太田述正コラム#0226(2004.1.9)
<現代日本の越し方行く末(その8)>
(コラム#223に関わる、ニューヨークを席巻する日本食についての記事(http://www.nytimes.com/2004/01/07/dining/07JAPA.html。1月7日アクセス)や、コラム#224に関わる、EUの反ユダヤ主義についての記事(http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/3374437.stm。1月7日アクセス)がその後出たので、ご紹介しておきます。
また、コラムの日付と現実にコラムを掲載し、メーリングリストに送付する日付が一致しないのは、深夜に掲載・送付するケースのほか、私のホームページへのコラム掲載が基本的に特定の日付ごとに一篇しかできない、という技術的理由に基づくケースの二通りあります。)
(3)日本の課題
ア 始めに
山崎拓自民党幹事長(当時)は、私も出席していた2001年6月7日に開催された防衛庁OB関係のパーティーの席上、次のように発言しました。「小泉さんとの付き合いは長いが、総理になるまで彼の口から一度も安全保障の話が出たことがない。小泉さんは安全保障問題になど関心がなかったということだ。例えば、小泉さんは米軍と海上自衛隊がいる横須賀が選挙区だが、彼が地元の基地を訪問したことは一度もないのではないか。ところが、総理になったとたん、突然盛んに安全保障の話をするようになったので、私は、はらはらしながら見守っている。」
こんな小泉さんが、後世の歴史家から、「改革」では掛け声倒れに終わったけれど、安全保障政策の面では時代を画する実績を残した、といわれる可能性が出てきました。
海上自衛隊のインド洋派遣、有事法制の整備等、そして特に今度の自衛隊のイラク派遣がそうです。
私も、内容面では言いたいことが多々あるものの、自衛隊のイラク派遣等の意義は大いに認めているところです。
問題は小泉さんが、(盟友山崎氏お墨付きどおり、)確固とした安全保障観・・哲学と言い換えてもいいでしょう・・を持ってこれらの政策を推進しているのではなく、ひたすら総理の座にしがみつくべく、ポピュリスト的カンを働かせ、併せて日本の「宗主国」米国のご意向を忖度した結果として、その都度これらの政策をひねり出してきたに過ぎないことです。
論より証拠。小泉さんには、日本の湾岸戦争の時、つまり1991年の中東原油依存度は約70%で、石油危機で大騒ぎになったというのに、2000年にはその依存度が87%にもなっている(Newsweek Japan Onlineメールマガジン No.195 より)という日本の安全保障上の大問題に取り組もうという姿勢は全く見られません。この間、「宗主国」米国は日本とは対照的に、石油の輸入先の分散や中東以外での新たな油田の開発に全力をあげて来たところです。
また、「どんなテロが米国で起きるか分からず不安だ。だから今は・・誰もドルを買おうとしない雰囲気が市場にある。政府がいくら頑張って介入策を練ろうとも、だらだらとした円高は続く・・<にもかかわらず、>昨年・・一月から十月の間で米国の海外での長期国債購入者の49・6%が日本でダントツだった。二位の英国は14・7%、三位の中国でも10・7%にすぎない。購入者は日本政府とみられている。これは<日本の対米輸出を維持するための>日本<政府>のドル買い介入で<対テロ戦争等を賄うための>米国の財政赤字を支えている構図だ」(http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20040107/mng_____tokuho__000.shtml。1月7日アクセス)という東京新聞の記事が物語っているように、小泉内閣の経済運営も、もっぱら短期的な視点からなされており、「宗主国」米国から何ら見返りを得ることなく、長期的な「国」益を損なう結果を招来しつつあります。
イ 弥生モードへの切り替え――吉田ドクトリンの克服と新たな国家戦略の樹立――
要するに、私が拙著や本コラムで力説してきたように、戦後日本で惰性的に維持されてきた国家戦略である吉田ドクトリンを一日も早く克服し、米国の保護国的状況からの脱却を図り、日本の外交・安全保障政策を自分の頭で考え、自分の手で実行する態勢をつくる必要があるのです。
その上で、新たな国家戦略を樹立する必要があります。
その国家戦略がどうあるべきかについては、私はかねてより「縄文モードから弥生モードへの切り替え」(コラム#154、155参照)というキャッチコピーの下で諸提案を行ってきました。
この諸提案は、鎖国から開国へ、自由・民主化の徹底、経済システムの変革、の三つに大きくまとめることができるように思います。
以下、それぞれについて簡単にご説明しましょう。
ウ 鎖国から開国へ
ポリティコ・ミリタリー機構の確立:日本には諜報機関も(本来の意味での)軍隊もありません。米国の保護国的状況下の鎖国状況を脱して開国するためには、自前のこれら政治・軍事(politico-military)機構の確立が不可欠です。
