太田述正コラム#6927(2014.5.10)
<戦争の意義?(その13)>(2014.8.25公開)
→以上、モリスが論述していることを踏まえれば、運の良い諸緯度内の地域において、およそ1万3000年前の耕作の開始と共に季節的な定住が始まり、およそ9.500年前の飼育化と共に人類の通年の定着化が始まったと考えられるところ、運の良い諸緯度外の地域のうち、日本列島では、耕作の開始も飼育化も殆んどないまま、つまりは、食糧余剰が発生せず、従って余剰を巡る紛争の質量共の増加がないまま、煮炊き用の縄文土器の発明のおかげで、木の実や海藻の食糧化に成功したことで、「およそ1万1000年前に季節的な定住が始まり、1万年ほど前に通年の定住も開始されたと推測されている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%84%E6%96%87%E6%99%82%E4%BB%A3
ところです。
これによって、日本列島では、私見では、人類の前史たる狩猟採集時代における人間主義が損なわれなかったわけですし、百歩譲ってモリスの見解に即したとしても、諸社会内部における暴力的死の生起率に変化が生じなかった一方で、諸社会相互の戦争・・まさに余剰を巡って闘われる・・が発生しないまま、すなわち、平和のうちに約1万年もの時間が経過するわけです。(太田)
「過去20年余、歴史学者達は、次から次へと、他と区別されるところの、「欧米的戦争方式(Western Way of War)」について語り始めるようになった。
それは、古典ギリシャに始まり、近代欧州とアメリカ大陸に伝えられたのである、と。
この言葉を造り出したのは、軍事史家のヴィクター・デーヴィス・ハンソン(前出)だが、彼は、「過去2,500年にわたって、欧米の戦争(warfare)には独特のやり方(peculizr practice)、すなわち、共通の基盤及び継続的な戦闘法、があり続け、それが欧州人達を<世界の>戦闘の歴史の中で最も致死的な兵士達にしてきた」と示唆した。
ギリシャの都市国家群は、定期的に、見解の諸不一致を、鎧を纏った槍手達のファランクス(phalanx)<(注16)>群相互間の真正面からの突撃でもって決着をつけた。
(注16)「古代において用いられた重装歩兵による密集陣形<であり、>・・・紀元前15世紀中期から、バビロニアで採用されはじめ・・・重装歩兵が、左手に円形の大盾を、右手に槍を装備し、露出した右半身を右隣の兵士の盾に隠して通例8列縦深程度、特に打撃力を必要とする場合はその倍の横隊を構成した。・・・戦闘に入ると100人前後の集団が密集して陣を固め、盾の上から槍を突き出して攻撃した。前の者が倒れると後方の者が進み出て交代し、また、後方の者が槍の角度を変更することで敵の矢や投げ槍を払い除けることも可能で、戦闘状況に柔軟に対応できる隊形でもあった。逆に部隊全体の機動性は全く無く、開けたような場所で無いと真価を発揮しない。また、正面以外からの攻撃には脆い。・・・
マケドニア式ファランクスの歩兵は、より小型にした盾を腕ではなく胸に装備させることにより機動性を若干向上させ<るとともに、>両手で長槍を支えることができるように<した。更に、左翼と右翼に騎兵を配置し、>前衛<には>弓が主装備の歩兵と軽騎兵<を配置した。>・・・このマケドニア式のファランクスを以って、ピリッポス2世はアテナイ、スパルタ、コリントス等々ギリシアの諸都市を打ち破り、彼の子アレクサンドロス3世はアケメネス朝ペルシアを滅ぼした。・・・<この>マケドニア式のファランクスは、ローマ軍の軍団(レギオン制)による散開白兵戦術に敗れる<ことになる>。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%B9
自由人達同士での先の尖った暴虐的な殺害を目指す欧米での歩兵の華々しい衝突的決戦に向けての欲求は、2,500年超の間、非欧米世界からの我々の諸敵を当惑させ震え上がらせてきた」とハンソンは主張する・・・。
<また、>・・・ジョン・キーガン(John Keegan)<(注17)(コラム#970、1537)>は、それに輪をかける。
(注17)1934~2012年。英国の軍事史家、講師、著述家、ジャーナリスト。オックスフォード大卒。駐英米大使館勤務を経て、長く、英陸軍士官学校の講師を務め、その後、亡くなるまで、デイリー・テレグラフ紙の軍事記者・編集者を務める。
http://en.wikipedia.org/wiki/John_Keegan
彼は、BC500年から、[欧米での]<このような>戦闘伝統と、ステップ地帯及び近東・中東での戦闘特徴における間接的にして、曖昧にして、非近接的(indirect, evasive, and stand-off)な様式との間には<明確な>線引きがなされてきた、と示唆している。・・・
しかし、データは、異なったことを物語っている。
欧米的戦争方式(Western Way of War)ではなく、運の良い諸緯度全域にわたって<栽培のための>取り囲み(circumscription)と<牧畜のために>檻に入れること(caging)によって創造されたところの、私が生産的戦争法(Productive Way of War)と呼びたいものが、そこから<運の良い諸緯度以外の>世界のその他の地域全域にわたって広まったのだ。
私がこれらの諸戦争を「生産的」と呼ぶのは、反発を掻き立てることだけが目的でなく、それが本当に最善の言葉だと信じているからだ。
周りに境界線を描くための(circumscribing)諸戦争は、より大きな諸社会を生み出し、それらの諸社会がそれぞれ自身を内部的に平和化し、富と人口を増加させ、それと同時に、暴力的な死の全般的生起率を減少させたのだ。
これらの戦争は、前史時代に行われた戦争の諸形態よりも更に残酷で致死的となる傾向があったものの、かかる短期的諸コストにもかかわらず、長期的にはその暴力は人々をより安全かつ豊かにした。
「生産的戦争」とは、この過程の描写として非常に良いように<私には>見えるのだ。
(続く)
戦争の意義?(その13)
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