太田述正コラム#7001(2014.6.16)
<中東イスラム世界の成り立ち(その4)>(2014.10.1公開)
以上のように、「領域的一体性があり、かつまた、住民の均質性が高い」という例外的好条件にもかかわらず、エジプトもまた、「民族的な意味でのエジプト人が、その歴史の大部分を、他民族の支配者の下で生きることを余儀なくされてきた」ために、ホッブス的世界たらざるをえなくなった、という説明を行ってきたところですが、このエジプトの例外的好条件について、次のような記述を見つけたので最後に紹介しておきましょう。
「古代の近東の人々の中で、エジプト人達だけが、言語を一度変え、宗教は二度変えたにもかかわらず、そこにとどまり、そのままであり続けた。ある意味で、彼らは、世界で最も古い民族(nation)なのだ。」(B)
3 イスラム教の意義
では、どうしてイスラム教が中東世界に広まったのでしょうか。
また、こうしてイスラム教は、依然としてアフリカを中心に信徒数を増やしつつあり(コラム#6566)、信徒数世界一のキリスト教に迫りつつあるのでしょうか。
振り返ってみれば、イスラム教がらみの話を当コラムで無数に行ってきたけれど、信徒にとってイスラム教とは何かについては、下掲のように、二度ほど、短い言及を行ったことしかありません。
A:「イスラム教に帰依すれば、バラバラの個人や集団の間で、共通の神アラーをいただき、共通のイスラム教的生活規制に従うことを通じた擬似的な連帯感が生まれ、イスラム教が「喜捨」による相互扶助を勧めていることともあいまって、人々が抱く根元的な不安が多少なりとも軽減されるからです。」(コラム#87参照)
B:「イスラーム法学<には>・・・「よそ者が3日3晩、客人としてもてなされる権利」<が書いてあります。>・・・イスラームの戒律・・・の中には、「みんなで仲良くご飯を食べましょう」というルールもあります。・・・イスラーム法は、このように「弱肉強食」を否定し、貧しい人を助け、「敗者復活」を推進する価値体系です。・・・「イスラームはホスピタリティーを文明の軸にした」と言えるかもしれません。」(コラム#6566)
そこで、基本の基本みたいな話ですが、信徒にとってのイスラム教を簡単に纏めてみました。
一、「六信(ろくしん)とは、ムスリム(イスラーム教徒)が信じなければならない6つの信仰箇条。五行とともにイスラームの根幹を成す重要な定めである。
1.唯一全能の神(アッラーフ)
2.天使の存在(マラーイカ)
3.啓典(神の啓示、キターブ)<(注4)>
4.使徒・預言者(ラスール)
5.来世の存在(アーヒラ)
6.定命(カダル)<(注5)>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E4%BF%A1
(注4)「唯一神(アッラーフ)から諸預言者に下された四つの啓示の書物のこと。
1.ムーサー(モーセ)に下された『タウラート』(『モーセ五書』)
2.ダーウード(ダビデ)に下された『ザブール』(『詩篇』)
3.イーサー(イエス)に下された『インジール』(『福音書』)
4.ムハンマドに下された『クルアーン』(『コーラン』)」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%95%93%E5%85%B8
モーセ五書とは、「旧約聖書の最初の5つの書」。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BB%E4%BA%94%E6%9B%B8
詩篇とは、「旧約聖書に収められた150篇の神(ヤハウェ)への賛美の詩。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A9%A9%E7%AF%87
(注5)「すべての人間(あるいは万物そのもの)の運命が神(アッラーフ)によって定められていること。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9A%E5%91%BD_%28%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%A0%E6%95%99%29
簡単極まるなって思いませんか?
何せ、信じりゃいいだけなんですから。
啓典だって、読む必要はないんで、ただ、それらに書いてあることは正しいって信じりゃいいだけですよ。
(そもそも、クルアーン(コーラン)は非アラブのイスラム教徒用に翻訳することはないので、アラビア語のできない人には読めません。)
二、「五行(ごぎょう)とは、ムスリム(イスラーム教徒)に義務として課せられた5つの行為であり、六信とともにイスラームの根幹を成す重要な定めである。・・・
信仰告白(シャハーダ)「アッラーフの他に神は無い。ムハンマドは神の使徒である。」と証言すること。
礼拝(サラー)一日五回、キブラに向かって神に祈ること。
喜捨(ザカート)収入の一部を困窮者に施すこと。<(注6)>
断食(サウム)ラマダーン月の日中、飲食や性行為を慎むこと。
巡礼(ハッジ)マッカのカアバ神殿に巡礼すること。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%A1%8C_(%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%A0%E6%95%99)
(注6)「クルアーンにおいては・・・自由な喜捨を意味した<が、>・・・<後に、>ムスリムに課せられた財産税で、貧者の救済を主眼におく目的税<になった。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%88
これまた、簡単極まりないですよね。
何も考えず、ただ、そうすりゃいいってことなんですから。
つまり、一般信徒に関しては、イスラム教は教義なんて無きに等しいと言っていいでしょう。
なお、Bには明らかに誇張があることが分かります。
というのは、「預言者ムハンマドは「サダカ」という名で・・・自由な喜捨を推奨していたが、義務ではなかった」(ウィキペディア上掲)からです。
こんなイスラム教が、小むつかしい教義がある上、坊さんなるプロの宗教家への喜捨が「強制」されるところの、キリスト教や仏教に比べて、貧しく、非インテリの人々にとって、より魅力的であるのは当然でしょう。
(かっては、征服と差別によって信徒を集めたイスラム教でしたが、そんなことはできなくなっている、というか、そんなことをする必要がなくなっているわけです。)
(続く)
中東イスラム世界の成り立ち(その4)
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