太田述正コラム#7072(2014.7.22)
<米独立革命とキリスト教(その3)>(2014.11.6公開)
イ タテマエ上のキリスト教とホンネのキリスト教
「幸福を最高の善と見た、エピクロスの哲学にルーツを持つ・・・伝統は、17世紀に花開き、ベネディクト・デ・スピノザが「無神論者たるユダヤ人」とレッテルを貼られることとなったところの、神、人間(humanity)、宗教、社会、の本性についての幅広い諸探究を生み出すこととなった。
他方、(在来型の敬虔に係る文例集的諸宣言でもってその偶像破壊を注意深く包み込んだ(mask))より用心深いジョン・ロックは、「米独立家達にたった一人で最大の知的影響を与えた」として歴史学者達によって称賛されることとあいなった。
しかし、急進のスピノザが、穏健のロックに勝るとも劣らず、北米を揺すぶって英国から離れさせたところの、不可知論的世界観を形成したのだ。」(A)
⇒ロックですが、「経験主義を唱え」たのはイギリス人として当たり前だし、「自然状態下(State of Nature)において、人は全て公平に、生命(life)、健康(health)、自由(liberty)、財産(所有- Possessions)の諸権利を有する」と主張したのは、イギリスのコモンロー上の諸権利を列挙しただけだし、「政府が権力を行使するのは国民の信託 (trust) によるものであるとし、もし政府が国民の意向に反して生命、財産や自由を奪うことがあれば抵抗権をもって政府を変更することができると考えた」のは、イギリスの議会主権下の政府(君主)という考え方の描写に過ぎないし、その「権力分立論は各権が平等でなく、立法権を有する国会が最高権を有するものとされ」たのは、まさに、ロックが議会主権そのものを語っていることを示しています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF (「」内)
また、ロックの宗教観は、私見では、イギリス人としてこれまた当たり前の自然宗教観を背景として、上記イギリス的政治思想を、「経験主義者」らしく、聖書の記述で裏付ける、というものでした。
http://en.wikipedia.org/wiki/John_Locke (←ロックの宗教観は左掲を参照した)
他方、ロックと同じ年(1632年)に生まれた、ロックの同時代人たるスピノザ(「フランス革命再考」シリーズ(コラム#6877以下)参照)は、(ロックが祖述したような、)イギリス的政治思想を、その経験主義や自然宗教観と切り離した形で、誤解的・歪曲的に、理神論(事実上の無神論)的かつ合理論的に再編成したものである、というのが私の考えです。
つまり、ロックはアングロサクソン文明の政治思想の祖述者たる典型的なイギリス人であり、スピノザは、欧州文明の下、(アングロサクソン文明の政治思想を始めとする思想を、誤解的・歪曲的に翻案することで、)最初の啓蒙主義者となったところの、典型的な欧州人・・スピノザに関しては、ユダヤ人たるポルトガル系オランダ人
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%8E%E3%82%B6
・・である、というわけです。
スチュアートは、米独立革命の思想的淵源を様々な思想家に求めつつも、最終的にロックとスピノザの二人に絞ったように見受けられるところ、それこそ、私のかねてからの、アングロサクソン文明と欧州文明のキメラとしての米国、という主張を援護射撃してくれたものとして、有難く頂戴することにしたいと思います。(太田)
(4)アレンとヤング
「10年ほど前に、私は、米国の建国の父達の哲学的著述群をより深く読み込み始めた。
ジェファーソン、フランクリン、ペインといった有名な人々だけでなく、余り知られていない、イーサン・アレン(Ethan Allen)<(注15)>やトーマス・ヤング(Thomas Young)<(注16)>といった人物達のものも。
(注15)1738~89年。「<米>独立戦争初期の活動家・・・24歳の時にフレンチ・インディアン戦争で植民地民兵隊に従軍した。・・・<そして、>ニューヨーク植民地によるバーモントの植民に反対して戦い、<米>独立戦争中はその独立のために戦った。アレンは、バーモントを<米>国の14番目の州にする道を作ったとして、<米>国建国の父の一人に数えられる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%83%B3
エール大を目指していたが父親の死で進学を断念。
http://en.wikipedia.org/wiki/Ethan_Allen
(注16)1731~77年。医師。ボストン茶会参加・・参加者中、唯一インディアンの扮装をしていなかった・・。イーサン・アレンのメンター。バーモントの命名者(vert(緑の)+mont(山))。
http://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Young_(American_revolutionary)
(続く)
米独立革命とキリスト教(その3)
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