太田述正コラム#6667(2013.12.31)
<『チャイナ・ナイン』を読む(その6)>(2014.4.17公開)
「その6年後の2008年・・・、対日政策に関する第二の「事件」が起きた。
<その>年<の>5月、日本を訪問していた胡錦濤は、7日に当時の福田康夫首相と会談し「”戦略的互恵関係”の包括的推進に関する日中共同声明」に署名した。共同声明にある「中国側は、日本が戦後60年余り平和国家としての歩みを堅持し、平和的手段により世界の平和と安定に貢献してきていることを積極的に評価した」という文言に代表される胡錦濤のこのときの言動は、多くの日本人に高く評価され、非常な好感を持って受け止められた。・・・
何といっても、中国はこの年8月8日に100年の夢であった北京オリンピックを控えていた。しかし3月10日にはチベット自治区で大規模なデモが起きている。・・・
悲願のオリンピックが西側諸国のボイコットにより台無しにな<ること>・・・を恐れた胡錦濤国家主席は、・・・日本に対しても「大盤振る舞い」のサービスをしてみせたということができる。
しかしこの姿勢の中に、トラウマとなる火種が潜んでいた。
2008年5月7日に発表された日中共同声明は東シナ海ガス田開発に関して、ただ単に「共に努力して、東シナ海を平和・協力・友好の海とする」としかのべていない。だが、この方針を持ち帰った胡錦濤は、直ちに実行に移すべく中国政府関係部門に検討させた。そして6月18日、「日中両国政府がガス田開発で合意した」ことを発表したのである。
悲劇はこのときに起きた。
この「合意」に対し、中国国内の網民(ネット市民)および中国外の世界各国に発生している華僑華人たちから強烈な抗議の声が上がったのだ。それは馬立誠に上げさせたアドバルーンの再来、いや、それよりも激しいものだった。・・・
日本のチャイナ・ウォッチャーの中には、反日デモの裏には中国政府の「やらせ」があるなどという分析をする人がいるが、そのような情報を日本国民に与えることは、今後の中国分析を誤らせ、好ましいことではないと思われる。」(307~310)
→ご承知の私の最新の分析を踏まえれば、ここは全面的に遠藤の言う通りである、と兜を脱ぐほかありません。
トウ小平/江沢民による、中共人民の反日洗脳は、中共当局が反日カードを切った時に中共人民が反日の声を唱和することで迫力を倍加させるという姑息な目的のために行ったに過ぎなかったのに、反日感情が若者を中心に独り歩きし始め、ついには当局が制御不能になってしまった、というわけです。(太田)
「2010年9月<の>・・・尖閣諸島中国漁船衝突事件<の時も同じようなことが起きた。>・・・
釣魚島(尖閣諸島)は中国の領土だと小さいころから教えられている若者たちにとって、中国漁船の船長を逮捕するなどということは越権行為以外の何ものでもなく「日本の侵略主義」を激しく罵倒する声でネットは炎上していた。・・・
<彼ら>をなだめるために、・・・「大人げない」ことを重々承知しながら・・・中国の若者の間でも・・・人気がある・・・SMAPの上海講演を拒否したのだ。・・・
<そこで、今度は>SMAPの北京公演を成功させたいと中国政府<は考え>たのである。・・・
<幸い、>日本側から中国漁船衝突時のビデオが流出<した結果、>まさか、自らの非を認めるわけにはいかないが、<ネットで>日本を非難する声はトーンダウン<するに至っていた。>
<しかし、念には念を入れ、2011年>5月に温家宝が<日本を訪問した折、彼は、>被災地を訪れた際にわざわざSMAPと面会し、「ぜひ中国で公演を行い、日本と中国の間に友好の種をまき、きれいな花を咲かせてほしい」とのべ・・・そのときSMAPが中国語で歌った『世界に一つだけの花』<を一緒に>歌<ってみせた<のだ。これに対して、中国国内では、>温家宝に対する非難は、少しはあったがネットが炎上するようなことはなかった。・・・
<これで行けるとふんだ中国政府は、何と、次のようなことまでやってのけた。>
2011年9月15日、・・・<翌>日から初めての海外公演を北京で行うSMAPが・・・、人民大会堂で元外交部長(外務大臣)・唐家<セン>の歓迎を受け、記者会見を開いたのだ。・・・
温家宝は胡錦濤とともに、9年間かけて<親日の>初心を貫<いたと言えよう。>」(311~312、317~319)
→胡錦濤や温家宝の日本への熱くひたむきな思いに感動し、彼らのいじましさに微笑するとともに、親(トウ小平/江沢民)の因果が子に報い、を地で行ったような話に苦笑せざるをえません。(太田)
3 終わりに代えて
「そもそも日本と仲良くした中国の国家指導者はみな、非常に哀れな最期を迎えている。
天安門事件で失脚した趙紫陽・・・もその前に降ろされた胡耀邦・・・も同じだ。二人とも非常に親日的な指導者だった。胡錦濤も・・・親日を掲げようとしたが「売国奴」とまで罵られ・・・たくらいだ。・・・
<いずれにせよ、>2012年は日中国交正常化40周年記念であることから、それを軸として、日本に非常に友好的に行動していくだろうことが予測される。
・・・日本<は>、中国とアメリカからのラブコールの中で、どのようにバランスを取って行くのか、そこが勝負か。」(323、333)
中共専門家である遠藤が、これほどのひどい予測違いをした原因の一つが前段にあります。
つまり、彼女は、中共指導者の親日を狭い意味で捉えており、中共(支那)の日本化、という私のようなマクロ的視点で捉えていない、というか、彼らが日本化を追求していることに気付いていない、ところに問題があるのです。
中共の日本化のためには、その過程で、(狭い意味で)反日にぶれざるをえない場合もある、ということことなのですがね。
予測違いをしたもう一つの原因は、彼女が、(恐らく軍事に疎く、)軍事の重大性を分かっていないことです。
中共の日本化というレベルにおいても、狭い意味での親日というレベルにおいても、中共の指導者達は、日本の再軍備による米国からの「独立」を追求せざるをえない、ということは、彼女には思いもよらないのではないでしょうか。
しかし、さすがは中共専門家の手になる本です。
この本が描写している重要な史実群に接することができたおかげで、私は、中共観を、一層深めることができました。
女性研究者である彼女に心から敬意を表します。
(完)
『チャイナ・ナイン』を読む(その6)
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