太田述正コラム#6783(2014.2.27)
<江戸時代における外国人の日本論(その4)>(2014.6.14公開)
著者のゴローニン(ヴァシーリイ・ミハーイロヴィチ・ゴロヴニーン=Vasilii Mikhailovich Golovnin。1776~1831年)は、「ロシア帝国(ロマノフ朝)の海軍軍人、探検家。・・・国後島にて幕府役人に捕縛され、<1811~13年、>箱館で幽閉される」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3
という人物。
「<ゴローニンは、>日本人を「世界で最も聡明な民族」であり、「勤勉で万事に長けた国民」であると好意的に評価し、それまでの「クリスチャンへ理不尽な迫害をもたらす」野蛮な国民であるというヨーロッパの否定的な日本人観を一変させ・・・た。」
「人口が 多く、聡明で感受性が強く、模倣が上手で、忍耐強く勤勉な、この万事に長けた国民が、外国のものなら何でも模倣しようとし、わが ピョートル大帝ほどの君主をいだけば、日本が持つ能力や富源とあいまって、この国民は数年のうちに東洋の王者となるであろう。・・・
それ故私は、この正義感が強く高潔な国民を怒らせるような真似は決してしてはならないと考える。」
http://www.takataya.jp/nanohana/miyage/book/golovnin.htm
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(2)幕末
幕末は外国人による日本論が一挙に増えるわけですが、まず、米国人のタウゼント・ハリス(Townsend Harris。1804~78年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%82%B9
から始めましょう。
「1856・・・年8月に着任したばかりのハリスは、下田近郊の姉崎を訪れ次のような印象を持った。「姉崎は小さくて貧寒な漁村であるが、住民の身なりはさっぱりしていて、態度は丁寧である。世界のあらゆる国で貧乏にいつも付き物になっている不潔さというものが少しも見られない。彼らの家屋は必要なだけの清潔さを保っている。・・・
下田の人々は、楽しく暮らしており、食べたいだけは食べ、着物にも困ってはいない。それに家屋は清潔で、日当たりも良くて気持ちが良い。世界のいかなる地方においても、労働者の社会で下田におけるよりも良い生活を送っているところはあるまい」。さらに翌年、下田の南西方面に足を踏み込んだときにも、「私はこれまで、容貌に貧窮をあらわしている人間を一人も見たことがない。子供たちの顔はみな満月のように丸々と肥えているし、男女ともすこぶる肉づきが良い。彼らが十分に食べていないと想像することはいささかも出来ない。・・・
ハリスは1857・・・年11月、オランダ以外の欧米外交代表として初めての江戸入りを果たすべく、下田の領事館を発った。東海道の神奈川宿を過ぎると、見物人が増えてきた。彼のその日の日記、「彼らはみなよく肥え、身なりも良く、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もない。・・・・これがおそらく人民の本当の幸福の姿というものだろう。私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、果たしてこの人々を本当に幸福にするのかどうか、疑わしくなる。私は質素と正直の黄金時代を、いずれの他の国におけるよりも多く日本において見出す。生命と財産の安全、全般の人々の質素と満足とは、現在の日本の顕著な姿であるように思われる。」
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/edo_sanpu.htm 上掲
「・・・一般の日本人は正直、勤勉で、身分の上下、富裕の差にかかわりなく質素で華美に走らない。大君(将軍)ですら住居は簡素、衣服は粗末だった。宝石や金銀で飾る風習がまったくない。・・・日本人は馬をしつけるのではなく、馬にお願いしながら動いてもらおうとする・・・」(「ハリス日本滞在記」坂田精一訳 岩波文庫)
http://tameikiiro.net/%E6%9B%B8%E8%A9%95/%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%82%B9%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%BB%9E%E5%9C%A8%E8%A8%98%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%82%B9%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%87%E5%BA%AB/
→ここまでは、ツンベルクの観察と、(分析の深さにおいて遜色はあるものの、)概ね同じであり、改めて日本の素晴らしさを実感させられます。(太田)
「<ハリスは、>喜望峰以東の最も優れた民族」と好意的<だが、>・・・風呂の混浴の習慣は謹厳なハリスにとって耐えきれないもので「このような品の悪いことをするのか判断に苦しむ。」と述べている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%82%B9
「ハリスの通詞ヒュースケンは「相当な身分の日本人の家」を訪れた際、その主人が家族の面前で自分の陰部を指し、英語の名称を訊ねた・・・」(『ハリス日本滞在記』)
http://plus.harenet.ne.jp/~kida/topcontents/news/2010/090902/index.html
→こういったことは、生涯独身を通し、お吉とも何事もなかったらしいたハリス(そのウィキペディア前掲)がとりわけ性に対して潔癖であったこともあって、なおさら気になったのでしょうが、ツンベルクの観察にはなかった部分です。
当時の日本人にとって、性は極めて自然かつ日常的なものであって、基本的に羞恥の対象ではなかったことが分かります。
これに加えて、「喜望峰以東」、すなわち欧米以外での、「最も優れた民族」というくだりや、前出の「日本を開国して外国の影響を受けさせることが、果たしてこの人々を本当に幸福にするのかどうか」というくだりから、ツンベルクとは異なり、ハリスの言からは、日本人を未開のユートピアの住民として、上から見下している傲慢さをかすかに感じとることができます。(太田)
なお、文中に登場したヒュースケンについても、本来は一項を起こすべきところ、ずっと以前ですが、(コラム#3で)記したことがあるので、省略します。
(続く)
江戸時代における外国人の日本論(その4)
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