太田述正コラム#7205(2014.9.27)
<皆さんとディスカッション(続x2398)>
<太田>(ツイッターより)
 「イグ・ノーベル賞、…日本人…8年連続で、20組目…馬渕清資…教授のグループが受賞した研究は…バナナの皮の内側を下にして床に置くと、皮がないときよりも6倍も滑りやすくなる<というもの。>…」
http://www.yomiuri.co.jp/kodomo/newspaper/quiz/20140926-OYT8T50029.html?from=yartcl_pickup
 英米の主要メディアでも一番の注目研究だよー。
 「アップルストアで恥さらし 在日華人が<ゴミ拾いで>イメージアップを図る…東京では中国人への転売目的で新製品を手にしようとする人が多数見られ、大阪のアップルストアでは中国人とみられる客ら数十人が入店待ちの長い行列に割り込み、品切れに腹を立てて店内で暴れて警察が出動するなど、大きな騒ぎとなった。…」
http://j.peopledaily.com.cn/n/2014/0924/c204149-8787156.html
 この「華人」・・「中国人」と書くよりはよろしい・・も人民網も、まことにもってけなげであることよ。
 それにしても、「華人」の人間主義化は百年河清を俟つがごとしか。
 僕も応援しとるで、せいぜい頑張ってちゃーだい。
<f9ib19hY>(「たった一人の反乱(避難所)」より)
≫現に、1939年時点で、自称イスラム教徒は50%、自称ベクターシ教徒をイスラム教徒にカウントすれば70%、もいたじゃん。≪(コラム#7203。太田)
 だからこの時点で国家による世俗化が宗教に対して強要されてるの。
≫オスマントルコ系の権力者にすり寄ったオボテュニスト達がイスラム教徒を自称したって程度のハナシ≪(同上)
 「移住した有力スーフィーの活動と国家の活動の結果、アナトリアは最終的にムスリム社会へと変わった。セルジューク朝支配(1071-1243年)のもと、ギリシア、アルメニア、グルジア、シリアの住民は大半がしだいにイスラームに改宗していった。ビザンツ帝国の弱体化、東方正教会の衰退、制服の危機にさらされたアナトリア社会の崩壊が、この地域全体の改宗を助長した。ムスリムが多数派になったのは、征服者がとった建設的な社会政策、非ムスリム住民にたいする寛容な態度、大衆的なイスラームと大衆的なキリスト教の多くの共通点――キリスト教徒とムスリムは同じ聖人や聖地を崇敬し、迷信的信仰を共有し、一神論や倫理上の信条、聖書の伝承も共有していた――が数世紀にわたって作用したためである。
 イスラームへの改宗で重要な役割を果たしたのはスーフィーだった。スーフィーは概して、イスラームかどうかに関係なく多様な宗教の教えや信仰を、神にいたる可能性のある道として受け入れるようになっていた。また、社会奉仕や一般人支援のための中心施設として、住居を整備していた。地方ではスーフィーのベクタシー教団が、都市部ではメヴレヴィー教団が、小さな町ではアヒー(貧しい者や旅行者に施しをする若者たち)が、敬虔さと慈悲深さをもって、教育に力を入れた社会環境をつくり、それがアナトリアのイスラームへの改宗につながった。のちにはバルカン諸国でもかなりの人数が改宗するが、多数派はキリスト教徒のままだった。これは主としてトルコ系住民が少数派だったためであり、また、オスマン朝がバルカン半島の教会を支持し、統治に利用する政策をとったためである。」
 『[オックスフォード]イスラームの歴史2 拡大する帝国 ジョン・エスポジト-編』p145-147
⇒なんじゃそれ。
 アナトリア半島じゃなく、アルバニアの話をしてんだぞ。
 なお、スーフィーもベクターシも混淆宗教であってイスラム教とは別物と考えた方がエエで。
 いずれにせよ、(アタチュルクによるこれら「宗派」の弾圧があったが、他方で彼による、イスラム教を最大の標的とする世俗化政策もあったにもかかわらず、)アナトリア半島だけの国になったトルコは、紛うことなき真正イスラム教徒が過半を占める国であり続け、現在の公正発展党政権下でトルコは過激派イスラム国家への道を着実に歩んどるところだでー。(太田)
 イスラム教へ改宗したアルバニアが「自称イスラム教徒のオボテュニスト」だというのなら、同じくスーフィーの活動の影響でキリスト教からイスラム教に改宗したアナトリアとバルカンの他の国・民族もすべて「自称イスラム教徒のオボテュニスト」だということなの?
