太田述正コラム#0211(2003.12.19)
<ニール・ファーガソン(その5)>

 (コラム#210の「てにをは」を直してホームページ(http://www.ohtan.net)の時事コラム欄に再掲載してあります。)

4 「良い宗主国・悪い宗主国」について
 
 植民地統治については宗主国間において相対的な評価がなされるべきである、とのファーガソンのスタンスに私は賛成であり、英国が欧州列強に比べて相対的にマシな宗主国だったという彼の指摘はその通りです(コラム#149)。
 しかし、ファーガソンは、独立後、英国の旧植民地の経済等のパーフォーマンスが格段に滴下したと言っているところ、「かつて植民地であった国の経済的パーフォーマンスは、旧宗主国別に、日本>ロシア>米国>オランダ>英国>フランス、の順序である」(コラム#197)ところから見て、独立前といえども、英国の植民地の経済的パーフォーマンスは自慢できるほどの高さではなかったのではないでしょうか。
 私は以前、宗主国が植民地の原住民の自立心と自尊心を確立ないし強化したかどうかが旧植民地の独立後の経済発展を左右するのではないか、という問題提起をしました(コラム#201)。
自立心と自尊心の確立強化や経済の発展のための必要条件が基礎教育の普及です。(もとよりこれは必要条件であって十分条件ではありません。基礎教育の普及に力を入れつつ、それがむしろフィリピン人の自立心と自尊心の確立強化や経済の発展を妨げた、米国によるフィリピン統治のケース(コラム#201)を思い出してください。)
日本の植民地統治と比べて英国の植民地統治が格段に見劣りするのが、この基礎教育の分野です。ノーベル経済学賞を受賞したインド人、アマルティア・センは、「インドでは、基礎教育・・は、つねに無視されつづけてき<た>。その結果として、インドの成人人口の約半分は、今なお識字能力を欠いている・・。」(セン前掲34頁)と言っていますが、これは独立後の歴代インド政府の責任である以上にインドを150年にわたって統治した旧宗主国英国の責任でしょう。
結局のところ、露骨な収奪を行った欧州列強の植民地統治に比べれば、英国の植民地統治は、植民地への投資から長期にわたってできるだけ多くの収益を確実に回収する、という資本主義的経済計算に立脚して行われた、という点でより合理的であっただけのことであり、原住民側から見れば、もっぱら搾取が行われただけであったという点では、欧州列強と英国の植民地統治との間に基本的な違いはなかった、と総括していいでしょう。
 私はファーガソンが、欧州列強や英国のそれと一味もふた味も違う日本の植民地統治を視野に入れなかったために、彼の指摘が甚だバランスを欠いたものになったことを惜しみむものです。

 なお、ファーガソンは、インドのナショナリズムが英国製だとしており、その点は否定できないものがある(マハトマ・ガンジーを論じたコラム#176参照)のですが、インドを含めた英国や欧州列強の植民地原住民を独立に向けて覚醒させる決定的な契機となったのは、1896年にアビシニア(エチオピア)のメネリク二世がアドワの戦いでイタリア侵攻軍を撃破して独立を維持したことや、1904-1905年の日露戦争で日本がロシアに勝利したこと(大川周明「復興亜細亜の諸問題」中公文庫1993年(原著再刊は1939年)82頁、及びhttp://www1.ttcn.ne.jp/~africanhistory/abyssinia.htm)であったというべきでしょう。

 また、ここでもファーガソンは日本をナチスドイツと同一視しており、既にこのことに対する批判は十分行いましたが、若干付言しておきます。
 彼がナチスドイツのホロコーストと日本の南京事件を同列に並べているのは全くいただけません。(なぜかは説明するまでもありますまい。)
 このような、「戦前の日本嫌い」のファーガソンの指摘に接して改めてひしひしと感じるのは、ホンネのところでイギリス人が抱いているであろう日本への憎しみです。英帝国の崩壊は避けられなかったとしても、第二次世界大戦直後に早くも崩壊しまったことについては、ファーガソン自身が認めているように、英国の戦略的意思決定の誤りによる自業自得であるわけですが、一般のイギリス人にはそれがいかにも日本のせいのように見えるであろうからです。(私がエジプト滞在当時の1958年に、小学校の夏休みに母親と一緒に欧州と英国を旅行したのですが、ロンドンで我々母子を日本人と知った通りすがりのイギリス人から悪罵を投げかけられたことを思い出します。)

