太田述正コラム#6785(2014.2.28)
<江戸時代における外国人の日本論(その5)>(2014.6.15公開)
 米駐日領事、後に公使のハリスの次は、当然、英駐日領事、後に公使のラザフォード・オールコック(Rutherford Alcock。1809~97年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B6%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%83%E3%82%AF
でしょう。
 以下は、彼の、『大君の都(The Capital of the Tycoon)』からです。
 「かねてから、日本の封建領主(殿様)が住民に抑圧的な支配をし、住民が呻吟していると聞いていた。
 しかし、日本の地方に来ると、良く耕作された谷間を横切って、非常な豊かさのなかで所帯を営んでいる幸福で満ち足りた暮らし向きの良さそうな住民を見て、これが圧制に苦しみ、過酷な税金を取り立てられて窮乏してる土地とはまったく信じられない。
 むしろ、反対にヨーロッパにはこんなに幸福で暮らし向きの良い農民はいないし、またこれほどまでに穏和で贈り物の豊富な風土はどこにもないという印象を抱かざるを得ない。
 気楽な暮らしを送り、欲しいものも無ければ、余分なものもない」
http://takedanet.com/2009/12/post_9086.html
→注意すべきは、オールコックがここで、「ヨーロッパ」と言っているのは、恐らく、欧州文明諸国のことであって、自国イギリスはその中に含まれていないことです。
 下掲のように、一見、矛盾することを別の著書(共著)の中で彼が言っていますが、こちらは、自国イギリスを念頭においている、と考えれば平仄があうのではないでしょうか。
 「九州の旅のあいだ中,農業生産物に関する限り,土地の豊かさと肥沃さは,その土地を耕し,そこに暮らす人びとの歴然とした貧しさと奇妙な対照」(長崎から江戸へ―1861年日本内地の旅行記録 作者: ラザフォードオールコック,チャールズワーグマン,Rutherford Alcock,Charles Wirgman・・・露蘭堂
 本書は「1861年日本内地の旅行記録:長崎から江戸へ」(『王立地理協会雑誌』第32巻,1862年),英国外務省ラッセル卿宛書簡(1861年)の全訳である。『大君の都』(原著,1863年)(岩波文庫(上)・・・(中)・・・(下)・・・の第26章から第29章の元になった記録である。)」
http://d.hatena.ne.jp/akamac/20131016/1381931390
 「平野だけでなく丘や山に至るまで肥沃でよく耕され、山にはすばらしい手入れの行き届いた森林があり、杉が驚くほどの高さにまで伸びている。住民は健康で、裕福で、働き者で元気が良く、そして温和である・・・
 確かにこれほど広く一般国民が贅沢さを必要としないということは、すべての人々がごくわずかなもので生活できるということである。幸福よりも惨めさの源泉になり、しばしば破滅をもたらすような、自己顕示欲に基づく競争がこの国には存在しない。」
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/edo_sanpu.htm 前掲 (太田)
→ここでも、日本が人間主義(、或いは里山資本主義)の国であることを、改めて自覚させられますね。(太田)
 「・・・すべての職人的技術においては、日本人はひじょうな優秀さに達している。磁器、青銅製品、漆器、冶金一般や意匠と仕上げの点で精巧な技術を見せている製品にかけては、ヨーロッパの最高の製品に匹敵するのみならず、それぞれの分野においてわれわれが模倣したり、肩を並べることができないような品物を製造することができる・・・
 人物画や動物画では、、わたしは墨でえがいた習作を多少所有しているが、まったく活き活きとしており、実写的であって、かくもあざやかに示されているたしかなタッチや軽快な筆の動きは、われわれの最大の画家たちでさえうらやむほどだ・・・
 動物の描写にかけては、素材に何を使おうと、かれらはただたんにかたちだけを研究したのではなくて、それぞれの習慣と生活をも研究しているように思える。それもひじょうに正確でくわしく観察しているので、かれらは主題を十分に自分のものとし、二、三本の線と筆の一刷きで、自然を誤り無く模倣している・・・」
http://ameblo.jp/gikkongattan/entry-11363507167.html
→(クラシック音楽についてもそうですが、)美術や工芸品については、イギリスはむしろ欧州文明諸国に一目を置いている、ということを念頭に置いてこの箇所を読んでいただきたい、と思います。(太田)
 「中国人はその自惚れのゆえに、外国製品の優秀さを無視したり、否定したりしようとする。逆に日本人は、どういう点で外国製品が優れているか、どうすれば自分たちも立派な品をつくり出すことができるか、ということを見い出すのに熱心であるし、また素早い。」
http://www.adm.fukuoka-u.ac.jp/fu844/home2/Ronso/Research/R47/R1301_0001.pdf
→これは鋭い日支比較であり、「製品」に限らず、言えそうですね。
 最近の中共当局による、大真面目な日本に学べキャンペーンを見ていると、漢人が、ついに、自分達のこの大きな欠陥に気付き、この欠陥を克服しようとしている、という感を深くします。(太田)
(続く)