太田述正コラム#6875(2014.4.14)
<データから日本社会を読み解く>(2014.7.30公開)
1 始めに
本日、興味深いデータ入りのコラム
http://dual.nikkei.co.jp/article.aspx?id=2420
に遭遇し、表記を試みようと思い至りました。
2 データから日本社会を読み解く
上掲コラム内の図1の「成人男女の家事時間の国際比較」を見ると、日韓は特異な位置を占めています。
電化や公保育等が遅れていて家事に時間がかかる中進国(や後進国)は捨象することとして、第一に、先進国の中では、日韓は、家事負担が女性に偏っている点で際立っています。
そして、第二に、その日本と韓国に着目すると、日本が韓国に比べて、(男女合わせて)家事にはるかに時間をとられている点にも気が付きます。
第一については、このコラムの筆者の舞田敏彦の「「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきである」という意見に対し、スウェーデン人の85.0%が「反対」と明言しています。日本の22.8%とは大違いです」という慨嘆にもかかわらず、私が、少し前から、日本の女性はもっぱら男性を社会参画させることによって男性を搾取している、という、一種逆説的で辛辣な見方をするようになっていることはご承知の通りです。
それに対し、韓国の場合は、儒教の影響等に基づき、文字通りの女性差別社会なのであろう、と考えます。
(恐らくは、日本と違って、韓国では一般に主婦が財布を握ってなどいないのであろう、と想像していますが、そのあたり、情報をお持ちの方はご教示ください。)
さて、第二については、同じコラム内の図2の「家事・仕事時間の国際比較(男女差)」が極めて示唆的です。
日本では、仕事の時間に関して、男性は先進国中ダントツであって、女性も米国に次いで長いことが分かります。
また、家事の時間に関して、男性は韓国もそうですが、異常なほど少ないのに対し、女性はダントツの長さです。
先ほどは、先進国では電化等が進んでいて家事に時間がかからなくなったという趣旨のことを申し上げましたが、先進国では、ブルーカラーに関しては、オートメ化、ロボット化等が進展し、また、ホワイトカラーに関しては、OA化、ネット化等が進展し、仕事にも時間がかからなくなっています。
それなのに、どうして日本人は、こうも、仕事に、そして仕事ほどではないけれど家事に、精を出すのでしょうか。
一つには、男性は、仕事先において、或は仕事先の外において、しかし家庭に戻らずして、ネットワーキングに勤しんでいるのです。
ネットワーキングは、潜在的なエージェンシー関係作りです。
これほどではないけれど、女性は、家の中において、或は家の外において、しかし職場に赴くことなく、ママ友達とのネットワーキングに勤しんでいるわけです。
もう一つには、男性にとって仕事は、そして女性にとって(それほどではないけれど)家事は、生きるために仕方なく行うというよりは、人生を楽しむために行うものなのです。
ですから、日本人は、仕事にせよ、家事にせよ、効率性と効果性だけを追求する、ということはありません。
換言すれば、日本人は、仕事も家事も必要最小限度にとどめようという気持ちなど持ち合わせていない、ということです。
その結果、(家事についてはここでは立ち入りませんが、)ブルーカラーの場合はともかくとして、ホワイトカラーは、仕事そのものに、遊びの感覚を取り入れようとし、その分、仕事時間は長くなってしまいます。
(職場における、提供する財・サービスの必要以上の完璧性の追求だって、また、家庭における、必要以上の頻繁な掃除や手作りの丹精を込めた毎日の料理だって、一種の遊びであると言えるでしょう。)
長くなった分は、サービス残業ということになります。
それだけではありません。
日本人は、職場で、仕事ではないところの、遊びも行います。
勤務時間が終わってから務め先内で酒を酌み交わして雑談をしたり、勤め先の外で部局や課の全員が参加する忘年会をしたり、運動会をしたり、社員旅行をしたりするのはご承知の通りです。
これらは、そもそも仕事ではないことから、勤め先内でのものであってもサービス残業には当たりませんし、勤め先の外でのものは、最初から外形的にサービス残業でないことは明白です。
これらが、上で引用した図にいう日本人の仕事時間に含まれているのかどうかは定かではありませんが、含まれている可能性は否定できません。
いずれにせよ、日本人には、公私の別がはっきりしないグレーゾーンの時間が、無視できないくらいたくさんあることは確かです。
3 終わりに
要するに、日本人にとって、職場は、営利企業にあってさえ、非営利企業的な側面や遊びの場的な側面が昔からあったのであり、人間主義社会における日本の職場は、そういう場であり続けきているのです。
また、繰り返しになりますが、戦後の日本における、表見的女性差別は、実は、人間主義の日本社会の女性優位性を逆手に取ったところの、女性による男性搾取である、というのが私の現在の見解であるところ、日本の職場での拘束時間が長すぎるので女性が働きづらい、という良く耳にする指摘などは、全く理由になっていない、ということがお分かりいただけたでしょうか。
なお、私は、「職場」を退いてから10数年を経ており、今では派遣社員が増えていて、職場がすっかり変わり、以上のような私の認識は時代遅れになっている可能性は排除できません。
私の言っていることに誤りありとお考えの方は、ご遠慮なくご指摘下さい。
データから日本社会を読み解く
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