太田述正コラム#6911(2014.5.2)
<戦争の意義?(その5)>(2014.8.17公開)
 (5)枢軸の時代
 「『なぜ西側が・・現在のところ・・<東側を>支配しているのか』の中で詳述されたところの観念は、BC800年からBC200年の間に知的革命が生じた、ということだ。
 支那では儒教と道教、インドでは仏教徒ジャイナ教(Jainism)<(コラム#285、777、1467、1736、3621、5432、6305)>だったし、西側ではヘブライ聖書とギリシャ哲学だった。
 東アジアから地中海まで、それ以降の黄金時代(millennia)において、何十億もの人々にとって世界を意味のあるものとしたところのものを形作った、新しい思想の諸体系が出現した。
 その全てが、超絶性(transcendence)の観念(notion)を共有していた。
 このより上位の領域に到達するためには、自己成形(self-fashioning)過程が必要だ。
 倫理的に生きる、欲望を放棄する、己の欲する所を人に施す(Do unto others <as you would have others do unto you>)、という諸原則を我々の個人的生活の中で実践すべきである、という考え方に立ってそれを実践すれば、世界を変えることができる、と。・・・
 BC500年前後の数世紀が歴史を転回させた枢軸を形作ったという意味での、枢軸の時代の観念は、第二次世界大戦後における、ドイツの哲学者のカール・ヤスパース(Karl Jaspers)に起源を有する。・・・
 それまでは、社会の道徳的秩序は、モリスが形容するところの、「超人間達への直通電話」、すなわち、神々への特権的アクセス<ルートを持つと>主張をする諸統治者達が担っていた(rested on)。
 しかし、BC1000年以降は、ユーラシア大陸全域の人々は、<自分達>の体制(system)に疑いを抱き始めた、と彼は言う。
 「宇宙論的不安(Cosmological angst)」が知識人の心中に蟠るに至ったのだ、と。
 我々は、超絶的領域から切り離されてしまった、と彼らは考えた。
 だから、どうすべきなのか。と。
 枢軸思想はこの問題に対応するために出現したのであって、それは、人々が自身で超絶的なものと再連接できるようにする手段(way)だった、とモリスは言う。・・・
 地中海から支那に至るまで、<世界>人口は、少なくとも2倍になった。
 <それに伴い、>社会的諸問題が噴出した。
 その結果の一つが、諸社会の組織の変化だった。
 ・・・古い物事のやり方は機能不全に陥った<ためだ>。
 神のごとき(godlike)王達は、「よりCEOのような」何者かへと姿を変えた(morph into)。
 これらのマネジャーたる王達は、諸大官僚制、諸税、諸軍でもって諸国家をコントロールするようになった。・・・
 「これが、古代世界が重要な理由だ」とモリスは言う。
 「<当時、人間社会は、>小さな非組織化された諸社会から、このような、大きくて本当に組織化された諸社会へと変わった。
 その過程で、爾後の2,000年間にわたる知的諸基盤を整備したところの、この枢軸思想が創造されたのだ」と。」(J)
→「倫理的に生きる、欲望を放棄する、己の欲する所を人に施す」とは、人間主義そのものです。
 私が何度も指摘しているように、枢軸の時代とは、農業/定住社会の到来に伴い、農業余剰を巡って搾取と紛争が絶えなくなった・・紛争多発には定住・人口密度増大に伴うストレスの増大も与っている・・ことで非人間主義化してしまっていた人類が、再人間主義化する方法論を世界各所で同時多発的に模索した時代だったのです。
 (もとより、非人間主義化しなかった日本においては、枢軸の時代などありえませんでした。再人間主義化する必要がなかったからです。) 
 その中で最も科学的に正しい方法論に到達したのが釈迦であり、その方法論を核とする釈迦の考えを宗教化した・・堕落させたと言ってよい・・のが仏教であるわけです。
 しかし、その仏教は、その普及した地域を、少なくとも、平和志向的にした、と言えそうです。
 (例えば、インドのマウリヤ朝は、仏教に基づく統治をしたアショーカ王のBC3世紀後半における死後事実上終焉を迎えます
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A6%E3%83%AA%E3%83%A4%E6%9C%9D
し、支那では、南北朝時代の5世紀に仏教が本格的に伝来
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E4%BB%8F%E6%95%99
してからというもの、漢人は漢時代のような大帝国を(明時代
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E
を除き)築くことがなくなります。)
 ところが、モリスがあげるその他の方法論については、ジャイナ教はインド亜大陸以外に影響を与えていない
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%83%8A%E6%95%99
ので除くとして、ギリシャ哲学は欧米全体主義思想の源泉となり、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%8B%E3%81%8B%E3%82%8C%E3%81%9F%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%81%A8%E3%81%9D%E3%81%AE%E6%95%B5
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC
ヘブライ聖書は、選民思想のアブラハム系3宗教を生み出し、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%B8%E6%B0%91 (←ユダヤ教に選民思想なしとの説明はおかしい!)
(とりわけキリスト教は利他主義(コラム#6483等)を説くことで、)いずれも搾取と紛争を深刻化したと言っても過言ではありませんし、儒教と道教に至っては、前者は皇帝統治を正当化し、後者は民衆の阿Q化を進展させただけであった、と言えるでしょう。
 また、長らく国家を持たなかったユダヤ教は別として、キリスト教もイスラム教も、はたまた、仏教も、皇帝/国王統治を正当化するのに用いられたところですが、それは、キリスト教における利他主義やイスラム教における法・生活の規定、或いは仏教における人間主義といったそれぞれの宗教の性格とは直接関係はないのであって、単に、宗教者達と統治者達とが癒着的共生を試みた結果であった、と言うべきでしょう。(太田)
(続く)