太田述正コラム#0251(2004.2.6)
<自衛隊と国際貢献(その1)>
(2月5日に、鳥取県米子市で鳥取県職員連合労働組合西部支部の皆さんに対して行った講演の原稿を何回かに分けてご披露させていただきます。今まで私のコラムを読んでこられた方にとっては、既にご存知の話が多いと思いますが、適宜斜め読みをしていただければ、と存じます。)
本日は「自衛隊と国際貢献」という演題で、自衛隊のイラク派遣問題を題材に話をさせていただきます。
私の話は、世上の議論とかなり違うところがあるので、正直お聞きづらいところがあると思います。
特に、自衛隊イラク派遣に反対されている方は、お聞きづらいところが多いと思いますが、ご容赦いただき、最後まで耳を傾けていただければ幸いです。
1 序に代えて・・日本はどんな国か
(1)自由・民主主義の不徹底
一見、大変迂遠なところから話を始めさせていただきます。
皆さんは、日本では自由・民主主義、・・自由民主党の「自由民主」主義ではありませんよ。区別するために、書くときは「自由」と「民主」の間になかポツを入れることにしています・・が確立していると思われているのではないでしょうか。
ところが、諸外国は日本を「民主」国家とは見ても、本当に「自由」な国家、人権を重視する国家とは見ていません。
例えば、米国のフリーダムハウス(Freedom House)は、毎年世界の国々の自由度を発表していますが、最新のランキングでは、日本は全十三段階中の上から二番目の段階の自由度です。悪くないではないかと思われるかもしれませんが、一番上の段階の国々だけで34カ国もあり、日本はこの34カ国の後塵を拝しているということです(http://www.freedomhouse.org/research/freeworld/2003/averages.pdf。11月30日アクセス)。
お配りしたレジメの[参考]の1をご覧ください。
この不名誉な指摘を私は深刻に受け止めているのですが、毎年のことだ、ということもあるのでしょうか、私が気がついた限りでは日本のマスコミは今回も全くと言っていいほど報道していません。
日本についての指摘については、頷けるところが多々あります。
とりわけ男女差別と犯罪被疑者保護問題に対処することは喫緊の課題だと思います。重大犯罪被疑者引渡しに係る地位協定の運用見直し交渉が暗礁に乗り上げているのは、日本の犯罪被疑者保護が不十分だと米国が指摘しているため(http://www.tokyo-np.co.jp/00/sei/20031124/mng_____sei_____003.shtml。11月24日アクセス)であり、この米国の指摘は正当だ、という自覚が必要です。
(以上、コラム#199による。)
民主党は、男女差別問題等、日本の市民的自由の一層の増進にもっと積極的に取り組む姿勢を打ち出すべきでしょう。さもないと、民主党の党名に「自由」が入っていないのは、民主党が単なるポピュリスト政党であって、自由とか人権に関心がないからだ、ということになりかねません。
(2)国際貢献の回避
次もまだ本題ではありませんが、今回の演題と関係ありそうなお話をします。
日本は、毎年四兆円弱の防衛費と9000億円弱のODA予算を支出しており、それぞれ世界第三位と第二位です。
ODA予算のすべてと防衛費の相当部分は国際貢献経費だと言っていいでしょう。日本は国際貢献大国であるはずです。
ところが、昨年米外交専門誌「フォーリン・ポリシー」が発表した発展途上国支援総合指数(http://www.foreignpolicy.com/参照)・・これも毎年出されているのではないかと思います・・によれば、日本の成績は先進21カ国中、20位の米国の後塵を拝し、最下位となっています。
この総合指数は「援助」、「貿易の開放度」、「発展途上国への投資」、「平和維持活動への貢献」、「環境問題への取り組み」、「移民への開放度(難民支援度を含む)」の六つの指数の平均値です。[参考]の2をご覧ください。