ヒト及びカネの受け入れ:日本の労働人口の減少に対処するとともに、日本から情報発信を従来以上に行って行くためにも、質量ともに外国人を一層受け入れなければなりませんし、「先進国」中、最低と言ってもよい、日本への海外からの投資の少なさも何とかしなければなりません。
エ 自由・民主化の徹底
これは、アングロサクソン的価値観の徹底、と言い換えてもいいでしょう(コラム#196)。やらなければならないことは多岐にわたっていますが、ここでは二つだけあげておきます。
女性の地位向上:「先進国」中、最も女性が差別されている状況を打破しなければなりません。
司法における国民の権利拡大:起訴前の容疑者保護、拘置施設の警察からの分離、監獄における受刑者権利の確保、裁判員制度の導入等です。これは、人権の基本の基本に関わる問題です。
オ 経済システムの変革
これは、時代にそぐわなくなった日本型経済体制(私のネーミング。コラム#40、42、43参照)について、これを人間(じんかん)主義(コラム#113、114。伊丹敬之氏の「人本主義」(同氏「人本主義企業」筑摩書房1987年 参照)と言い換えてもよい)というコア理念は維持しつつ、ウ、エに留意しながら抜本的に変革しなければならないということです。
総動員体制の解除:戦争なき戦争体制を解除しなければならないということであり、過去への訣別です。
情報化時代への対応:産業資本主義(就中、重化学工業化時代以降の産業資本主義)からポスト産業資本主義への対応への切り替えが必要である(岩井克人「『ヒト』重視の経営に未来」日本経済新聞2004年1月5日(朝刊)29面)ということであり、未来への対応です。
(完)
<読者の質問>
縄文モード・弥生モードは中々面白い捉え方だと思います。このような考え方は日本文明にだけ当てはめて考えられることなのでしょうか。縄文モードを内向モード、弥生モードを外向モードに言い換えれば他の文明にも当てはまるように思いますが。たとえば文明の親縁性を有する米国、英国の歴史はモードで捕らえることは可能なのでしょうか。
<回答>
コラム#106で、
「西欧・・<と>日本<は、>歴史始まって以来、「近代」社会であった・・イギリスに驚嘆の念を持ち、模倣によってイギリスに少しでも近づこうとし<たものです。>・・<ところで、>世界で「封建時代」を持ったのは日本と西欧だけですが、<日本と西欧は、>歴史を通じてその政治・経済・社会システムを大幅にかつ不可逆的に変容させてきたという点で(いわばのっぺらぼうな歴史を持つ)イギリス<等のアングロサクソン>とは全く違います。<世界の>それ以外の地域にあってはおおむね歴史は循環・繰り返し型であったと言えるでしょう。」
と述べたところです。
他方、イギリスや西欧と日本の違いは、日本が鎖国が許されるような地政学的環境に長く置かれてきたことであり、だからこそ日本にあっては、私が言うところの(鎖国・国風文化志向の)縄文モードと(開国・外国文化志向の)弥生モードを繰り返すという「贅沢」が許されたのです。
イギリスと同じアングロサクソン文明に属する米国はいわば巨大な島国であり、かつての日本と似通った地政学的環境に現在でも置かれているようにも見えますが、イギリス同様の、のっぺらぼうな歴史しか持ち得ない(=歴史が存在しえない)ことから、日本とは事情を全く異にしていると思います。ただ、米国に孤立主義という内向き志向のベクトルが存在することは興味深いものがあります。これは、やはり米国の地政学的環境が影響している、と考えられます。
いずれにせよ、このアングロサクソン文明が、(対蹠的な西欧文明との一千年にわたる対決を通じて自らの文明を純化させてきたところ、)史上初めて昨今、親縁性のある日本文明なる外国文明と収斂する形で、大きく変容(発展)を遂げつつあるのをわれわれは目の当たりにしている、と私は考えているのです。
<再質問>
1853年 ペリー来航
1945年 原爆投下
これらはモード切り替えの原因となる大事件ですが゛歴史の必然゛ですか
次のモード切り替えは何時どのように起こるのかを予測することは出来ますか
<再回答>
1853年のペリー来航を、日本が縄文モードから弥生モードに転換する契機となった事件だとすれば、日本が再び縄文モードに転換する契機となったのは1921年の日英同盟の解消だと私は考えています。(その背景には、日本とアングロサクソンの共通の敵である欧州文明並びにその亜流文明からの脅威の一時的消滅がありました。日露戦争における敗北とボルシェビキ革命によるロシアの弱体化、及び第一次世界大戦におけるドイツの敗北です。)
これ以降、日本の社会は次第にアングロサクソンスタイルの二大政党制と株主資本主義から、一党制と従業員資本主義、つまりは日本型政治経済システムへと変貌を遂げていくのです。
次の日本の弥生モードへの回帰が何を契機にして起こるかは、私にも分かりませんが、鍵を握っているのは、むろん北朝鮮などではなく、当面はアルカーイダ系のテロリズムの動向であり、近い将来は中国の動向だと私は見ています。長期的には、米国の動向も目が離せません。(欧州文明化する懼れなしとしないからです。)