ベルリンの経済大学で客員として教鞭を執る。、
http://www.divinity.cam.ac.uk/directory/garth-fowden
グレイディ女史は、パウロは、ある意味では、ギリシャ的教育を受けローマ市民であった敬虔にして熱狂的なユダヤ人としての<彼個人としての>アイデンティティの諸問題を解決するために全人類のための宗教を考案(devise)したと<さえ>言える、と喝破する。
その3世紀後、ローマの主人達<(=皇帝達)>は、パウロ自身の諸ジレンマへのパウロの答えこそ、帝国のイデオロギー的諸需要に的確に対応していることを発見したのだ。」(C)
イエスのカルトは、<やはりパウロが考案したところの(太田)>もう一つの切り札を持っていた。
それは、信者達に永遠の命を約束したのだ。
この世におけるどれだけの苦労にせよ、不平を言わずに耐えよ。この世の後にご褒美が与えられるだろう、と。
これは信心深い人にとって慰めとなる心の状態を創り出したが、それは同時に政府にとっても<大衆用の阿片として(太田)>有用だった。」(B)
3 終わりに代えて
歴史上のイエスに関するコラム
http://www.washingtonpost.com/opinions/five-myths-about-jesus/2013/09/26/b08e8272-1c98-11e3-82ef-a059e54c49d0_print.html
(9月27日アクセス)から、いくつか紹介してこのシリーズを終えたいと思います。
まず、イエスが生まれたのはナザレ(Nazareth)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%B6%E3%83%AC
であって、伝承と無理矢理辻褄を合わせるために援用されたベツレヘム(Bethlehem)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%84%E3%83%AC%E3%83%98%E3%83%A0
ではありえないのだそうです。
また、カトリック教会ではイエスはマリアが処女懐胎して生まれた彼女の唯一の子であるとされているけれど、聖書等を注意深く読めば、イエスに(4人の?)男の兄弟と何名もの女の姉妹がいたことが窺えるのだそうです。
なお、イエスについて書かれている最初の文書はパウロの使徒書簡群(AD50~60年の間)であり、最初にできた福音書はマルコの福音書(AD70年より後)であるところ、そのいずれにも、イエスの生誕と子供時代に関する記述はない(同じコラム)というのですから、全てはそれ以降に創作されたフィクションだ、ということになります。
また、イエスがピラトゥスによって裁判を受けたとされていることについては、ゴマンといた「罪人」の一人に過ぎなかった彼が裁判を受けた可能性などまずありえず、仮に裁判を受けたとしても当時の裁判は形式的なものでしかなく、その「裁判」を総督様のピラトゥスが親裁した可能性は皆無なのだそうです。
そしてまた、刑死後、イエスは墓に埋葬されたことになっているけれど、イエスのような馬の骨については、その可能性もまた、殆んどありえないのだそうです。
いずれにせよ、イエスについて詮索することは余り意味がなさそうです。
というのも、オグレイディが示唆するように、キリスト教の教祖は名実ともにパウロであり、キリスト教なるものは実はイエスのカルトではなくパウロのカルトだからです。
しかし、そのカルトが他の数多のカルト群や倫理哲学群を差し置いてローマ帝国で最も多くの人々の心を捉え、(後にローマの国教となったこともあってか、)その後、世界最大のカルトにまで登りつめたのは一体どうしてか、という私のかねてよりの根本的疑問は、このシリーズを書き終えた現在でもなお、残念ながら十分解明されたとは言えない、というのが率直な感想です。
当時、キリスト教より荒唐無稽なカルト群ばかりしか存在しなかったということは大いにありえるし、また、ストア派等の倫理哲学が大衆にはさぞかし小難しかったのだろうといった想像はできるのですが、例えば、どうして仏教は西漸しなかったのか、等、疑問は尽きません。
(完)
キリスト教が興隆したわけ(その5)
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