米国の総合成績がふるわないのは、米国が軍事力の整備に力を入れており、この軍事力を背景に世界の警察官としてふるまっている、すなわち、軍事力を世界各地に前方展開し、或いは軍事力を世界各地に投入できる態勢を維持し、積極的に発展途上国等に軍事援助を行っている、こともあって、その他の国際貢献にまで手が回らない状況である、にもかかわらず軍事力の整備そのものは発展途上国支援総合指数に反映されていないためです。
フィーリン・ポリシー誌は、米国以外の国の軍事力も多かれ少なかれこのような国際公共財的性格を帯びているものの、検討の結果軍事力の整備を発展途上国支援総合指数には反映していないと解説の中で述べています。
同誌はその理由の詳細を明らかにしていませんが、
・国際公共財)としての軍事力の役割は、軍事力の本来の役割・・領域主権の確保や外交(国益擁護)の手段・・の外部効果に過ぎないとも言え、軍事力の整備のうちどれだけを国際公共財分としてカウントするかはむつかしい、
・仮にカウントできたとしても、そのうち発展途上地域の平和と安定に費やされる割合を計算することも困難である、
・この計算ができたとしても、「世界の警察官」としての行動が、「世界の暴力団」的行動(=平和と安定を妨げる行動)だと米国以外(とりわけ「取り締まり」の対象になる国・地域・団体)の眼には写る場合がある、
等の理由からだと推察されます。
また米国の「援助」の成績がふるわないのは、米国が「援助」に世界の警察官としての役割を補完する役割しか基本的に与えていないことから、政府として「援助」に余り力を入れていないこと、「援助」の中に私的援助が含まれていないこと・・この点についてはすぐ後で説明します・・等が原因です。
さて、「平和維持活動への貢献」と「援助」での日本の成績はブービーなのですが、よく解説を読んでみると、実質ビリだということが分かります。
「平和維持活動への貢献」が実質ビリだというのは、この指数は、[国連の平和維持活動への拠出金]と[国連及びNATOの平和維持活動人員の派遣数を一人一月あたり1万米ドルで金額に換算したもの]の合計を[GDP]で割って算定しているところ、ビリのスイスは国連に加盟したばかりであるために実績がまだ殆どないという特殊事情があるからです。
また「援助」が実質ビリだというのは、ODAの対GDP比をベースに、ひもつき度、管理費の割合、政府借款の利子支払額、被援助国の貧困度やガバナンス(清廉度、政治的自由度等)という質の要素を加味して指数を計算しているところ、慈善団体等が行っている私的援助活動が、データが得られない国があるためか、この指数から除かれており、これを加味すれば米国の援助総額は二倍に増え、私的援助活動が低調な日本と活発な米国・・ビリ・・との順位は大幅に逆転してしまうからです。
(以上、コラム#118を若干敷衍した。)
最近の、自衛隊イラク派遣問題に関する国会論議を見ていますと、民主党は政府自民党にケチをつけるだけで、日本の国際貢献のあり方について、実行可能な代替案を提示しようとはしていません。この点でも、極めてはがゆい思いがしています。
(3)総括
以上お話したことから、現在の日本が実は、自らの自由・人権問題を直視するのを避けている国であるとともに、世界の一員であることをわきまえないまことに利己主義的な国でもある、ということがお分かりいただけたことと思います。
(続く)
[参考]
1 フリーダムハウスの2003年レポート中の日本についての問題点
政治的自由:官僚機構における不祥事・非透明さ
市民的自由:犯罪被疑者保護不十分、抑圧的な監獄、死刑の恣意的執行、閉鎖的な記者クラブ・取材対象との癒着、男女差別・セクハラへの寛大さ・家庭内暴力の放任・痴漢の横行・少女売春ないし援交の横行、学校でのイジメ、部落民ないしアイヌ差別、朝鮮人差別・日本国籍取得の困難さ・不法入国者(難民を含む)への過酷な取り扱い、自衛隊員/警察官/消防士の団結権の否定・公務員の争議権の否定・外国人労働者差別、戦前及び戦中の日本による他国の占領を正当化したり戦中の占領地における軍の残虐行為をかばう教科書の採択(http://www.freedomhouse.org/research/freeworld/2003/countryratings/japan.htm。11月30日アクセス)。
2 「フォーリン・ポリシー」誌に掲載された発展途上国支援指数
総合指数の順位 :蘭、デンマーク、ポルトガル、ニュージーランド、スイス、スペイン、独、スエーデン、オーストリア、ノルウェー、英、ベルギー、ギリシャ、仏、伊、アイルランド、フィンランド、加、豪、米、日、「援助」の順位は、デンマーク、スエーデン、蘭、ノルウェー、ベルギー、スイス、仏、英=フィンランド、オーストリア、アイルランド、スペイン、ポルトガル、独、ニュージーランド、加=豪、ギリシャ、伊、日、米、
「貿易の開放度」指数の順位 :米、豪=ニュージーランド、蘭=伊、英=ポルトガル=スエーデン、オーストリア=スペイン=デンマーク=独=フィンランド=仏、ギリシャ=ベルギー、アイルランド=加、日、スイス、ノルウェー、
「発展途上国への投資」指数の順位 :ポルトガル、スペイン、スイス、蘭、英=ノルウェー、日、オーストリア、アイルランド=ニュージーランド、加、米、スエーデン、フィンランド=仏、豪、伊、独=ベルギー、デンマーク、ギリシャ、
「平和維持活動への貢献」の順位 :ギリシャ、ノルウエー、デンマーク、ニュージーランド、ポルトガル、伊、仏、独、アイルランド、英、蘭=ベルギー、スペイン、豪、オーストリア、加、フィンランド、米、スエーデン、日、スイス、
「環境問題への取り組み」指数の順位:スイス、スエーデン、独=スペイン、蘭、オーストリア=フィンランド、伊、ポルトガル、英=デンマーク、仏、ギリシャ、ベルギー、日、ニュージーランド、ノルウェー、豪、加、アイルランド、米、
「移民への開放度」の順位 :ニュージーランド=スイス、ドイツ、オーストリア、加、ノルウェー、アイルランド=ベルギー=蘭、デンマーク、スエーデン、豪、英、米、スペイン、ギリシャ、日、フィンランド、伊、ポルトガル、仏、
3 自衛隊イラク派遣関連年表
<1990年>
11/29 国連安保理、イラクのクウェート侵攻に対する武力行使を容認する決議(678)採択
<1991年>
4/800 国連安保理、イラクに武装解除(大量破壊兵器破棄)を義務付ける決議(687)(=湾岸戦争停戦決議)採択
イラク特措法は、上記二決議と決議(1441)を引用している。
<1992年>
6/155 国連平和維持活動協力法(PKO法)成立
湾岸戦争の時の130億ドルの拠出が目に見えた国際貢献とみなされなかったショックがPKO法制定の引き金となった。
<1998年>
11/67 情報収集衛星の導入を閣議決定
北朝鮮の「脅威」、つまり核問題や不審船問題、更にはこの年のテポドン日本列島越え発射ショックがダメ押しした形で、この閣議決定に至ったもの。その後、拉致問題が焦点となったことはご承知のとおり。
<1999年>
10/15 国連安保理、タリバン非難決議(1267)採択
10/28 国連安保理、対テロ決議(1269)採択
テロ対策特措法が引用しているのが上記の二つの決議とこのほか二つの決議(1333、1373?)だが、アルカーイダ系のテロはそれ以前から行われていたことが改めて思い起こされる。
<2000年>
12/19 国連安保理、再度タリバン非難決議(1333)採択
<2001年>
9/11 同時多発テロ
9/28 国連安保理、同時多発テロ非難決議(1373)採択
10/4 NATO初めて北大西洋条約第5条発動
10/5 人道支援自衛隊輸送機パキスタン派遣を閣議決定
10/7 米軍、アフガニスタン攻撃開始
11/2 テロ対策特別措置法公布・施行
11/2 秘密保全に関する自衛隊法の一部改正=日本、初めて秘密保全法制を持つ
11/25 海上自衛隊の三隻の艦艇、インド洋に向けて出港(コラム#57)
12/7 国連平和維持活動協力法(PKO協力法)改正(成立)(PKF解除等)
カンダハル陥落・タリバン政権崩壊
<2002年>
11/8 国連安保理、イラク武装解除要求決議(1441)(=事実上の最後通牒決議)採択
<2003年>
3/17 米国、イラクに最後通告
3/18 小泉首相、「米国が武力行使に踏み切った場合、この決断を支持する」と言明
3/19 小泉首相、「米国等によるイラク攻撃後の復興支援に関連し、自衛隊などを派遣するのに必要な新法の検討に入った」と言明
3/20 米英軍、イラク攻撃開始
4/10 バグダッド陥落・フセイン政権崩壊
4/15 米軍等、イラク全土掌握(テイクリット制圧)
5/1 ブッシュ米大統領、主要な戦闘終結宣言
5/22 国連安保理、イラク復興に係る決議(1483号)採択
6/6 武力攻撃事態対処法(有事法制)成立
7/4 イラク人道復興支援特別措置法(イラク特措法)衆議院通過
7/14 イラク統治評議会(Governing Council of Iraq。25評議員)発足
7/15 イラク人道支援自衛隊輸送機アンマン到着
7/26 イラク特措法成立
10/16 イラク支援15億ドル無償資金中、04年分、政府拠出を決定
テロ対策特別措置法二年延長(成立)
10/17 国連安保理、決議1483号を修正した決議(1511号)採択
10/17 福田官房長官、「イラク派遣に係る官房長官準備支持は不要」と言明
10/23 陸上幕僚長、北部方面隊にイラク派遣に係る準備指示
11/15 米国、2004年7月までにイラクに主権が返還される旨発表
12/11 イラクのティクリート近郊で日本人外交官2名殺害
12/9 イラク特措法に基づく対応措置に関する「基本計画」を閣議決定
12/14 サダム・フセイン捕縛発表
12/18 小泉首相、防衛庁が策定した「基本計画」の「実施要綱」を承認。航空自衛隊の先行派遣も決定
12/19 石破防衛庁長官、陸上、海上、航空自衛隊に派遣準備命令、航空自衛隊先遣隊に派遣命令
12/19 「弾道ミサイル防衛(MD)システムの整備等について」(ミサイル防衛導入。なお、ミサイル防衛導入に関連し、武器輸出三原則の見直しを検討する旨、官房長官が発言)、及び「防衛力のあり方検討会議」の中間報告(この中で国際貢献を強調、基盤的防衛力構想の見直しを示唆)をそれぞれ閣議決定。)
<2004年>
(1 1/9) 陸自先遣隊と空自本隊に派遣命令
11/26 陸上自衛隊本隊と海上自衛隊に派遣命令
11/31 イラク復興支援のための自衛隊の派遣承認案、未明に衆院通過
4 自衛隊イラク派遣関連法規
(1) 関連安保理決議
・ 決議 678:1990年採択。クウェート侵攻中のイラクに対し、多国籍軍にあらゆる措置をとる権限をあたえたもの。
・ 決議 687:湾岸戦争終結後の1991年採択。イラクが国際監視下で大量破壊兵器、射程150キロ以上の弾道ミサイルなどの破壊、撤去することを求めたもの。
・ 決議1441:イラク戦争約半年前の2002年11月8日採択。イラクは安保理決議687に違反していると断定、「最後の機会」に何もしないと「深刻な結果」をもたらすと非難。
・ 決議1483:2003年5月22日採択。イラクへの制裁を解除し、英米両国が中心となって効果的な行政(占領統治)を、国際的に承認できる政府ができるまで行わせることを認めるもの。
・ 決議 1551:2003年10月16日採択。
(2) 関連法律
・ 国連平和維持活動協力法(公布1992.6.19、改正1998、1999、2001)
・ テロ対策特別措置法(公布・施行2001.11.2、改正・施行2003.10.16)
5 実施要綱の骨子(読売新聞12.18)
(1)活動期間:防衛庁長官が命じた日から来年12月14日までの間。防衛庁長官が現地の状況などを確認し、首相の承認を得て、日本出国時期を定める
(2)陸自:サマワ(Samawa)市を中心に、イラク南東部ムサンナ県(Muthanna Province)などで、医療、給水、公共施設の復旧・整備などを行う。拳銃、小銃、機関銃、84ミリ無反動砲、110ミリ個人携帯対戦車弾を携行
