太田述正コラム#0269(2004.2.24)
<台湾の法的地位(続X4)>
台湾「独立」派はどうすればよいのでしょうか。
「独立」派が台湾の政権を握り続けてさえおれば、中共との合併協議が始まるはずがなく、その限りでは事実上「独立」状態の現状が維持され、しかも現状が維持される間、中共は米国の軍事介入をおそれ、台湾を軍事的に併合しようとはしないものと思われます。
しかしそれではあきたらないとして、台湾「独立」派が、何とかして台湾を米国の軍事占領下から脱せしめて独立主権国家にしたいというのであれば、次のような方法が考えられます。
まず、3の(2)の台湾主権台湾人民帰属説は放擲すべきでしょう。主権は国家にのみ帰属するものだからです。
次に、(1)の台湾主権帰属未定説をとるか(3)の台湾主権中華民国先占説をとるかですが、かつての米国(行政府と議会)の見解である(1)をとるのが単純にして明快でしょう。
その際、日本政府に改めて明確にカイロ宣言を否定してもらい、1972年の日中共同声明についての中共の「誤解」(コラム#247)を正してもらうことが望ましいことは言うまでもありませんが、望み薄です。
いずれにせよ、これから先が肝心なところです。
現在の米国行政府の主張・・中共に潜在的主権・米国が軍事占領・・を前提としつつ、なおかつ、台湾「独立」を追求するにはどうしたらよいか、です。
手がかりは米国の最高裁の判例にあります。
20世紀に入った頃、米最高裁は、米国憲法に規定された基本的諸権利は、議会による法律の制定なくして、直接米国の法的管理下にあるあらゆる地域に適用される、旨の判例を形成しました。この判例は、1990年の最高裁判決(United States vs Verdugo-Urquidez)で再確認されています。
この判例によれば、米国の軍事占領下にある台湾は、米国憲法第1条によって、共同防衛(common defense)の対象とされる権利を有します。
これは、中共の軍事的侵攻があれば、米国は台湾を防衛しなければならないことを意味します。
それだけではありません。米国憲法修正第5条の自由、財産、手続的正義(due process)の諸権利もまた軍事占領下の台湾に適用されることになります。
そこで、台湾で住民投票を実施し、米国憲法修正第5条にうたわれている諸権利を直接台湾住民が享受しているところ、台湾の法的地位に関する米国行政府の主張・・台湾を専制的国家たる中共の潜在的主権下に置き、将来台湾が中共に併合さるのを当然視する主張・・は、台湾住民によるかかる諸権利の享受を不可能にするものであって米国憲法違反である旨を米国政府に申し入れるべきか否か、を問うて「申し入れるべき」との結果を得た上で、この見解を実際に米国行政府と議会にぶつけていく、というのが有力な作戦である、と考えられます。
この結果、米国行政府が非を認めてその主張を撤回し、1979年までの主張である3の(1)の台湾主権帰属未定説に戻せば、その時点で再度台湾において、台湾が独立主権国家になるべきか否かについて住民投票を実施し、台湾「独立」を図ることになります。
(以上、Hartzell前掲を参考にし、それに私見を加味した。)
米国は、先の大戦の時以来、1950年の朝鮮戦争勃発(第一次冷戦。中共・ソ連が敵)、1979年の第二次冷戦開始(ソ連が敵、敵の敵たる中共は友)と二度にわたり、政治的理由で台湾の法的地位に関する主張を変更してきました。
しかし、いまや冷戦が完全に終焉を迎えてから既に10年以上が経過しているのですから、再度米国が主張を変更しても不思議ではありません。(そもそも、冷戦終焉以前の1989年の天安門事件の時に主張を変更すべきだったのかもしれません。)
それが「延期」されている理由は、一つは中共の経済的勃興であり、もう一つが米国の2001年以来の対テロ戦争でしょう。米国はとにかく中共を敵にしたくないのです。
その米国を改心させられるのは、今のところ国際法や米国憲法を援用した法的議論しかありません。
たかが法的議論と言うなかれ。
世界の近現代史を振り返れば、法的正義に則った側が最終的に勝利を収めるケースが次第に増えてきています。
ここでも日本の出番が待たれるところですね。
(完)