太田述正コラム#7217(2014.10.3)
<皆さんとディスカッション(続x2404)>
<太田>(ツイッターより)
私の両母校は前年と順位変わらず。(東大23位、スタンフォード大4位。)「しかし、日本からトップ200内に入った他の4大学は、いずれも順位を下げた」ってのは大変気になる。
http://digital.asahi.com/articles/ASG9Z5PXZG9ZUHBI017.html?_requesturl=articles/ASG9Z5PXZG9ZUHBI017.html&iref=comkiji_txt_end_s_kjid_ASG9Z5PXZG9ZUHBI017
とまれ、 両母校の風景(東大は本郷の方)が懐かしいねえ。
ダライ・ラマ、中共当局との間の非公式会談で彼のチベット訪問の可能性が出てきていると明かす。
http://www.washingtonpost.com/world/are-there-signs-of-thaw-between-china-and-the-exiled-dalai-lama-on-tibet/2014/10/02/c3a44ad3-2b58-4e32-876d-ddafaaba5b0b_story.html
習近平閣下、日本が「独立」軌道に乗ったと安心し、ダライ・ラマとの和解に乗り出したと見てもいいかもね。
だとすれば、香港の騒ぎも静観を続ける?
<f9ib19hY>(「たった一人の反乱(避難所)」より)
≫(スーフィーじゃなく)ベクターシへの(アルバニアとは言わないが、せめてバルカンでの)実利以外の改宗動機を裏付ける典拠が示されていないから、意味不明と言わざるをえない、という趣旨。≪(コラム#7215。太田)
こちらは再三典拠で挙げている通り、「ベクタシュ=スーフィー」ですから、そこは分かりあえないようですね。
いちいち中身を挙げませんが、『イスラム世界の発展 本田實信』p175-180 「2 神秘
主義教団」でも、スーフィー(神秘主義教団)のベクタシュ教団と、当たり前に紹介
しています。
しかし、「スーフィー」に関しては実利以外の改宗を認めていただけたようで、それはよかったです。
⇒「スーフィーじゃなく」は、ベクターシ≠スーフィーだからな、と念押しをしてるだけさ。キミの読解力もQOHev4oYクン並だねえ。(太田)
≫ベクターシ≠スーフィだが、ベクターシへの改宗で現世利益以外のケースが通例だったなんて、ボクは一言も言ってないぞ。・・・「自称」が目に入らないの?(同上)
「自称」でも「ベクタシュ教団の教えに従い、交易網や官僚、軍隊で優位に立つため、アルバニア人が徐々にイスラム教へ改宗。」の引用でも(私はベクタシュをイスラムだと思っていないが)等の注が必ず入ると思っていましたが、違うのでしょうか。
⇒何でキミの引用にボクが注を入れなきゃなんないのさ?(太田)
≫実利って、「権力者にすり寄る」だけじゃないよ、病がなおる/病にかからない、長生きする、カネが儲かる、等々、ありとあらゆる現世利益のことだぜ。で、具体的に、現世利益以外の理由で、バルカン半島でベクターシやイスラム教に改宗したケースが通例であることの典拠をあげてみなって言ってるの。≪(同上)
アルバニアにおけるベクタシュ(スーフィーに含む)による実利以外の改宗は証明済み。
⇒いつ、誰が証明した? 少なくとも、ボクじゃないぜ。
日本語読解力がないのなら、QOHev4oYクン同様、投稿する資格ないで。(太田)
さて、