≫王政なんて、よっぽどのことがなきゃ、支配的宗教があれば、それを利用こそ
すれ、弾圧なんかしやせんさ。・・・要するに、上述したオボテュニスト達が今度はスターリン主義者たる権力者達にすり寄って、イスラム教徒ちゅう自称を擲ち、他教徒たる真正な教徒達に弾圧の限りを尽くした・・・イスラム教に関しては深刻な事例が皆無だ。・・・これは、イスラム教徒中の真正教徒がゼロになっちゃってたはずだ、というボクの推察を裏付けるものだ。・・・
・(20世紀の)アルバニア王政はイスラム教を弾圧しなかった
・(共産主義政権時代の)アルバニアのイスラム教徒はイスラム教徒ちゅう自称を擲ち、他教徒たる真正な教徒達に弾圧の限りを尽くした・宗教施設の跡地の返還でもめた記事が無い、したがって、イスラム教徒中の真正教徒はゼロ≪(同上)
 これらの事実があったとズバリ記述してる典拠を挙げなきゃダメじゃん。
 上の2つは類推・憶測以上のものではないし、最後のは、記事が無いという「事実」からの演繹的推測なんだから。
 普段から典拠無しの危険性を言ってるんだから、こういう時だけ典拠無しの想像で押し切ろうとしちゃダメだよ。
⇒プッ! そりゃあ、こちとらの言うセリフだわさ。
 一つでいいから、僕の推論を否定できる典拠を探し出してみな。(太田)
≫共産党政権下で、処刑されたのはカトリックの聖職者だけのようだし、壊されたり転用された宗教施設は、キリスト教の教会が約2,000に対してモスクは「たくさん(many)」ときてるもんね。・・・アルバニアの宗教弾圧って、事実上元から無宗教だった多数派による、キリスト教の迫害だったってことが良く分かるぜ。≪(同上)
 「一九四五年にエンベル・ホフハはナチスに対して勝利を収め、アルバニア人民社会主義共和国が誕生する。ホフハは、イスラム、正教会、またカトリックの聖職者たちに彼の政策に敵対しないよう求める。彼は、急進的で、極端な宗教抑圧政策を推進し、一九四七年三月にはババ・ファジョとババ・フェジュゾという二人のベクターシュ教団の指導者が処刑され、その他にも行方不明になったイスラムの聖職者たちもいた。一九六八年にはニューヨークを拠点とする「自由アルバニア委員会」は、共産主義政権がおよそ二百人のイスラムの聖職者たちを処刑したり、強制労働キャンプに送ったと報告した。(略)また、六七年には公式に「無神論の国」となることを宣言し、あらゆる宗教的儀礼が禁じられ、さらに七六年の憲法では宗教そのものが公式に非合法化された。特に六七年五月までに二千百六十九のモスク、教会、修道院が閉鎖されたり、他の目的のために使用されたり、さらには破壊された。」
 『イスラム紛争の深層 宮田律』p83-84
⇒おーありがとう。
 これで、壊されたモスクは、・・壊されたキリスト教会は2000だった(コラム#7203)ってんだから、・・最大限169しかないことが分かったし、「イスラムの聖職者」で処刑されたことがはっきりしている者は1人もいなさそうなことも分かったな。(太田)
<まとめ79>(同上)
>これらの事実があったとズバリ記述してる典拠を挙げなきゃダメじゃん。上の2つは類推・憶測以上のものではないし、最後のは、記事が無いという「事実」からの演繹的推測なんだから。普段から典拠無しの危険性を言ってるんだから、こういう時だけ典拠無しの想像で押し切ろうとしちゃダメだよ。
 太田さんが何でも正しい訳じゃないから。
 これは太田ブログ読者の暗黙の了解じゃない?
