太田述正コラム#6985(2014.6.8)
<中東イスラム世界の成り立ち(その1)>(2014.9.23公開)
1 始めに
「長い19世紀」シリーズも、そしてそもそも「戦争の意義?」シリーズも、まだ完結していませんが、セミナー(講座)用に、後、中東イスラム世界、インド亜大陸、そしてできればロシアに関するスライドを作成しなければならないことが気になっているところ、できるだけ早く、その裏付けとなるシリーズを用意しておきたいと考え、表記のシリーズを手掛けることにしたものです。
表題の「中東」ですが、この「中東」には、エジプトより西の北アフリカに位置するイスラム諸国も、更にまた、東の、非アラブのイランやアフガニスタンも含まれ、トルコは含まれていない、とお考えください。
そして、もちろん、イスラム圏には属しても、インド亜大陸に位置するパキスタンとバングラデシュ、東南アジアに位置するマレーシア、インドネシアは含まれていません。
インド亜大陸については別途取り上げるわけですが、東南アジアまで取り上げることは、セミナーでは考えていません。
旧ソ連圏の中央アジアのイスラム諸国については、ロシアの中で、可能であれば取り上げるつもりでいます。
2 ホッブス的世界
随分前に(コラム#87で)、イスラム世界はホッブス的な万人が万人と闘争している世界である、と述べたことがありますが、エジプトを例に取って、どうしてそんな世界になったのかを説明しましょう。
エジプトは、基本的にナイル渓谷(地中海付近での扇状地を含む)にしか可住地がなく、その周りは全て砂漠であるという意味で領域的一体性があり、かつまた、住民の均質性が高い・・91%が民族的な意味でのエジプト人である・・という2点において、中東アラブ世界の中では例外的な存在です。(注1)
(注1)エジプトが中東イスラム世界で最大の人口の国であることも覚えておいてよかろう。
イランより多い。イランについては下掲に拠った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%B3
なお、宗教的にも、90%がイスラム教徒で、しかも、その大部分がスンニ派なので、エジプトと歴史的に密接な関係があるレバント地方の諸国(シリア、レバノン、ヨルダン、イスラエル/パレスチナ)に比べれば、この点でもはるかに一体性がありますが、遺憾ながら、アフリカ北部のイスラム諸国である、チュニジアのスンニ派98%、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%82%B8%E3%82%A2
アルジェリアの99%イスラム教徒でその大部分がスンニ派、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%82%A2
モロッコのスンニ派99%、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%B3
はもとより、エジプトより東の諸国の中では例外的に宗教的に均一であるところの、サウディアラビアのスンニ派94.6%
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A6%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%93%E3%82%A2
にはかないません。
(エジプトに関する事実関係は、下掲に拠った。
http://en.wikipedia.org/wiki/Egypt )
つまり、エジプトは、本来であれば、求心力が働き内紛が起きにくいし、そもそも、社会の中で信頼関係が醸成され易い、というわけで、ホッブス的世界にはなりにくいはずなのです。
ところが、エジプトもまた、ホッブス的世界であることは、王政打倒後に長期にわたって継続したところの、事実上の軍部独裁政権が、アラブの春の一環で2011年に打倒された途端、収拾がつかなくなったという点一つ取っても明らかでしょう。
一体どうしてそうなってしまったのでしょうか。
私は、民族的な意味でのエジプト人が、その歴史の大部分を、他民族の支配者の下で生きることを余儀なくされてきたからである、と考えています。
まずは、その事実を歴史的に簡単に振り返っておきましょう。
(続く)
中東イスラム世界の成り立ち(その1)
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