5 「現代世界」について
 私はここでのファーガソンの指摘には特段異存はありません。
 あえて付け加えるとしたら次の二点です。
私が当面望んでいることは、世界及び米国自身のために米国がよりmultilateralに行動してくれることです。日本は英国と手を携えて米国をmultilateralismへと促すべきでしょう。
中長期的には、ファーガソンも指摘するように、米国単独での覇権の維持は困難だという問題があります。私は日本のイニシアティブの下、米国とアングロサクソン諸国と日本が積極的に提携して自由・民主主義と法の支配を旗印とする覇権連合を形成することによって、世界が「歴史の終わり」(フランシス・フクヤマ)に向かって引き続き前進を続けることを心から願っています。

(完)

<読者>
昨日の続きのような歴史の話になりますが、戦略的判断ミスは日本に限らず、アメリカやイギリスもおかしている。これは後世になっての反省から出てくるのですが、外交戦略において最善の策がとれないのはやむをえないだろう。必ずしも相手が合理的、理性的判断をしてくれるとは限らないから、正しい判断をとったとしても最善の策ではなかった結果を招くこともある。
 岡崎久彦氏が指摘しているように日英同盟の解消は日本とイギリスにとって悔やまれるところです。これはアメリカの戦略である、日本とヨーロッパを組ませてはならないとする戦略から、アメリカの横槍で日英同盟は解消された。もし日英同盟が継続されていたならば、イギリスはシンガポールと香港の要塞は失わずに済んだだろう。日本も外交的に孤立することはなく日独伊の三国同盟はなかったはずだ。
 明治初頭の東アジアは、ロシアの南下政策にイギリス一国では対抗できず、日本を近代化してロシアに当たらせる戦略がイギリスにあった。その結果が朝鮮半島の併合と満州国の建設となり、台湾も中国から日本へ割譲された。しかしながら昭和の軍人達はこの戦略が理解できず、中国からインドシナへ勢力を広げてしまった。アメリカは中国の市場を狙っていたが日本に独り占めされ、日本と開戦になった。
 結果的にはアメリカの一人勝ちであり、イギリスは多くの植民地を失い、日本は朝鮮と台湾を失った。この結果で日英の軍事的後退はアメリカ一国が世界の制海権を握ることになった。しかしイラク問題に見るようにアメリカの軍事的弱点もあらわになり、経済的破綻がアメリカ一国主義の破綻に繋がるだろう。アメリカが再び大戦前の孤立主義に引篭もった場合、その軍事的空白をどこが埋めるのだろうか。日本とイギリスしかありえない。
とくに太平洋においてアメリカが引いた場合、中国とロシアが西太平洋に制海権を確立するだろう。果たしてそれはアメリカにとって容認できることであろうか。アメリカ本土の沖合いを中国やロシアの潜水艦が出没することは望まないはずだ。明治初頭のイギリスのように日本を盾にして中国とロシアに当たらせるはずだ。そのためにアメリカは日本をイラク戦争に強引に引きずり込もうとしている。
 昨日のニュースで日本もMD計画が本格的に開発されることが決まった。これもアメリカの戦略の一環であり、日本の金で技術開発が進められるのだろう。それまで北朝鮮の金正日はがんばって日本を脅迫し続けてもらわねばならない。だから北朝鮮を崩壊に追い込むのはいつでも出来るが、そうしないのはアメリカの計算だ。
もう一つアメリカは中国に対して台湾という人参を目の前にぶる下げている。台湾の独立は認めないとしながらも、中国の武力による併合は認めないというのはどういう思惑なのだろう。中国がこのまま軍事力が強化され近代化したばあい、アメリカ一国の支援では守りきれないだろう。この場合も日本が盾となる役割を負わせるのだろう。日清戦争前の状況に東アジアは似てきている。