太田述正コラム#6881(2014.4.17)
<フランス革命再考(その3)>(2014.8.2公開)
「オランダの共和主義者達が自治と表現の自由のためには宗教当局を除去する必要があると主張し始めた1640年代と1650年代前後に、イスラエルの言うところの、「急進的啓蒙主義」が始まる。
とりわけ、彼は、いかに、オランダ人にしてユダヤ人たる哲学者のベネディクト・スピノザ<(注3)>が、このような諸観念に対して哲学的に擁護しうる形を与え、共和主義的政治と宗教的寛容を、「一元論(monist)」<(注4)>と世界の構造の唯物的説明の下に置いたか、に焦点をあてる。
(注3)スピノザのラテン語名はベネディクトゥス・デ・スピノザ(Benedictus De Spinoza)だった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%8E%E3%82%B6 上掲
(注4)「神は超越的な原因ではなく、万物の内在的な原因なのであ<り、>神とはすなわち自然(この自然とは、植物のことではなく、人や物も含めたすべてのこと)である<とする考え方。>」(上掲)
極めつきに飾らずに述べれば、スピノザにとっては、神は自然と同一(identical)であって、自然即神がこの世界の特異な実体(substance)を構成(constitute)する。
スピノザの政治的階統制の拒絶とその民主主義的共和主義の擁護は、人間が自然の一部である、との理解を通してもたらされた、とイスラエルは見ている。
寛容は、このような自然の平等性から、あるいは、実体的(substantial)平等性から、流れ出てくるのであり、<スピノザの提唱した>これらの諸観念が、オランダ共和国において出現し、それが出回るようになるや否や、イスラエルは、これらの<諸観念の>歴史と影響(impact)が科学革命から人権<宣言>に至る時代において上昇したり下降したりするのをなぞることができる<、とする>。
<イスラエルによる>記念碑的諸書シリーズたる、『急進的啓蒙主義(Radical Enlightenment)』(2001年)、『論争の対象とされた啓蒙主義(Enlightenment Contested)』(2006年)、『民主主義的啓蒙主義(Democratic Enlightenment)』(2011年)、の中で、かかる論争的な(argumentative)構造が取り扱われてきた。
<とまれ>、スピノザの真の後継者達は、反動と闘い、時に勝利し、時々敗北しつつも、常に表現の自由の開拓を続けたのだ<、という>。
同時に、急進的啓蒙主義は、穏健で懐疑的な形態の啓蒙主義哲学、例えば、ワインで名高いボルドーの哲学者(philosophe)たるモンテスキュー(Montesquieu)<(コラム#503、2458、4408、6455、6634)>男爵、あるいは、デーヴィッド・ヒューム(David Hume)<(コラム#1257、1259、1699、4736、4759、5274、6445、6591)>やアダム・スミス(Adam Smith)<(コラム#4174、4176、4736、4745、4873、5124、5815、6190、6200、6224、6445、6451、6453、6463、6577、6599、6648、6679、6711、6759、6773、6813)>といった、商業社会に係るスコットランドの理論家達の著作によって提案されたもの、とも闘ったのだ<とイスラエルは指摘する>。」(A)
(4)「急進的啓蒙主義」対「穏健的啓蒙主義」
「急進的啓蒙主義は、哲学的には、唯物論、一元論、そして決定論(determinism)<(注5)>によって、宗教的には、世俗主義と普遍主義(universalism)<(注6)>によって、そして、政治的には、民主主義と政治的諸制度の革命的改革へのコミットメントによって、特徴付けられる、とイスラエルは主張する。
(注5)「あらゆる出来事は、その出来事に先行する出来事のみによって決定している、とする立場」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%BA%E5%AE%9A%E8%AB%96
(注6)宗教は人間の普遍的特性(quality)であるとし、大部分の宗教の共通性を唱える考え方。
http://en.wikipedia.org/wiki/Universalism
他方、穏健的啓蒙主義は、二元主義(dualism)<(注7)>、理神論(deism)<(コラム#1150、3329、5746、6308)>、立憲君主制、そして、理性の急進的強調ではなく感情(sentiment)と伝統に立脚した道徳性、によって特徴付けられた。
(注7)デカルトの実体二元論を指していると思われる。彼は、「法則に支配された機械論的な存在である物質と、思推実体や霊魂などと呼ばれる能動性をもつ(つまり自由意志の担い手となりうる)なにものかを対置した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%85%83%E8%AB%96
イスラエルによれば、穏健的啓蒙主義の人物達は、革命を避け、その代わり、摂理に根差した進歩を信じた。
イスラエルは、18世紀の革命的な諸出来事は、「新しい哲学(la nouvelle philosophie)」の革命的諸観念・・彼はそれらを急進的啓蒙主義と同定する・・がその前触れとなった、と主張する。・・・
最愛の啓蒙主義の人物達、例えば、カント、ルソー、そしてロック、は、こきおろされ、新しい英雄群である、ドルバック(Holbach)<(コラム#496、1257、1839、6451)>、スヒンメルペニンク(Schimmelpenninck)、プライス(Price)、そしてエルヴェシュース(Helvetius)によって置き換えられた。・・・
しかし、イスラエルの、更なる自信たっぷりの主張(claim)、すなわち、この二つが哲学的に両立不可能であるとの自信たっぷりの主張については、より詳細な論議が必要だ。
というのも、二つの哲学的諸見解が異なっていると言うのはたやすいけれど、この相違により、二つが両立不可能である、と言うのは容易ではないからだ。」(C)
(続く)
フランス革命再考(その3)
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