太田述正コラム#6537(2013.10.27)
<台湾史(その1)>(2014.2.11公開)
1 始めに
読者のHSさんから、その愛読著書の提供を受けた(コラム#6470)中に、言及のなかった伊藤潔『台湾』(1993年8月。中公新書)という台湾史の本が入っていました。
(たまたま、コラム#39でこの本に言及がなされています。)
台湾史に取り組もうと思ったのは、コラムを書き始めて以来、日本史を取り上げてきたのは当然ですが、日本以外については、イギリス、欧州、米国、中東といった遠い所の歴史ばかりを取り上げ、日本に近いところでは、支那の歴史こそ取り上げてきたけれど、旧日本帝国領であった南北朝鮮や台湾については、殆んど取り上げていないことに忸怩たる思いがあったからです。
そこで、まず、台湾について、出版から20年経っているこの本を俎上に載せ、最新のネット上の情報を参照しつつ、台湾の歴史を押さえておきたいと考えた次第です。
ちなみに、伊藤潔(1937~2006年)は、「東アジア政治外交史専攻の歴史学者、同地域研究者。東京大学大学院博士課程終了、文学博士。日本統治下の台湾に生まれ、中華民国籍を経て、日本に帰化した。二松學舍大学教授を務めた。帰化以前の名は「劉 明修」であったが、日本国籍取得時に「伊藤 潔」に改名。 なお、「伊藤」という姓は、伊藤 潔が最も尊敬する人物伊藤博文から苗字を拝借したものである。」という人物です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E6%BD%94
2 前史
「ポルトガル<は、>・・・1537年には中国のマカオを占拠した。種子島に漂着したポルトガル船が、日本に鉄砲を伝えたのは、それから6年後の1543年のことである。
台湾<が>・・・「発見」された<の>・・・は、・・・1544年のことと推定されている。倭寇や海賊は、中国の沿海地域を荒らしまわり、官憲の反撃に遭うと、まずは澎湖列島に逃げ、さらには台湾に逃げた・・・。官憲は澎湖列島までは追撃するが、台湾までは深追いしなかった。16世紀のこの頃、明王朝はまだ台湾の地理に不案内で、そこは風土病の蔓延する、恐ろしい未開の地と考えられていた<から>である。」(1~3)
→「1537年には中国のマカオを占拠した」については、「占拠」は間違いですし、1537年という年が登場するのも意味不明です。
マカオに関する英語ウィキペディア
http://en.wikipedia.org/wiki/Macau
によれば、大方、以下の通りです。(直接関係のない話まで拾ったことをお断りしておきます。)
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1513年にポルトガル人が支那に初めて上陸した。1535年にポルトガル人交易者達はマカオの港に投錨し、交易活動に従事することが認められたが、陸上にとどまる権利は与えられなかった。
1552~53年頃、彼らは、海水に浸かった商品を乾かすために陸上に貯蔵庫を設ける臨時許可を得た。それからすぐ、彼らは、恒久的倉庫を設けた。
そして、1557年に、銀で地代を払うことで、恒久的入植地を設け、爾後、1863年に至るまで毎年地代を払い続けた。
1564年までには、ポルトガル人は、欧州とインド、日本、支那との間の交易に従事するに至っていた。
17世紀には、2,000人のポルトガル人のほか、5,000人の奴隷と20,000人の支那人がマカオに住んでいた。但し、自治が認められたのは1840年代になってからだ。
1576年には、マカオに司教区が開設された。
1583年には、マカオのポルトガル人は、支那当局の厳しい監督の下、設立された議会(senate)で、自分達に係る社会的経済的問題を取り扱うことが認められたが、主権の移譲はなされなかった。
1622年6月24日、オランダがマカオを奪取しようと、800人の兵力で攻撃を仕掛けてきたが撃退された。
防衛にあたったのは大部分がアフリカ系の奴隷であり、後は少数のポルトガル人兵士と僧侶だけだった。
マカオが、清との条約に基づき、公式にポルトガル領になったのは、1887年12月1日のことだ。
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このくだり、私が、明が、まだ衰えていない時期に、果たしてポルトガル人に「占拠」を許すだろうか、という疑問を抱いて英語ウィキペディアをチェックしたところ、案の定、間違いであることが分かったものです。
なお、マカオの英語ウィキペディアは、香港等にいる、英語に通じたところの、英国人を始めとする人々が鵜の目鷹の目で読み、書き込んでいるはずであることから、信頼できると思います。
台湾についての著作だとは言っても、台湾から目と鼻の先のマカオについてのこのような杜撰な記述からすると、(鬼籍に入っておられる著者には失礼ながら、)この本全体の記述の信憑性に疑問符を付けざるをえない、と感じた次第です。(太田)
(続く)
台湾史(その1)
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