 だから議論が起きて楽しいんだよ。
 過去にもミリオタな人達が太田さんの引用した数字(国家の軍用機保有数など)にクレームをつけてたから既視感しか感じない。
 それにリテラシーとか言っちゃダメよ、ご年齢考えたらネットに対応している方だよ。
 アルバニアについては、心底イスラム教に帰依している人は非常に少ないはずだと当初から太田さんは言っているがその点は正しい気がする。
 「イスラムの宗教理念では、ムスリムはイスラムを広めることが神聖な義務であるが、(略)長年の共産主義支配によって、イスラムの信仰は忘れられ、その浸透を図るのが困難になっているのが実情である。
 メディアにおけるイスラムのプログラムは極めて稀で、宗教は個人的な事象で、国民的伝統の一部であるとさえ見られている。」
 『イスラム紛争の深層 宮田律』p56
 補足。
 「まともな」イスラム国家では有り得ない話。
 他宗教に寛容ってことは、つまり「イスラム教」は骨抜き、それがアルバニアの伝統ってことだと理解されえる。
 アルバニアの首都に籍を置く旅行代理店のブログ↓
 「アルバニアは4つの主な宗教(イスラム、カトリック、正教徒、ベクタシー派)のお祭りを平等にそれぞれのお祭りにつき1日ずつ祝日としています。・・・
 (共産主義支配によりイスラムに限らず宗教が一切禁止されたのは)宗教心をはく奪・封じ込められたとも言えますし、もともと様々な宗教の交点だったこの国では、他宗教に寛容であったとも言われています。」
http://albaniaex.blog57.fc2.com/blog-entry-47.html?sp
 まともなイスラム国家って何だと自分で思いました‥ちょっと滑りました。
 ただ支配者が変わる度に宗教が変わっただけで、信仰心なんか始めから強くないからこそ、宗教の寛容性がアルバニアにあると言えるんじゃないかな。
<QOHev4oY>(同上)
 TAさん<(コラム#7203)>、ありがとうございます。
 TAさんに伝わっていないということは、太田さんにも伝わっていない可能性大でしょうね。
≫そもそも「イスラム教徒」の定義(認識)に、あなたと太田さんでズレがあるのではないでしょうか。≪(コラム#7303。TA)
 違います。
 「ワトソン研究所の2004年レポート」の「イスラム教徒は9%強」というデータの正体は怪文書のデータだよ、怪文書を典拠にしたらダメだよね、というのが私の書き込みです。
<TA>(同上)
>TAさんに伝わっていないということは、太田さんにも伝わっていない可能性大でしょうね。
 私にも伝わっていますし、太田さんにも100%伝わっていますよ。
 「だから、典拠の出所の信頼性は、コンテンツ(数字等)の信頼性を判断する一要素でしかないんだよ。」(コラム#7201。太田)
 ↑があなたに伝わっていないのだと私は「推測」しています。
 「推測」になる理由は、英語がわからないので、英語ウィキペディア「アルバニア」の太田さんが引用した文章(コラム#7197、#7201)と「国務省が出した2007年レポート」(コラム#7197、英語)の、意味(と典拠の有無)がわからないからです。
 この二つの英語典拠は信頼性があるのですよね?
 あるとすると、そこから導き出された数値も信頼性があるわけでしょう?
 で、その数値と、あなたが信頼性がないとする何年だかの世論調査だかなんだかで提示されている数値は近似しているのでしょう?
 であれば、(仮に)「典拠の出所の信頼性」がなくとも、「コンテンツ(数字等)の信頼性」があると言えるはずです。
 要するに、概ねこういうことでは?↓
 「川で死体が浮いている」という匿名の110番通報があったとします。当然、匿名なので「典拠の出所の信頼性」なんてゼロですよね。
 しかし、もし同様の匿名の通報が複数あればどうでしょう。その場合、「コンテンツ(数字等)の信頼性」は非常に高いと言えるでしょう。
<QOHev4oY>(同上)
>で、その数値と、あなたが信頼性がないとする何年だかの世論調査だかなんだかで提示されている数値は近似しているのでしょう?
 この↓ことですよね?