(3)空自:イラクのバグダッド、バスラ、バラド、モスル飛行場とクウェートなどとの間で、C130輸送機で人道復興関連物資などを輸送。武器・弾薬は輸送しない。政府専用機で陸自部隊を輸送
(4)海自:イラクのウンムカスル港、クウェートなどまで、陸自部隊を輸送
(5)安全確保:活動場所の近くで戦闘行為が行われた場合、活動を一時休止し、避難
6 派遣部隊
(1) 派遣日程(毎日新聞12.19、等) ア 空自:12月19日準備命令、同日先遣隊派遣命令、同月26日先遣隊派遣(約40人)、1月9日本隊派遣命令、同月下旬本隊派遣(約140人) イ 陸自:12月19日準備命令、1月9日先遣隊派遣命令、同月14日先遣隊派遣(28人)、同月26日本隊派遣命令、2月初旬宿営地設営部隊派遣(78人)、2月中旬本隊第1陣派遣(135人)、3月中旬本隊第2陣派遣(195人)、同下旬本隊第3陣派遣(121人) ウ 海自:12月19日準備命令、1月26日派遣命令、2月下旬派遣(約300人) エ
(2) 派遣自衛隊の部隊編成(朝日新聞、産経新聞12.19及び12.20) ア 陸自:約550人(装甲車など約190両) 内内訳:警備要員130人、人道復興支援要員120人(給水30、衛生40、施設50)、司令部・ 広報氏後方支援要員300人(司令部、通信・整備・補給・輸送) イ 空自:約150人(C-130輸送機、U4多用途支援機) ウ 海自:約300人(輸送艦1隻、護衛艦1隻)
7 派遣自衛隊がらみの復興支援策
「政府が検討してきたのが(ア)給水、医療、学校復旧という自衛隊の復興支援活動に外務省の政府開発援助(ODA)を絡めて雇用創出を図る(イ)住民を味方につけることでテロの標的となる危険を軽減する――という「一石二鳥」の対策。具体的には▽外務省がサマワ市に給水車を寄贈し、陸自が宿営地で配給する水を市街地に届ける配水事業に住民を雇用▽外務省による医療機材の供与と陸自の医療技術指導によってサマワの病院を再建し、医師や看護師を雇用▽陸自が行う学校など公共施設の復旧作業に住民を雇用――などを想定している。 日政府は1月26日、これらを含む「サマワに対する経済・文化協力」策を陸自本隊への派遣命令に合わせてまとめた。(ア)自衛隊による緊急人道支援(イ)雇用対策(ウ)文化協力(エ)環境対策(オ)市場経済化・女性支援――の5本柱からなるが、雇用創出効果については1日500??600人」
(http://news.msn.co.jp/newsarticle.armx?id=671846(毎日新聞)。1月27日アクセス)
8 自由民主党の派閥
(1)池田派から堀内派(47人) :池田勇人→前尾繁三郎→大平正芳→鈴木善幸→宮澤喜一→加藤紘一(宏池会)(河野洋平が離脱し河野グループを結成)→(2000年11月の「加藤の乱」で)堀内派と加藤派(加藤氏議員辞職に伴い「小里グループ」)に分裂
(2)佐藤派から橋本派(89人) :佐藤栄作→田中角栄→竹下登→小渕恵三→橋本龍太郎
(3)岸派から森派(61人) :岸信介→福田赳夫→安部晋太郎(岸の娘婿)→三塚博(三塚博と加藤六月が跡目を争う「三六戦争」。後に加藤六月は離党)→森喜朗派と亀井静香派(後に亀井は中曽根派の一部と「江藤・亀井派」を結成)に分裂
(4)三木・松村派から高村派(16人) :三木武夫・松村謙三→三木武夫→河本敏夫→高村正彦
(5)河野派から山崎派(28人) :河野一郎→河野謙三→中曽根康弘→渡辺美智雄→山崎拓派と長老組とに分裂、長老組は亀井静香派に合流(後、「江藤・亀井」派)。
(6)江藤・亀井派から亀井派(46人) :江藤隆美・亀井静香→亀井静香
このほか、小里(貞利)グループ(既に言及)16人、河野(洋平)グループ9人及び二階(俊博)グループ7人、無所属40人。
(http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/yougokaisetu-seiji.htmとhttp://www.geocities.com/jiminlist/JHABATU.HTM(2月1日アクセス)から作成。人数は所属の衆議院議員と参議院議員の合計。)