太田述正コラム#0239(2004.1.25)
<地政学の不毛性(その1)>

1 始めに

 地政学批判を書く、とホームページの掲示板で宣言した手前、大急ぎでお約束を果たしました。
 私はこれまで、地政学について書かれた本は、倉前盛通「悪の論理―ゲオポリティク入門」(春秋社1982年)、コリン・S・グレイ(小島康男訳)「核時代の地政学」紀尾井書房1982年、及び曽村保信「地政学入門―外交戦略の政治学」(中公新書1984年)の三冊しか読んだことがありません。
 倉前さんの本は軽い読み物で、曽村さんの本は論旨の追いにくい本だ、という記憶があります。一番まともだったのはグレイの本です。しかし、グレイご推奨にもかかわらず、地政学なるものは余り役に立ちそうもないアブナイ「学」なので近寄らない方がよい、という印象を当時持ち、それ以来、地政学とは没交渉のままでした。
 今、グレイの本が手元にないので、改めて曽村さんの本を斜め読みして地政学についての記憶を蘇らせようとしたのですが、この本は著名な地政学者の説の紹介と曽村さんの解説ないし意見が渾然一体となった体裁であり、全く物の役に立たないことが再確認できました。
 そうこうしているうちに見つけたのが、Christopher J. Fettweis, Sir Halford Mackinder, Geopolitics, and Policymaking in the 21st Century ,2000(http://teriyaki25.hp.infoseek.co.jp/geopolitics/mackindergeopolitics.html。1月25日アクセス)という論文です。
 まず、この論文をもとに地政学の変遷を押さえておきましょう。

2 地政学の変遷

(1)英国:マッキンダー
 イギリス人のマッキンダー(Halford Mackinder。1861 ??1947年)は、19世紀末ないし20世紀初頭には、鉄道の発達・普及により、陸上勢力(ランド・パワー)が、長年月にわたって優位にあった海上勢力(シー・パワー)に代わって優位に立ったと主張しました。
そして彼は、当時、世界が欧米の植民活動によっておおいつくされたという意味で一つの完結した「戦場」となったとして、この世界の中の(ユーラシアとアフリカからなる)世界島におけるランドパワーで、(軍事用語に言うところの)要衝たるハートランドを制した者は、(同じく軍事用語に言うところの)内線の利を生かして世界全体で優位に立つことができる、と指摘しました。

 (2)ドイツ:ハウスホーファー
 このマッキンダーの説をほぼそのまま借用したドイツ人がハウスホーファー( Karl Haushofer。1903??1945年)です。ハウスホーファーは、マッキンダーのハートランド理論を踏まえて生存圏(Lebensraum)という概念を作り出します。ルドルフ・ヘス(Rudolf Hess 。1894??1987年。ナチスドイツ副総統)は彼の愛弟子の一人です。しかし、ハウスホーファーの説に基づき、ヒットラーが対ソ開戦をしたのかどうかは、必ずしもはっきりしません。

 (3)米国:スパイクマン
 ハウスホーファーは、ナチスドイツよりもむしろ米国に大きなインパクトを与えました。ナチスドイツの行動の背後に地政学あり、と米国の多くの人々が信じ込んだからです。
そこで、これに対抗する説を米国人のスパイクマン(Nicholas Spykman。1893??1943年)が作り出します。彼は、ハートランドよりもハートランドの外縁たるリムランド(沿岸地帯)の方が重要な要衝だとし、世界島のリムランドを制した者は、世界全体で優位に立つことができる、と主張したのです。
 しかし、ナチスドイツがソ連侵攻に失敗し、ハートランド全体の占拠ができず、やがて第二次大戦そのものにも敗北したことによって、米国での地政学熱は一旦冷めます。
 ところが戦後、東欧を事実上併合し、ハートランドを完全に制したソ連が新たに米国の最大の敵と認識されるようになります。冷戦の始まりです。もしマッキンダー/ハウスホーファー流のハートランド理論が正しければ、米国に勝ち目はないことになってしまいます。
 こうして、スパイクマンのリムランド理論は再び脚光を浴び、対ソ封じ込め(containment)政策・・西欧、日本等を米国の影響下に置くとともに、軍事的・経済的に強化してソ連に対峙する政策・・の理論的根拠の一つにされるのです。

 (4)ロシア
 冷戦におけるソ連の敗北とその後のソ連の崩壊は、ハートランドパワーの敗北を意味し。今度こそ地政学の命運は尽きたかのように見えたのですが、このところ、ロシアにおいて地政学が復権しつつあります。
 ロシアの過去の栄光の復活を夢見る落魄のロシア人にとって、残されたものは地政学しかない、ということなのでしょう。

(続く)