「ボスニアやアルバニアでは、土着の封建諸侯の多くがイスラムに改宗することによって、オスマン政府に旧領を安堵されたため、この両地域では住民の過半数がイスラムに改宗することになったが、それ以外の地方では封建諸侯のほとんどは征服時に殺されたり逃亡した結果、農民大衆は彼らの圧迫から解放された。オスマン帝国の宗教政策はヴェネツィアやオーストリアのそれよりもむしろ寛容であったといわれるように、スルタンは土着民を強制的に改宗させようとする意思はなかった。
もちろん改宗が強要されたり、逆に、租税負担の軽減や出世のチャンスを求めて自発的に改宗した場合がみられたが、それらはみな部分的現象であった。集団的改宗がみられたのは、むしろ、さきにあげた封建諸侯の改宗に誘発された場合を除いては、ボスニア=ヘルツェゴビナ地方で、異端的キリスト教徒ボゴミールが、ギリシア正教徒やカトリック教徒の迫害をきらってイスラムへ改宗する道を選んだような特殊なケースが多かった。」
『世界各国史13 東欧史(新版) 矢田俊隆 編』p114-115
⇒アルバニアは、そもそも、ギリシャ同様、オスマントルコの直轄領で、土地はスルタン所有だというのに、何で、ここで「土着の封建諸侯」が「旧領を安堵され」るのさ。
誰がその部分を書いたのか知らないが、それだけで、この典拠の信頼性はアウチだぞ。↓
「オスマン帝国下における正教会の人々は言語や民族に関係なく正教徒として扱われていた。そのためギリシャ人、ブルガリア人、セルビア人、ルーマニア人、アルバニア人、そしてアラビア語を話す正教徒・・・ など雑多な人々が正教徒として扱われ・・・た。・・・
農民ら<に関してだが、>・・・オスマン帝国初期には・・・土地は基本的に国に属しており、土地を所有する<農民ら>はいないことになっていた。・・・ただし、・・・土地保有は世襲制であったと<する説もあ>る。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2
領主は、スルタンから領地を与えられ、見返りに軍事義務を負うが、その領地の世襲は(後代になってからは変わったが)認められなかった。
76d3af00-aa76-4f3b-b156-d0cf55592a98.doc(で検索されたい)] (太田)
上記から考えられる改宗のきっかけとしては、封建諸侯の旧領の安堵のための場合、被支配民が領主の改宗に誘発された場合、封建諸侯の圧迫から解放された大衆が自由に改宗する場合、迫害をきらってイスラムへ改宗する場合(ただしこれはボスニア=ヘルツェゴビナ)、が挙げられます。
⇒「封建諸侯」と「被支配民」との関係は一代限りのものだというのに、「被支配民が領主の改宗に誘発された」なんてことは考えにくいね。
以下の問いに、一つ一つ答えてごらん。
一、百歩譲って、「土着の封建諸侯の多くがイスラムに改宗することによって、オスマン政府に旧領を安堵されたため、この両地域では住民の過半数がイスラムに改宗することになった」が事実だったとして、どうして、同様のことが、アルバニア以外の、バルカン地方(及びギリシャ)、では起こらなかったんだい?
キミならどう説明するね?
二、ベクターシのアルバニア人のイスラム教徒化における役割の話が上記新典拠にどうして出てこないの?
ベクターシの役割を強調してきた・・この点では通説と背馳していない・・キミ、一体どう(今回の冒頭での主張を含む)今までの自分の主張と折り合いをつけるつもりなんだい?
三、より端的に聞くが、一体どうして、バルカン地方(及びギリシャ)の中で、アルバニアでだけ、イスラム教への大量改宗が起こったんだい?
念のため、角度を変えて聞くが、この地域でオスマントルコから独立した後も、国民の過半がイスラム教徒だと自称したのがアルバニアだけだったのはなぜなんだ?
この新典拠の筆者も、キミとは違って、ボクと、この問題意識は共有していて、説明に苦慮した挙句、苦し紛れに「封建諸侯」を持ち出したんじゃないの?
