太田述正コラム#6855(2014.4.4)
<経済学の罪(その5)>(2014.7.20公開)
「ロスコーは、ジェレミー・ベンサム(Jeremy Bentham)<(コラム#798、1707、3663、3875、6681)>のパノプチコン(panopticon)<(注3)>の隠喩を探索する。
(注3)「円形に配置された収容者の個室が多層式看守塔に面するよう設計され<た刑務所であり>、収容者たちはお互いの姿をみることはできず、ブラインドなどによって看守もみえなかった。一方、看守はその位置からすべての収容者を監視することができた。パノプティコンは・・・少ない運営者でもって多数の収容者を監督することが構想されている。・・・最初のパノプティコン型刑務所の建設は<、しかし、イギリスではなく、米国>でおこなわれた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%8E%E3%83%97%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B3%E3%83%B3
それは、刑務所棟であって、一人の看守が全囚人達を、自らは見られることなく監視することが可能であり、監視されているかどうか分からないことで、諸規則が常に遵守されることを確保しようというものだ。
この理論の論理は、動物行動学者のメリッサ・ベイトソン(Melissa Bateson)<(注4)>が最近行ったところの、募金箱群に近くに目の絵群を置くことでより多くの募金が確保されることを示した諸実験に共鳴するもの(echo)を見出せる。
(注4)オックスフォード大学士、修士(1990年)、博士(1993年)。現在、英ニューカッスル大教授。
http://www.staff.ncl.ac.uk/melissa.bateson/
インターネットが支配的な世界にあっては、常に見られ監視されているという感覚が<人間の>ふるまいに強い抑制をもたらしている。
ロスコーは、この洞察を、パノプチコンは、遍在的であるとの彼の観察へと織りなしていく。
例えば、彼は、この観念を、フレデリック・テイラー(Frederick Taylor)<(注5)>の初期の管理科学における時間-動作諸研究の探索に適用する。
この研究では、勤労者達は、銑鉄の山を動かすにあたって、全ての人間的諸目標を排除して数学的効率性を追求されたことで、彼らの肉体的諸限界まで搾取された、と。
(注5)1856~1915年。「<米>国の技術者(技師、エンジニア)で、経営学者。科学的管理法の発案者で、・・・科学的管理法の手法を考案し実践した事で、生産現場に近代化をもたらしたとともに、マネジメントの概念を確立した。・・・管理者は、協力的かつ革新的な労働力が、労働者側は、訓練されて資格のある管理が必要である<と唱えた。>・・・<ハーヴァード>大法学部中退」後エンジニアに転じ、フィラデルフィアの ミッドベール・スチール社在籍中に科学的管理法を発見し実践するとともに、高速度鋼を発明するなど、およそ200の特許を取得しており、かつ、スティーブンス工科大学から工学修士の学位を受けている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%86%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%BC
<しかし、私見では、>邪悪な力は、<あくまでも、>経済学と手を携えた(alongside)ところの、「目に見える、外の(external)階統的な」政治と権力なのだ。
<すなわち、自由市場経済において、>自由市場経済が悪魔として招致されるのは、搾取的諸慣行を正当化する煙幕に使うため<に過ぎ>な<い>のだ。・・・
<とまれ、>ロスコーは、かかるアプローチの諸不条理性について、強力な事例を提供する。
<事例のその一、>アリー(Allie)は、需要と供給の諸法則を活用(exploit)すべく、自分の体を用いる「幸せな」売春婦だ。
彼女は自分に最大の所得を稼がせる価格を発見することで、その稼ぎは彼女に高水準の生活をもたらした。
こうして、彼女は、自由市場経済学への改宗者となった、と。
しかし、アリーが売春を始める意思決定が純粋にビジネス的諸動機によって駆動されていると信じるような経済学者は全て、経済学が何であるべきかについて、狭量で危険な見解を抱いていると言えよう。
売春が純粋に諸費用と諸便益の数学的計算によって規定(dictate)されていると主張する経済学者は殆んどいないはずだ。
→ここは、ロスコーも書評子も、どちらも間違っています。
売春が賎業である、という認識に立っているからです。
売春が、まともなサービス業であるだけでなく、サービス提供行為そのものが、売春婦に快楽をもたらすこともある、という意味でワリのよいサービス業である、という認識に、彼らは立たなければならないのです。(太田)
ロスコーのあげるもう一つの事例は、彼が学生だった時に一緒に働いた、低賃金の建設業勤労者達だ。
事故が、しかも重大な事故がよく起きることから、その個々の勤労者にとって<建設労働に従事すること>の帰結は深刻なものがある。
彼らは、過大な諸リスクを冒すことで報いられるどころか、給与の低い危険な諸仕事に必要に迫られて従事する羽目になった人々なのだ、と。
