太田述正コラム#0210(2003.12.18)
<ニール・ファーガソン(その4)>
(コラム#208と#209をそれぞれ一部手直ししてホームページ(http://www.ohtan.net)の時事コラム欄に再掲載してあります。)
<コメント>
結論を先に申し上げておきますが、私は以上ご紹介してきたファーガソンの見解におおむね同意です。
「おおむね」というのは、戦前の日本をナチスドイツと同一視している、等の問題があるからです。
それでは具体的にご説明しましょう。
ファーガソンは、グラスゴーのカルヴィン派の家庭に生まれ、グラスゴーで育ったスコットランド人です(ロバートフルフォード前掲及びhttp://www.telegraph.co.uk/arts/main.jhtml?xml=/arts/2003/02/04/bvnial04.xml(12月13日アクセス))。
私は、スコットランド人史家ファーガソンの持ち味は、イギリス人を熟知しつつ、しかし「外国人」としての客観的な目でイギリス人のホンネを抉り出し、そのホンネに従って世界の近現代史を再構築したところにある、と思っています。
1 「経済と歴史」について
ここでのファーガソンの見解は、マックス・ヴェーバーの見解(コラム#16)と同じであり、私としても異存はありません。
ただ一点補足しておきましょう。「民主主義形態の政府や比較的自由なメディアが存在する国々では大飢饉と呼べる事態など一度も起こったことがない・・イギリス支配下にあったインドにおいて<は>独立直前まで飢饉が絶えることがなかった・・1943年にベンガル大飢饉が起こ<ったが、>それによって餓死した人々は、200万人を超すといわれてい<る>。・・中国<で>は・・1958年から61年の大躍進政策の失敗につづく飢饉では3,000万人が餓死してい<る>。それとは対照的に、インドは独立以来飢饉を一度も経験してい<ない>。」(アマルティア・セン「貧困の克服―アジア発展の鍵は何か」集英社新書2002年38、50、114、153頁)
2 「戦争と歴史」について
戦争が行財政制度や金融制度を作り出したというファーガソンの指摘は、私自身がかねてより(例えばコラム#128)行ってきたところであり、その通りです。(ファーガソンの本も読んだ上で、コラム#128でも書いたように、いずれきちんと論じたいと考えています。)
補足ですが、戦争が経済を質的に量的にも発展させる(拙著「防衛庁再生宣言」第7章)ことも忘れてはならないでしょう。
しかし、民主主義と戦争の箇所については大いに不満があります。
私がかつて指摘した(拙著第5章)ように、民主主義もまた戦争が生み、育てたのであって、民主主義国は必ずしも戦争を忌避するとは限らないからです。
とりわけ問題なのは、ファーガソンが戦前の日本をナチスドイツ同様の非民主主義国家と見ている点です。
何度も申し上げてきたように、1925年の普通選挙法成立をもって民主主義が確立した日本では、1933年の授権法によってヒットラーが全権を握ったナチスドイツ(http://www.sqr.or.jp/usr/akito-y/gendai/47-nazis1.html)とは異なり、先の大戦中も民主主義が機能し続けた(拙著第5章及びコラム#47、#48)のであって、ファーガソンの認識は誤りです。
日本にとって先の大戦は、民主国家たる日本がファシストたる中国国民党、共産主義を奉じる中国共産党、更にこの両者と好を通じる共産主義国家ソ連と熱戦、冷戦を戦っていたところに、(米国を対ナチスドイツ戦に引き込みたかった英国の意向を受けて)米国が日本に無理難題をふっかけ、日本を対米開戦(=三国同盟に基づくナチスドイツの対米開戦)に追いこんだために始まったものなのです。
3 「Imperial Understretch」について
(私も意見を同じくするところの)覇権国有用論に立脚したここでのファーガソンの指摘には、極めて興味深いものがあります。
とりわけ、英国の第一次世界大戦参戦(対独開戦)は誤りだったとする指摘は重大です。
この誤った戦略的意思決定が災いして英国が世界の覇権国の座から滑り落ちてしまい、他方で米国にはまだ世界の覇権国の地位を引き継ぐ意思がなかったため、東アジアには完全な力の空白が生じ、力不足の日本が東アジアにおける地域覇権国としてこの空白を埋めざるを得なくなってしまったからです。
その「地域覇権国」日本の「覇権」の行使を執拗に妨害したのが米国でした。
米国は日米提携を追求するどころか、まず英国に日英同盟を解消させ、その結果、日本は孤立無援の状況で、上述したように、ソ連、及びこのソ連を後ろ盾にし、かつナショナリズムの名を借りた 支那のファシズムと共産主義と対決させられる羽目になります。そしてその後も、米国は積極的に中国国民党及び中国共産党への支援を行っていき、万策尽きた日本は最終的にファシスト国家ナチスドイツとの同盟を選択してしまうのです。米国のこの愚行の総仕上げが「太平洋戦争」だった、ということになります。(拙著第9章参照)
ところで、米国がこのような「愚行の総仕上げ」をしたのは、英国の要請によるものであり、英国がかかる要請をする必要に迫られたのは、ナチスドイツを早期(もちろん三国同盟などができる前)に叩かなかったという、ファーガソン指摘の英国のもう一つの誤った戦略的意思決定のせいでしたね。
つまり、没落しつつあった老練な英国の上手の手から二度も水がこぼれたことと、図体だけはデカイけれど子供並みの頭しかなかった米国がよってたかって日本と東アジアを悲劇に追い込んだ、ということになります。
(続く)