 「(私は「イスラム教徒」に関してはこれでも高すぎると思ってるが、)低い方の数字を取って25%だとすれば、イスラム教徒は15%だということになり、「9%強」に近接するよな。」
 高い方の数字40%を使うと、その6割の24%がイスラム教徒だということになりますが、こういう議論って、意味感じますか?
>もし同様の匿名の通報が複数あればどうでしょう
 警察のリソースの無駄遣いになりうるので、止めた方がいいのでは。
 私は通報したことがないのですが、基本的に匿名はダメなんじゃないでしょうか。(匿名通報ダイヤルはおいといて。)
 「通報時必要な内容を以下にまとめる。
 6, 通報者の住所・氏名・連絡先」
http://ja.wikipedia.org/wiki/110
 貴方も、怪文書でも見当に値するという立場でしょうか?
<太田>
 なんで、「「イスラム教徒」に関してはこれでも高すぎると思ってる」と断ったコラム#7197をわざわざ持ち出し、それでもなおキミが四の五の言うので、私が、より「きちんと」計算した、コラム#7201の方を持ち出さないんだい?
 (その時、私は2点、想定を置き、その想定がどうして妥当なのか考えてみろって書いたよな。妥当じゃないというのなら、典拠付で反論してみな。)
 この世の中、どんな状況下でもあてはまる万能ルールなんてのはないんだよ。
 そんな応用がきかない、カチカチの頭してると、妄執、煩悩にとりつかれ、下手すると人格崩壊を招きかねないぜ。
 いや、本件だけとっても、既にとりつかれてるね。
 可哀想に。
 騙されたと思って座禅してみたら?
<xSEB6Km2>(同上)
 ジャズは戦前から日本でも充分受け入れられてたと思います。
 誰もが知る、淡谷のり子「別れのブルース」は昭和12年の曲です。
⇒ブルースはジャズじゃないし、別れのブルース
https://www.youtube.com/watch?v=GXm0mSmj8ks
はブルースじゃないでえ。↓
 「ブルース(Blues)は、米国深南部でアフリカ系アメリカ人の間から発生した音楽のひとつ、またはその楽式。19世紀後半頃に米国深南部で黒人霊歌、フィールドハラー(労働歌)などから発展したものと言われている。・・・
 ジャズやロックンロールのルーツのひとつとしても知られている。・・・
 旋律に独特の節回しがあり、一般にブルー・ノート・スケールと呼ばれている5音階<短調>(<マイナー・>ペンタトニック・スケール)で即興的に演奏される。・・・
 日本の歌謡曲の一スタイルとしてブルースと呼ばれるものもあるが、それは「憂鬱=Blueな気持ちを歌った曲」という意味合いが強い。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B9 
 「別れのブルース<は、>・・・ブルース調の楽曲ではあるものの、ブルースコードを用いていない点や、シャンソンや従来の日本歌謡曲の影響がある点など、本場のアメリカのブルースと異なった点が多い」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A5%E3%82%8C%E3%81%AE%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B9 
 上掲の渋谷のり子による歌唱に、改めて聞き耳を立ててみたが、例えば、この曲は、通常のハーモニック・マイナー・ヘプタトニック・スケール(和声的7音短音階)
http://dic.nicovideo.jp/a/%E7%9F%AD%E8%AA%BF
の曲であり、マイナー・ペンタトニック・スケール(5音階短調)じゃあ全くないよ。(太田)
 但し、日本人はメールよりFAX、デジタル音源よりCDが好きなモノフェチ、アナログフェチです。
 ジャズも結局は歌と融合したジャズが好き、歌フェチなんですね。
 歌謡曲との融合こそが日本人のジャズ魂が最も輝いていた時期ではないかとのある評論家は言います。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~spkmas/sub10.html
⇒ブルース調の歌謡曲であった「別れのブルース」ならぬ、ジャズ調の歌謡曲も流行った、ということ以上でも以下でもなかったといったところだろね。(太田)
 また何故エレクトリックダンス音楽の機材は日本製なのにエレクトリックダンス音楽そのものは流行らないのか?