<しかし、>市場によって駆動されたシステムがここで部分的に働いていることは疑いないけれど、自由市場は必ずしも搾取をもたらすわけではない。
<自由市場経済ではなかったところの、>エジプトでのピラミッド、そして支那での万里の長城の建設で大勢の人が死んだし、この種の事業の中で最も致死性が高かったのは、<やはり、自由市場経済ではなかったところの、>スターリン時代のソ連で建設された「骨街道(Road of Bones)」たるコルィマ幹線道路<(注6)>だ。
(注6)レナ(Lena)川東岸とオホーツク海沿岸の(広大なコルィマ金鉱山を後背地として持つ)マガダン(Magadan)とを結ぶ約1,900kmのロシア連邦幹線道路。強制収容者達・・最盛期には、マガダンに船で到着してから鉱山で斃死するまで平均寿命3週間とも言われた。この道をつくる際にも多数の死者が出、永久凍土に新たに穴を掘る労力を省くため、遺体は道路の下に埋められている・・・によって、1932年から53年にかけて、永久凍土の上につくられた。大部分は砂利道で架橋されていない川もある。
http://en.wikipedia.org/wiki/M56_Kolyma_Highway
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%82%A3%E3%83%9E%E9%89%B1%E5%B1%B1
ここでも、<非自由市場経済における裸の>権力と政治が搾取に顕著な役割を果たしたわけだ。
<他方、自由市場経済において、>自由市場経済が悪魔として招致されるのは、<繰り返すが、>搾取的諸慣行を正当化する煙幕に使うため<に過ぎ>な<い>のだ。・・・
→ここは書評子が一方的に間違っています。
「権力と政治」を「自由市場経済」と二律背反的なものと捉えているからです。
「権力と政治」が、建設業勤労者等に最低賃金を保証し、労災発生を少なくする規則を定め、また、労災保険制度を整備することによって、事態の改善を図るべきであるし、図ることができるというのに・・。
なお、ピラミッドの建設は、農閑期に人民も喜んで従事した宗教的行為であったと考えられている
http://www.moonover.jp/bekkan/chorono/first_page_01.htm (←執筆者がよく分からないが・・。)
ので、書評子の指摘は的外れです。
ただし、万里の長城については、秦の始皇帝によって建設された最初のものに関し、建設にあたってとりわけ大きな死傷者が生じたという説もある
http://en.wikipedia.org/wiki/Great_Wall_of_China
ことから、書評子の言うことは成り立ちえます。
コルィマ幹線道路に関しては、書評子の言う通りです。(太田)
<話を元に戻すが、>ロスコーは、ホルヘ・ルイス・ボルヘス(Jorge Luis Borges)<(注7)>による寓話、『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス(Tlon, Uqbar, Orbis Tertius)』<(注8)>でもって自分の主張を裏付ける例証をあげている。
(注7)1899~1986年。「アルゼンチン出身の作家、小説家、詩人。・・・その作品は20世紀後半のポストモダン文学に大きな影響を与えた。・・・父方は、イタリア系やユダヤ系の血が流れており、・・・祖母は<イギリス>人」。英語が母語。15歳くらいから欧州で生活し、ラテン語、フランス語、ドイツ語、スペイン語を身につける。22歳くらいの時にアルゼンチンに戻る。最初の妻とは離婚していた彼は、[死の2か月前に日系人の女性、マリア・コダマ(Maria Kodama。1937年~)と再婚しており、彼女が彼の法定相続人になった。]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%83%98%E3%82%B9
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%80%E3%83%9E ([]内)
(注8)「短編小説。『伝奇集』の一篇。捏造された百科事典に語られる幻想国家とその文化をめぐる奇譚である。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%80%81%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%80%81%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%83%93%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A6%E3%82%B9
これはある百科事典の中で発見された想像上の世界であり、その首尾一貫した構造は極めて説得力があるため現実世界を乗っ取ることとなる。
トレーンの歴史は諸学校で教えられるが現実の歴史は省かれている。
トレーン語の授業がフランス語とスペイン語の授業を置き換える。
この想像上の構造物の論理が極めて魅惑的であるため現実がそれで置き換えられる。
この寓話が経済学理論の進化の幾ばくかを彷彿(capture)とさせる、と。」(D)
(続く)
経済学の罪(その5)
- 公開日: