太田述正コラム#6751(2014.2.11)
<個人主義の起源(その8)>(2014.5.29公開)
(2)最初から個人主義であったイギリス
英語ウィキペディア群以外の材料を見つけられなかったのが残念ですが、更に先延ばしにしていても展望が開ける保証はないので、諦めて、ウィキペディア群に語らせる形で、結論を急ごうと思います。
途中で五里霧中の思いをされるかもしれませんが、最後までお付き合いください。
「ギリシャと共和制時代のローマは、本質的に市民達の国(nation)だった。
それに対してテュートン諸国(Teutons)は、本質的に土地の民(land-folk)の国だった。
ローマ帝国は、この両者の間の溝に架橋した。・・・
・・・帝政ローマ後期(lower empire)<(注17)>で採用されたところの、テュートン人の慣習において以前から存在していた流儀(course)に立脚した政策に基づく行動が、最終的に封建主義へと発展した。
(注17)帝政ローマ前期(Le Haut Empire=元首政(Principate))に対する、皇帝専制の帝政ローマ後期(Le Bas Empire=ドミナートゥス(Dominate))を表現する言葉。
http://ancienthistory.about.com/od/romehistory/tp/062410-Dominate-Imperial-Rome-Timeline-Part-II.htm
http://ejje.weblio.jp/content/Principate
http://ejje.weblio.jp/content/Dominate
テュートン人の制度を他と画する諸様相は、共有地の享有、及び、限定的な例外を除くところの私的所有権の不存在だった。
<これに対して、>そこから近代法が発展したところの、ノルマンコンケスト前のイギリス土地法の主要諸様相は、以下の通りだ。
一、遺言(will)により、或いは生者(vivo)間における、もっぱら勅許状簿地(bocland=bookland)<(注18)>だがそれ以外もあるところの、勅許状簿(boc=book)によって定められた諸限界の範囲内における、譲渡(alienation)の自由。
(注18)「勅許状簿地<(太田による仮訳語)>(Bookland) (古英語: bocland) は、勅許状(charter)によって権利を与え(vest)られたところの、アングロサクソン法の下における土地所有の一形態だった。
勅許状なしに保有された土地が民衆地<(太田による仮訳語)>(folkland)(古英語:folcland)だ。・・・
勅許状簿地の概念は7世紀に生まれ・・・たが、それは近代的な感覚での所有権に似通ったものへと進化した。
民衆地は、古の不文民衆法ないし慣習の下で保有された土地であって、その慣習により、その土地は、特別の諸事情の下での場合を除き、保有者の親族(kin)以外への譲渡(すなわち移転(remove))はできない。・・・
古の法と慣習によって、民衆地が、アングロサクソン時代のイギリスにおける土地保有の唯一の諸手段であり、それは、親族集団(kinship group)の代表たる一人の人物によって保有される土地のことだった。
この土地を親族集団の外へ恒久的に移転(transferr)、ないし「譲渡」、することもできたが、それには国王と賢人集会(witanagemot)[・・7~11世紀に存在した聖俗の支配階級による国王諮問会議・・
http://en.wikipedia.org/wiki/Witenagemot ]
の同意が必要だった。
それ以外の場合、例えば相続によって、親族集団内部においてのみ移転することができた。・・・
勅許簿法の概念は、7世紀に、ローマ帝国末の大衆法(Vulgar Law)[・・ローマ法以外を法源とする法、ないしはローマ法の下にない地域または属州に適用される法・・
http://www.merriam-webster.com/dictionary/vulgar%20law ]
の影響を通じてアングロサクソン法に入って来たものであり、それは、勅許状によって恒久的に授与された(granted in perpetuity)が故に、自由に(at will)ある者から他の者に譲渡(convey)することができた。・・・
この概念を付け加えるための変化が法に生じた始まりは、7世紀におけるアングロサクソンのキリスト教化にあった。
<カトリック>教会もその僧侶達も、既存の土地保有(land tenure)諸法のどれにもしっくりこなかったことから、アングロサクソン法は、彼らを支援する諸手段として諸勅許状の授与を付加したのだ。
それは、宗教諸機関(establishments)を建築する土地所有者達に対する、保有者が恒久的に道路と橋を維持するとともに民兵<(太田による仮訳語)>(fyrd)[・・ヴァイキング襲来に対処するためのアングロサクソン時代の自由人による武器需品自弁の民兵・・
http://en.wikipedia.org/wiki/Fyrd ]
のための男達に補給を行うという条件(stipulation)付の土地を恒久的に授与するために意図されたものだ。・・・
第三者の権利設定のない(unencumbered)「勅許簿地」所有の、「民衆地」所有と比較しての望ましさは、俗人にとってただちに明白であったに違いない。
731年にベード(ビード)(Bede)<(コラム#74、2764、3724)>がヨーク大司教のエッグベルト(Ecgbert)[・・~766。ノーサンブリアの国王の兄弟。・・
http://en.wikipedia.org/wiki/Ecgbert_(bishop) ]
に、その放蕩なる諸欲望(interests)は全くもって非キリスト教的であるところの、「ニセ僧達」によって膨大な面積の土地が獲得されたことに関して、手紙でこぼしたように・・。・・・
アングロサクソン法が進化するにつれて、宗教的要求は弱くなって行き、最終的には放擲されたので、勅許簿地は、その所有者が勅許簿によって彼が受領したのと同じ感じ(manner)で自分が生きている間に授与したり、遺言によってそれを処分したりできるという、近代的感覚の完全な所有権に似通ったものとなった。
(続く)
個人主義の起源(その8)
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