参考までだが、下掲には、アルバニアでは最初に都市の住民達の殆んどがイスラム教に改宗したとあり、「封建諸侯」に関わる農村の話なんぞ全く出てこんぞ。↓
In the North, the spread of Islam was slower due to resistance from the Roman Catholic Church and the mountainous terrain which contributed to curb Muslim influence. In the center and south, however, by the end of the seventeenth century the urban centers had largely adopted the religion of the growing Albanian Muslim elite. The existence of an Albanian Muslim class of pashas and beys who played an increasingly important role in Ottoman political and economic life became an attractive career option for most Albanians.
http://en.wikipedia.org/wiki/Islam_in_Albania (太田)
「14世紀の後半からバルカン半島へオスマン・トルコが侵入し、アルバニアの封建諸侯も次々に降伏して、主要都市にはオスマン帝国の守備隊が置かれた。15世紀の前半、中部アルバニアの出身でオスマン帝国軍人として有名であったスカンデルベルグがオスマンに対するアルバニア独立の旗をかかげ、クルヤの城塞を拠点として戦った。1443-68年、オスマン帝国は毎年のように大軍を派遣したが、そのたびに敗北し、やっとスカンデルベルグの死(1468)後、封建諸侯の内紛に乗じて、再征服に成功した。スカンデルベルグは今日も民族的英雄として国民の崇敬を集めている。オスマン帝国支配下で国土は荒廃し、多くのアルバニア人がギリシア、南イタリア、シチリアに逃れた(いわゆるアルバレシュ人をなす)。国内の地主階級の多くはイスラムに改宗し、国民の3分の2がイスラム教徒となった。また剽悍な山岳民であることから、一部はオスマン帝国の傭兵としても活躍した。」
『東欧を知る事典 柴宜弘(監修)』p754
⇒この2番目の新典拠についても、「国内の地主階級の多くはイスラムに改宗し、国民の3分の2がイスラム教徒となった」に関し、1番目の新典拠についてボクが提起したのと同じ問いに答えてごらん。
なお、逃れた先で、同じオスマントルコ領内であるギリシャが筆頭に来てるってことは、アルバニア人の「脱出」については、ギリシャ人の場合のような、オスマントルコ領外のキリスト教圏へ逃れることを目的とする脱出じゃあなかったってことだ。
こんなくだりを引用するなんて、キミのアタマ、どうなってんだい?
ちなみに、南イタリアってのは、要するにナポリ王国のこと
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%9D%E3%83%AA%E7%8E%8B%E5%9B%BD
だが、確かに同国はキリスト教圏ではあるものの、スカンデルベグがナポリのこの王国を助けたことがあって、彼の死後、同王国が、彼の妻子を受け入れ、厚遇した、という背景があることからして 多数のアルバニア人渡航者があったとすれば、そりゃ恐らく、スカンデルベグの部下やその家族等がそこに一緒に渡ったってことだろな。
最後に、シチリアについてだが、シチリアはナポリ王国と切っても切り離せない関係にあった
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%A1%E3%82%B7%E3%83%81%E3%83%AA%E3%82%A2%E7%8E%8B%E5%9B%BD
から、上記部下やその家族等がそちらにも渡ったってことじゃないかな。
とにかく、この3か所(事実上2か所)しか出てこないっておかしいと思わなかったか?
なお、既に直して書いてるが、「スカンデルベルグ」は、「スカンデルベグ」・・アルバニア語でSkenderbeu、イタリア語でScanderbeg
http://en.wikipedia.org/wiki/Skanderbeg
(「ちなみに」以下の事実関係はこの典拠による。)の間違いだぜ。
日本でもそう呼ぶのは常識。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%99%E3%82%B0
キミは単にコピペしただけのはずだから、こんな間違い・・2度犯してるんだから校正ミスじゃなく原稿の間違いだろう・・を仕出かす以上、2番目の新典拠の信頼性には、1番目の新典拠よりも、更に疑問符が付くな。(太田)
上掲の2つから導き出される要素を以下に記します。
・多くの封建領主が殺されたり逃亡したりした。
・多くのアルバニア人が海外に逃れた。
・長い戦争および敗北とオスマン帝国支配下で国土は荒廃。
・アルバニアは<オスマン>帝国の辺境であり、ハプスブルク帝国との前線地帯でもあって、貧しい地域であった。(これは下記より)
http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/casia/pdf/No105.pdf
このような前提があったことを考えると、なぜアルバニアの多くがイスラムに改宗したか、を考えるにあたって、自由で余裕のある立場から実利のみで改宗したかのような推測は、一考の余地ありと思います。
それと、そもそも当時の封建社会では、支配層がどの宗教を選ぶかで住民の宗教も規定されるということが、ある程度考えられ、被支配民の信仰はその結果(ただし信仰の質が高いか低いかはまた別問題。きっかけという意味で)であるという側面もあるのでは。
⇒「当時の封建社会では、支配層がどの宗教を選ぶかで住民の宗教も規定されるということが、ある程度考えられ<る>」というのは、一般論としては成り立ちうるが、繰り返しで耳タコだろうが、どうして、それがバルカン地方(及びギリシャ)の中でアルバニアだけで起こったのか、そもそも、どうして、アルバニアでだけ「支配層が」大量にイスラム教に改宗したのか、を説明しなくっちゃダメだよ。(太田)
≫ちなみに、アルバニアとは違って、ギリシャでは、イスラム教への改宗者はごくわずかである一方、「西ヨーロッパへ移住<(脱出)>」する人が大量に出たが、両者の間にこのような極端な違いが生じたのは、ギリシャ人には、相対的に、真正キリスト教徒が多く、また、そのこととも相俟って、現世利益追求者が少なかったからである、と考えざるをえないだろう。(同上)
上で挙げましたが、「多くのアルバニア人がギリシア、南イタリア、シチリアに逃れた(いわゆるアルバレシュ人をなす)。」とあるように、この点では、ギリシャ人と同じく真正キリスト教徒が多かったと考えざるをえないですね。
⇒それが、「真正キリスト教徒」云々とは無関係であることについて、既に上で指摘済み。(太田)
≫本人が無知で頭が固い結果、客観的には荒らしになっちゃってるってところだろうが、おかげで、僕、昔の知識を活性化させることができた部分もある。(同上)
知識を活性化させることができたのは、知識の無いそちらに、こちらがいちいち典拠を挙げて教えてあげているからですよ。
⇒遺憾ながら、キミがこれまであげた典拠の中の情報で、ボクにとって目新しかったのは、疑問符付の「封建諸侯」云々の点のみだったぜ。(太田)
タイミングを見て貼ろうと思っている典拠がまだかなりあるのですが、自分を棚に上げたふざけた罵倒が続くようなら、教えてあげるのも終了します。
⇒日本語読解力がなく、しかも、自分の前後の主張の整合性も気にしないキミ、QOHev4oYクンに倣ってリタイアした方が、皆さんのためやでー。
管理人がボクじゃないから、キミの引き続きの投稿を止めさせるこたあできないが、どうしても投稿を続けるっちゅうのなら、せめて、今回、示したボクの疑問に全部答えてからにしてくれよな。
このボクの最後の文章の日本語、読解できた?(太田)
<太田>
それでは、その他の記事の紹介です。
AVの世界は、日本の現実の忠実な模写に過ぎないって、みんな知ってた?↓
「栩内被告、泥酔SEX後に全裸で逮捕…「ASKAさん」との事件当日初告白・・・」
http://www.hochi.co.jp/entertainment/20141003-OHT1T50027.html?from=ytop_ymag
「小向美奈子、ASKA愛人・栩内被告の無罪主張に「警察なめんなよ」・・・」
http://news.livedoor.com/article/detail/9317587/
香港の騒動の背後にキリスト教諸教派がある、というもっともらしい記事らしいが、何せ、有料記事なので、冒頭部分しか読めない。↓
Hong Kong’s churches are playing a quiet but important role in the city’s protests, offering food and shelter to demonstrators, with some organizers and supporters citing Christian values as inspiration in their fight.