 回答者は自分で気付かないながらも日本人は音、踊り<歌であると明快に答えてます。 ここでも日本人特有のモノフェチ、歌フェチ文化が炸裂しています。 http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q1442446249
<MH>
≫以下全て基本的にということですが、カトリック教徒はアイルランド人だと思い、長老派教徒はスコットランド人だと思い、アイルランド聖公会教徒はイギリス人だと思ってる、と考えていいでしょうね。≪(コラム#7203。太田)
 ありがとうございます。
 しかし人口180万人しかいないのにモザイクみたいな国家でフクザツですね。
 単純な私は読んでも頭が混乱して理解に時間が掛かりました。
 IRAが完全武装解除したのが2005年とつい最近とは知らなんだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/IRA%E6%9A%AB%E5%AE%9A%E6%B4%BE
 さてヘヴィな曲は疲れたので、アコースティックの紹介。
 日本で最高の演奏をプレーしたリッチー・ブラックモアがレインボー解散後、ディープパープル
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%AB
を再結成するもメンバー間の内部抗争で脱退。
 今度は奥さんでVOのキャンディス・ナイト
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%88
と組んで中世音楽に傾倒しました。
 誰が幾ら誘っても、元のヘヴィ・メタルに戻る気は(今のところ)全くありません。
 Blackmore’s Night – Castles and Dreams
http://www.youtube.com/watch?v=DC4VgI8P9zk
 Diamond And Rust
http://www.youtube.com/watch?v=WrDwWTg2Dg0
⇒後者はジョーン・バエズ作ですか。
 どっちも結構でやんした。(太田)
 打って変わり、ラテンのスパニッシュギター(この演奏は生で観に行きました)
 パコ・デ・ルシア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A2
 ラリー・コリエル
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%82%AA%E3%83%A9
 Mediterranean Sundance
http://www.youtube.com/watch?v=RpdkslpMJV8
 ジャズというよりフラメンコギターですが、曲も演奏も素晴らしいです。
<太田>
 私には、まあまあってところでしたね。
<melody-ohshima>
 <バラード1番、>聴かせていただきました。美しいと思います。
 私は思い違いしていたようです。メロディだけの美しさと思いこんでいても、実際はハーモニー込みでの場合も多々あるようです。
 もちろん、メロディ単独で美しいものもありますけど。
 いろいろ、ご教授ありがとうございます。
<太田>
 しつこいようですが、補足です。
 例えば、クラシック音楽継受前の日本にも美しいメロディはあったけれど、それ単独ではクラシック音楽たりえません。
 あの美しいメロディの「さくらさくら<は、>・・・幕末、江戸で子供用の箏の手ほどき曲として作られたもの(作者不明)」(メロディだけの楽譜が載ってる。↓)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%95%E3%81%8F%E3%82%89%E3%81%95%E3%81%8F%E3%82%89
ですが、これは、例えば、下掲のように和音を加えて編曲して、初めて、クラシック曲になります。
 平井康三郎作曲 「幻想曲さくらさくら」
https://www.youtube.com/watch?v=4URKpN8MSJk
 また、「現在一般に「五木の子守唄」として知られているメロディーは、戦後に古関裕而が採譜し・・・たもの」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E6%9C%A8%E3%81%AE%E5%AD%90%E5%AE%88%E5%94%84
であるところ、元歌はこんなカンジ・・平均律音階が身についていない歌い手が歌っており、情緒たっぷりだが、彼女からだったら古関は採譜は不可能だった?・・
http://www.vill.itsuki.lg.jp/komoriuta/komoriuta.html
ですが、これは、以下のように和音を加えて編曲して、初めてクラシック曲(クラシック的民謡曲?)になります。
 ビクター少年民謡会
https://www.youtube.com/watch?v=mxp6ATnJp3g
 おまけ:山口淑子(彼女、最近、登場したばかりであるところ、再度登場願いました。)
https://www.youtube.com/watch?v=Q28LZgrqAmY
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<太田>
 このところ、読者との間でロック談義等が盛り上がって多くの楽曲が紹介されたこともあり、一人題名のない音楽会は1回休みにします。
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太田述正コラム#7206(2014.9.27)
<中東イスラム文明の成立(その11)>
→非公開