太田述正コラム#6705(2014.1.19)
<『「里山資本主義」のススメ』を読む(その2)>(2014.5.6公開)
ペレットは、・・・重油<と違って>・・・燃料代が上下しない・・・。・・・
実は私たちが日常生活で利用するエネルギーのうち、大半は熱利用が占めている。・・・熱を制する者はエネルギーを、そして経済を制する。・・・
1960年代に入るまでは、<熱利用>エネルギーは全部山から来ていた・・・。木炭や枯れ葉も拾ってきて燃料にしていた・・・。・・・
山の木を徹底して活用しようという日本の知恵は、国土面積の66%が森林という、この豊富な資源を存分に活かすなかで育まれてきたといってよい。
とりわけ中国山地は、その最先端の地であった。
それは、・・・少なくとも平安時代にさかのぼることができる・・・「たたら製鉄」<(注1)>とともに発展した。・・・
(注1)「踏鞴製鉄(「鑪(たたら)」 せいてつ、英:tatara iron making method)とは、世界各地でみられた初期の製鉄法で、製鉄反応に必要な空気をおくりこむ送風装置の鞴(ふいご)がたたら(踏鞴)と呼ばれていたためつけられた名称。・・・たたら製鉄と並立する日本独自の和式製鋼法にたたら吹き(タタラ)があり、現在は出雲安来地方の島根県仁多郡横田町(現:奥出雲町)で唯一製造(日刀保たたら)が行われ、日本刀や刃金の素材を製造している。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B8%8F%E9%9E%B4%E8%A3%BD%E9%89%84
中国地方では、太古から戦後まもない頃まで、山から得た資源を徹底して活用する知恵を絞り、山を中心にして地域の経済を成立させていたのである。
それを破壊したのが、戦後、圧倒的な物量で海の向こうから押し寄せてきた資源であった。特に石油はとても安く、便利で使いやすいため、爆発的に利用が拡大。木炭に取って代わるのにそれほど時間はかからなかった。
そこに追い打ちをかけたのが、1960年に始まった木材の輸入自由化。そして、木造住宅の需要の低迷。」
そして今、日本の山では、育ちすぎた樹木が活用されないまま放置されている。」(37~39、41)
「きっかけは1993年、・・・地元の若手の経営者が集まって・・・勉強会を発足した。掲げた目的は、「縄文時代より脈々と続いてきた豊かな自然を背景とする暮らしを未来へつなげていくこと」。なんとも壮大な目標である。
当初より議論を引っ張ってきたのは、塾長を引き受けた中島さん・・<(現在、>銘建工業<(前出)>の代表取締役社長<で>・・・還暦を迎えたばかり<)>・・だった。目を付けたのが、それまでゴミ扱いしていた木くずだった。・・・
2013年2月、中島さんはさらに大きなプロジェクトに着手した、銘建工業や真庭市、地元の林業・製材業の組合など9団体が共同出資した新会社「真庭バイオマス発電株式会社」の設立だ。2015年の稼働を目指し、出力1万キロワットの木材を燃料にする発電所を建設する。中島さんの会社の発電施設の5倍の出力。・・・
総事業費41億円のうち、補助金などを除く23億円分は、すぐさま大手銀行を含む3行が融資を名乗りでた。かつて、中島さんが最初の発電施設を建設したとき、融資を渋られたことを考えると隔世の感。」(28、42~43、45)
→縄文時代とは良く言ってくれたものです。
まさに、縄文時代以来、江戸時代まで、日本人は自然環境と全面的に共存共栄してきたわけです。
これこそ、人間主義における、自然との関わり方です。
この時代に、部分的にせよ回帰する、という発想は素晴らしいと思います。
昭和初期に始まった縄文モード化の一層深まりの一つの象徴である、という感があります。(太田)
「真庭と並んで、私たちをとりこにした革命の舞台がある。広島県の最北部・・・庄原市。・・・
庄原市の中でもさらに外れにある総領地区に、日本人が昔から大切にしてきた里山暮らしを現代的にアレンジし、真の「豊かな暮らし」として広めようとする人物がいる。和田芳治さん、70歳<(当時)>。・・・
和田さんは、30分ほどでかごいっぱいの木の枝を拾い集めると、自宅に戻る。そこに秘密兵器が待っている。
見た目は至ってシンプル。灯油を入れる高さ50センチほどの20リットルのペール缶の側面に、小さなL字形のステンレス製の煙突がつけられている。
「エコストーブ」という。名前は「ストーブ」だが単なる暖房ではなく、煮炊きなどの調理に使えば抜群の力を発揮する。・・・
エコストーブは手作りでき、製作費も安い。ペール缶は、ガソリンスタンドなどから廃品として譲り受けるので無料。ステンレスの煙突や断熱材となる土壌改良材は、ホームセンターで購入。しめて5000~6000円もあればよい。作り方も、もちろん教えてもらう必要があるが、女性でも1時間あれば完成する。・・・
山を燃料原にすれば、無尽蔵に燃料を得ることができる。山の木は一度切ってもまた生える、再生可能な資源である。切るとその分なくなると思うかもしれないが、むしろ山の木は定期的に伐採した方が環境は良くなっていく。
適度に間伐された山では、木と木の間にほどよい隙間ができ、日光が十分に差し込む。すると、樹木や下草が、二酸化炭素をめいっぱい吸収してくれる。生長しきった老い木は、二酸化炭素をあまり吸収しないが、成長途上の若木ならどんどん二酸化炭素を吸収し、酸素をはき出す。その量は、木々を燃料として燃やして排出される二酸化炭素よりも多いとされいてる。」(46~50)
→要は、日本人は、つい最近まで、自然に丹念に手を加えつつ・・ここが重要!・・、自然と共存共栄してきた、ということです。(太田)
(続く)
『「里山資本主義」のススメ』を読む(その2)
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