http://online.wsj.com/articles/hong-kong-democracy-protests-carry-a-christian-mission-for-some-1412255663
やっぱ、イラクでもシリアでも、空爆だけじゃあIsisの前進を食い止めるのはむつかしそうだね。↓
Islamic State fighters pressed their assault on two key towns in Syria and Iraq on Thursday・・・
The two showdowns — in the Euphrates River town of Hit in Iraq and the strategic Syrian crossroads of Kobane near the Turkish border — suggest that the Islamic State retains enough firepower and command structure to make continued gains despite weeks of airstrikes by Western and Arab nations.・・・
http://www.washingtonpost.com/world/twin-fronts-in-syria-and-iraq-struggle-to-drive-by-islamic-state-advance/2014/10/02/b8e86f66-4a26-11e4-891d-713f052086a0_story.html
Isisによる、異教徒の女性や子供の取り扱いを今更のように取り沙汰してるが、ムハンマド批判を何度くりえしゃ気が済むんだろうね。↓
・・・”[W]omen and children who refused to convert were being allotted to ISIL fighters or were being trafficked … in markets in Mosul and to Raqqa in Syria,” according to the report. “Married women who converted were told by ISIL that their previous marriages were not recognised in Islamic law and that they, as well as unmarried women who converted, would be given to ISIL fighters as wives.” ・・・
http://www.foreignpolicy.com/articles/2014/10/02/women_and_children_for_sale?wp_login_redirect=0
Isisの残虐行為についても今更のように取り沙汰してるが、ムハンマド批判であることに変わりはない。↓
・・・no Islamist group before, no other offshoot of Al Qaeda or Hamas or Hezbollah, has so nakedly adopted a cult of sadism, not only as a weapon in its stated goal of establishing an Islamic caliphate but as the very reason for its existence.・・・
http://www.nytimes.com/2014/10/03/opinion/the-fundamental-horror-of-isis.html?ref=opinion&_r=0
トルコ議会、政府にイラクとシリアに侵攻する権限付与。
(付与された権限を、政府は当面行使せず、模様見を続けるつもりだろな。(太田))↓
Turkey’s parliament has backed a motion that could allow its military to enter Iraq and Syria to join the campaign against Islamic State (IS) militants.
The resolution – passed with a three-quarters majority – will also permit foreign troops to use Turkish territory for the operation. ・・・
http://www.bbc.com/news/world-middle-east-29455204
旧東西両ドイツは、どっちも、福祉国家大好き、平和主義、反資本主義、反米だったが、東西統合後、東出身の首相(と大統領)の現在、これらが増幅されてるとさ。↓
・・・ the affection for the social welfare state, pacifism, anti-capitalism and anti-Americanism・・・
Both the east and the west have a tendency toward anti-capitalism. It was an established part of the system in the GDR, while in West Germany it developed in a special form called the Rhenish model of capitalism, which was less permissive than the Anglo-Saxon model and allowed for more government influence.
<(福祉国家大好きとも関連してるんだろうが)ドイツ人は強い国家が大好きとも。↓>
The recently deceased historian Hans-Ulrich Wehler found that a desire for a “social monarchy” already existed in 19th-century Germany. Citizens pinned their hopes on a strong state and not the individual. This is the key difference between Germans, on the one hand, and the British and Americans, on the other.・・・
http://www.spiegel.de/international/germany/how-east-germany-influences-modern-day-german-politics-a-994410.html
だとよ、おのおのがた。↓
http://www.msn.com/ja-jp/news/health/高齢者の嗅覚機能低下、5年以内の「死期」示唆か-米研究/ar-BB6Xlfg
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太田述正コラム#7218(2014.10.3)
<新しい人類史?(その10)>
→非公開
皆さんとディスカッション(続x2404)
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