太田述正コラム#6611(2013.12.3)
<台湾史(その19)>(2014.3.20公開)
「台湾経済の工業化の展開をかえりみれば、1950年代の輸入代替工業化、60年代の輸出志向工業化、70年代の重工業化、80年代のハイテク産業育成の過程をたどり、90年代はハイテク産業を軌道に乗せ、技術先進諸国に伍すだけの競争力の確保をめざしている。・・・
日本の「下請け構造」<は>深刻な問題である。
台湾の輸入は、ながらく日本が第一位を占めつづけ、対外貿易赤字も日本が第一位である。・・・台湾の輸出が増大すれば、対日貿易赤字も増大するため、輸出に依存する台湾経済は、まさに日本の「下請け構造」になっている。また、台湾が輸出で得た貿易黒字の大半は、対日貿易赤字を埋めている。」(201、204~205)
→要は、台湾も韓国同様、経済的には日本の植民地であり続けている、ということです。しかも、戦前とは違って、両「国」とも、一貫して毎年大幅な貿易黒字を日本に貢いでくれ続けています。それでいて、戦前・戦中とは違って、日本「本土」は、両「国」に対する軍事安全保障上の責任を「宗主国」米国任せにすることによってほぼ完全に免れる、という状況を良しとしたまま、現在に至っているわけです。(太田)
「1971年7月のキッシンジャー米国大統領特別補佐官の秘密訪中と、ニクソン大統領の訪中発表から3ヵ月後の10月に、台湾は国連を脱退した。台湾と日本は翌1972年9月に断交<した。(注48)>・・・
(注48)「1972年7月7日に内閣総理大臣に就任した田中角栄は、同年9月に自ら中華人民共和国を訪問し・・・9月29日、・・・「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」(日中共同声明)に<周恩来首相とともに>署名<し、>国交正常化が成立した。このとき日本はニクソン訪中宣言の後に対中アクションを起こしたにもかかわらず、<米国>よりも先に中国を承認<したわけだ。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E4%BA%A4%E6%AD%A3%E5%B8%B8%E5%8C%96
軍事的にも経済的にもながらく米国の「保護下」にもひとしい協力関係にあった台湾にとり、<カーター政権による>1979年1月の台米断交はもっとも大きな打撃であった。しかし、米国政府は国交は断絶したが、・・・同年4月に過去の「米華共同防衛条約」に代わる、国内法の「台湾関係法[(Taiwan Relations Act)]」を制定した。この国交を断絶した国を対象とする法律は、実質的な関係を維持するためとはいえ、きわめて異例のことであり、外交史または国際政治史の初の試みといえよう。
「台湾関係法」は18ヵ条からなり、国民党政権よりも「台湾住民」と米国の関係に重点をおいている。その適用の範囲は台湾ならびに澎湖列島とされ、つまり国民党政権が支配している金門と馬祖にはおよんでいない。また、「台湾統治当局[(governing authorities on Taiwan)]」とは、現に台湾を統治している国民党政権と、それを継承する統治当局を指すと明確に記している。・・・
→金門(Jinmen)、馬祖(Matsus)だけではなく、東沙諸島(Pratas)、及び、南沙諸島中の太平島(Taiping Island)にもおよんでいない
http://en.wikipedia.org/wiki/Taiwan_Relations_Act (直上2カ所の[]内も同様)
のであり、伊藤の記述は、ここでも極めて不正確です。
なお、これらの「領土問題」は、将来、台米関係、ひいては日米関係に、尖閣問題以上に軋轢を引き起こす可能性があります。(太田)
<同法には、>広範な課題が盛り込まれている。その主なものには、一、西太平洋地域の平和と安全、および安定の維持、二、台湾との各種の関係の維持、三、台湾問題の平和的な解決、四、台湾に対するボイコットと封鎖の排除、五、台湾に対する防衛的な武器の供与、六、台湾に対する武力行使と圧力の排除、七、台湾住民の人権の擁護、などがある。・・・
「台湾関係法」の第2条のC項には、「すべての台湾住民の人権を守り、かつこれを促進する合衆国の目的をここに改めて表明する」と記されている。これを受けてレーガン大統領が、1985年8月に署名した「外務授権法(1986~87年度)」には、「台湾における民主主義」の項目がもうけられている。それには「台湾における民主化運動のいっそうの発展は、米国が台湾関係法で規定されている道義的、法律的な義務を継続するための支えとなる…台湾関係法の精神にもとづき、その目的に向かって、台湾が力強く前進するよう、米国は台湾当局に勧告する」と・・・明記されている。・・・
台湾と米国は国交関係はないものの、米国は「台湾関係法」で台湾を主権国家に準ずる「政治的な実態」として認め、防衛に必要な武器を提供するばかりでなく、経済的にはそのマーケットを開放してきた。また、米国は台湾と中国の関係についても、1989年7月に上院で「台湾の前途に関する決議」を採択し、「台湾の前途はいかなる脅威も受けず、かつ台湾住民の受け容れられる方式で解決しなければならない…米国と中華人民共和国の関係は、中国政府が台湾に対する武力脅威を放棄するか否かに関わっている」と述べている。国際社会で孤立を余儀なくされている台湾、とくに国民党政権にとり、米国こそは頼みの綱であり、民主化の要請は無視できなかった。」(207~210)
→伊藤が、台湾民主化の要因として、ここでも米国による「圧力」だけにしか言及していないのは遺憾です。
「匪賊」が権力とそれに伴う金づるを、それだけのことで手放すワケがないではありませんか。(太田)
(続く)
台湾史(その19)
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