太田述正コラム#6647(2013.12.21)
<個人主義の起源(その5)>(2014.4.7公開)
正確な計測へのニーズは、借地料がその土地の生産性に即していることを保証したところの、古い封建的な「見積もり屋(overseer)」ではなく、経緯儀と両脚規に類似した諸道具を装備し、三角関数のような数学的諸新機軸(innovations)を活用したた「計り屋達(measurers)」、という新しい種類の測量士(surveyor)によって満たされた。
測量士達が<土地という>財産を具体化すると、抵当(mortgage)法に微妙な変化が起き、土地を金融的な力(muscle)へと変える(translate)道を開いた。
→リンクレイターが、この部分で言っていることには疑問符が付きます。
というのも、イギリスは、既に、11世紀(1086年)に、ウィリアム征服王によって、地理的意味での欧州で初めて、調査、測量に基づく、詳細な住民・土地・家畜調書である、いわゆる、Doomesday Bookを編纂しているからです。
http://en.wikipedia.org/wiki/Domesday_Book
なお、1780年代末に、英国政府は、国全体の三角測量(triangulation)による測量を、欧米で、つまりは、世界で、初めて実施しています。
http://en.wikipedia.org/wiki/Surveying (太田)
古い用法では、抵当は「死んだ誓約(dead pledge)」を意味した。
それは、債務者が特定の期日に金を全額返せなければ自分の土地を自動的に剥奪(foreit)されることを示していた。
16世紀の<イギリスの>指導的な法の権威であったトーマス・リットルトン(Thomas Lyttleton)<(注10)>は、「彼が支払わなければ、その金の支払いの条件として誓約状態に置かれた土地は、彼から永遠に奪われるので、その土地は彼にとって死んだものとなる」と記している。
(注10)Thomas de Littletonとも綴られる。「16世紀」は「15世紀」の誤りと思われる。リットルトンは、1407?生まれで81年に亡くなっているからだ。なお、彼は、イギリスの裁判官にして法著述家であり、イギリスの財産法に関する最初の教科書である、’Treatise on Tenures’を書いた。
http://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_de_Littleton
借りた全ペニー(penny)が返済できなければ罰として全財産<(抵当に供した土地の全体(太田))>が剥奪されるというのは、当然のこととして、新しい土地所有者達にとって衡平に反するという印象を与えた。
同情的な裁判官達は、要求された期日に債務を返済することに失敗してもその所有者の土地に対する権利(title)が全部は消滅しないように法を解釈し始めた。
すなわち、「償還の衡平(the equity of redemption)」として知られる原則の下で、諸裁判所は、借り手が抵当相当額(mortgage)を支払い終えた場合は、それが何年か遅れてなされたとしても、彼は自分の財産を取り戻す(reclaim)ことができる、と判示したのだ。
近代抵当法はこの解釈から生まれ出たが、近代金融もまたそこから生まれ出た。
自分の金を回収(regain)するためには、貸し手は、今や、抵当流れ処分令状(writ to foreclose)を得て、借り手にその土地の売却を強いる必要が生じた。
しかし、この債務が支払われた時点において、<売却>収益(proceeds)の残額は元の土地所有者に帰属するのだ。
これで土地に係る彼の衡平(equity)<は確保される、というわけだ。>
この新しい観念が17世紀の間に確立されると、公平性(fairness)を意味する衡平は、次第に、資本を意味するエクイティ(equity)へと変異(morph)して行った<(注11)>のだ。」(C)
(注11)従って、エクイティには、現在、「英米法においてコモン・ローと対置される衡平法」と、「ファイナンスの文脈において、デット(・・・debt:負債)と対置される、株式、持分、出資、組合員、匿名組合員など」、の二つの意味がある。
前者については以下の通り。
「エクイティ(・・・equity、衡平法)とは、英米法の国々において、コモン・ロー(・・・common law)で解決されない分野に適用される法準則である。英米法において、コモン・ローは、イングランドのコモン・ロー裁判所が下した判決が集積してできた判例法体系であるのに対し、エクイティは、コモン・ローの硬直化に対応するため大法官 (・・・Lord Chancellor) が与えた個別的な救済が、雑多な法準則の集合体として集積したものである。
コモン・ローとエクイティとの間には、主に次のような違いがある。
コモン・ローは契約法、不法行為法、不動産法(物権法)、刑事法の分野を中心に発展してきたのに対し、エクイティは信託法などの法分野を形成してきた。
コモン・ローは民事事件の救済として金銭賠償を主とするのに対し、エクイティでは差止命令(・・・injunction)、特定履行(・・・specific performance)などの救済が認められてきた。
コモン・ローの訴訟では陪審審理が用いられるのに対し、エクイティの訴訟では伝統的に陪審審理が用いられない。
伝統的には、コモン・ローの訴訟とエクイティの訴訟は別々の裁判所で取り扱われてきた。コモン・ローは厳格な手続を採用してきたのに対し、エクイティの訴訟では比較的柔軟な手続運営がされてきた。
現在では、コモン・ローの訴訟とエクイティの訴訟では手続に余り違いはなくなっているが、今でも、英米法の中でコモン・ローとエクイティの違いは広く認識されて<いる。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%83%86%E3%82%A3
→このリンクレイターの説明を読む限り、土地の金融化、すなわち資本化は、英領北米植民地ではなく、もっぱらイギリス本国で進行した、ということになります。
(イギリスで土地の金融化が本当にこの時期になってから進行したのかどうかはともかくとして、)リンクレイターは、どうして、自分の主張と齟齬をきたすようなこんな解説を行ったのでしょうね。(太田)
(続く)
個人主義の起源(その5)
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