太田述正コラム#6561(2013.11.8)
<映画評論40:インサイド・ジョブ(その4)>(2014.2.23公開)
 ・・・ファーガソン氏は、(<映画>『資本主義–愛の物語(Capitalism: A Love Story)』のムアー(Moore)氏<(コラム#502、1784、4991)>とは違って、)2008年における不良債権買取プログラム(TARP)<(注21)>その他の企業への諸資金援助については、何の苦情もないようだ。
 恐らくは、市場への政府のあらゆる介入は最善を期してのものに違いないということなのだろうが、それは、資金援助を受ける側の誰も牢屋に行かず、また、彼らの大部分が不正手段で得た何百万ドルを返さなくてよいという前提の下で行われたものだ。
 (注21)Troubled Asset Relief Program。「金融機関や年金基金、地方政府などが抱える不良資産を買い取り、米住宅バブルの崩壊に端を発した世界的な金融危機への対処を目指<した[2008年10月]のプログラムないしはそれを規定した法律>。金融市場への政府介入としては1930年代の世界大恐慌以来、最大規模<であり、>当初の買い取り資金枠は2500億ドル。最大7000億ドル・・・の公的資金投入を可能とする<内容>。」
http://www.afpbb.com/articles/-/2522658?pid=3383947
http://en.wikipedia.org/wiki/Troubled_Asset_Relief_Program ([]内)
 もちろん、ここでファーガソン氏に同情することはできる。
 彼は、諸資金援助は、思い返してみれば、悪い連中のかくも気違いじみた諸リスクを犯すというふるまいを、この諸リスクが納税者にとってのみ不利に働く結果となったことで、合理的なふるまいにしてしまったことに殆んど気付いていないのだ。
 もし、金融諸機関が、彼らがそうしたように、彼らの諸リスクを、他の人々或いは納税者に転嫁(shift)することができるのであれば、理論上は、リスクが彼ら自身にとってのみ増大すべきであったことの帰結である、とは本質的に言えない。
 <だから、>「規制緩和」が非難されなければならないというのはナンセンスなのだ。
 同じことが、ファーガソン氏によって見極められた有罪の奴ばら達であるところの、一般的には「諸デリバティブ」、そして、とりわけ、「諸CDS」、についてもあてはまる。
 彼は、諸デリバティブは諸市場を不安定にすると我々に告げるが、この命題に対して、何の証拠も提示されない。
 <そもそも、>諸市場、とりわけ住宅市場と抵当市場は、いずれにせよ不安定であって、それは諸デリバティブとは何の関係もない諸理由によるのだ。
 しかし、彼らは、自分達の自己満足のために「規制緩和」こそ全目的的身代わり鞭打たれ少年であるということにした結果、デリバティブが規制緩和で創り出された包括的悪の中に入っているに違いないということを示唆するためには、それが「規制されていない50兆ドル産業」である、ということを言えば足りるのだ。
 ファーガソン氏が、抵当権付(mortgage-backed)の諸債務担保証券(collateralized debt obligations =CDO)の発行者達について、「債権者達にとっては、人々が」自分達の「諸ローン」を返済できるかどうかなどどうでもよかった、と言うのが仮に正しいとしても、それは、糾問を舞台裏へと広げさせるだけ(、或いは広げさせるはず)だ。
 <そもそも、>どうして、債権者にとっては自分のカネが返済されるかどうかなどどうでもよかったのだろうか。
 ファーガソン氏は、<それがどうしてか、>分かっていないし、考えようともしていないようだ。
 同様、この映画が、ムーディーズ、スタンダード・アンド・プアーズ、そしてフィッチ、という格付け諸会社を、「有毒(toxic)諸資産」であることが判明することとなる諸CDDにインチキなトリプルAを与えたことで非難するのは、疑いもなく、全く正しい。
 しかし、どうして、彼らはこんな、自分達がお払い箱になってしまうようなことをやったのだろうか、また、これらの格付けに依存していた人々が自分達がだまされていたことを発見するのにかくも長い期間がかかったのだろうか。
 このような疑問は、殆んど詳しく追及されていない。
 <詳しく追及していたならば、>その<結果得られた>諸解答は、我々がそれらを持っておれば、我々の諸問題全てを解消していたであろう政治的動機に基づく魔法の杖であるところの、より増大する規制と高い諸税金、<という考え方に対して、>思うに、疑問を生ぜしめていたであろうに・・。
 また、諸CDSについても、自分が所有していないものさえをも含むあらゆるものに発散的にかける(take out on)ことができる保険であって、その結果、保険会社にとってはリスクが当然増大する代物である、と<この映画では>説明される。
 しかし、それらが正しく使われた場合にリスクを管理する手段に過ぎないところの与信諸手段(credit instruments)それ自体ではなく、どうして、保険会社、この場合はAIG<(注22)>が、そのリスクをを納税者に転嫁することができたか、こそがここでの実体的な話なのだ。
 (注22)「アメリカン・インターナショナル・グループ(American International Group, Inc., AIG)は、<米>国ニューヨークに本拠を置く保険会社。・・・米経済誌『フォーブス』が2007年3月29日に発表したForbes Global 2000(世界優良企業2000社番付)2007年版では全業種通算で世界第6位に、保険セクターでは第1位にランキングされてい<た>。・・・2007年にアメリカでサブプライムローン問題による金融危機が起こった。AIGもサブプライム関連の金融商品を抱えていたため例外ではなく、住宅価格の低下や金融商品の格下げの影響を受け多額の損失を抱えた。損失額は2008年通期で992億9000万ドルとなり、<米>企業史上最大の赤字額となった。・・・FRBは・・・AIGの資産を担保とし、最大で850億ドルを融資することを決定した。また、これと引き換えに、<米国>政府がAIGの株式の79.9%を取得する権利を確保し、政府の管理下で経営再建が行われることとなった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97
 それが米国の人々に対する巨大な信用詐欺になったとすれば、それは、真の保険業者、ないしは再保険業者が、実はあなたや私であったからなのだ。
 どうしてそんなことが起こったのだろうか。
 この、公衆(public)の損失の下での巨大な私的諸利得についての<皆さんの>諸苦情は、自分達自身の愚かさと放蕩(profligacy)のツケを払うよう仕向けられるべきであった者達に資金援助したところの、ブッシュ、オバマ両政権及び米議会内の民主・共和両党の圧倒的多数派等に向けられなければならないのだ。
 (規制緩和を通じて!)市場にそれ自身の規律を行使させることに消極的である以上は、我々の政治階級が、何十億、いや何兆ドルを受け取った者達に対していかなる懲罰を与えることにも消極的であったことは予見通りのことだったのだ。」(G)
→世界一の保険会社を倒産させたら、その影響は計り知れないのであって、米国の行政府と立法府が一丸となって、公的資金を投入してこの保険会社を一時国有化した判断は正しかったと言うべきでしょう。
 もとより、AIGの経営者達に何らペナルティが課されなかったとすれば、確かにそれは問題ですが、そんなことは、本質的な話ではありえません。(太田)
(続く)