太田述正コラム#7112(2014.8.11)
<米国とその人道的介入の歴史(その1)>(2014.11.26公開)
1 始めに
苛ついたコラム
http://www.foreignpolicy.com/articles/2014/08/09/the_big_lie_genocide_Obama_Iraq_Yazidi?wp_login_redirect=0
があったのでご紹介し、批判することにしました。
2 米国とその人道的介入の歴史
「8月7日の記者会見で、フォックス・ニュースの<記者が>ホワイトハウス報道官のジョシュ・アーネスト(Josh Earnest)に、オバマ大統領のイスラム国(IS)に対する軍事力の使用を認める決定について、直球の質問をぶつけた。
「ジェノサイドを防止するのは米国の核心的諸利益に当たるのか」と。・・・
アーネストはしばらく沈黙した。
それから、首尾一貫していない答えになっていない答え(incoherent non-answer)として、米外国政策の最も一貫した諸公理(truisms)のうちの一つにリップサービスをした。
「もちろん、米国は全球を通じて、自由と基本的諸人権への敬意のかがり火(beacon)であり続けてきたし今後ともそうであり続けるだろう。
そして、それはこの国の一つの核心的建国原則であり、米国の男性達と女性達が守るために闘い続けてきたものだ。
そして、我々は、その価値のために立ち上がり続けるだろう」と。・・・
・・・<実際、>米国が<そのような観点から、>世界中の問題諸地域に介入をするであろうとの広範な信条が存在する。
しかし、米国政府は、常に、ジェノサイドや民族浄化を止めることに関してはみじめな記録しか持っていないし、そこのことは変わるとは考えられにくい。
極めて少ない諸例外はあるものの、1870年代に米国が主要な大国として出現して以来、その深刻な人道的危機への対応は、暗黙裡の支持ないし無関心ないし事後的非難の域に留まってきた。
恐らく、最初の事例は1880年代であり、当時、チェスター・A・アーサー(Chester A. Arthur)<(注1)>大統領が、ベルギーのレオポルド国王<(コラム#149、2870、4967、5128、5130、5353)>の今後に対する諸要求を認め、支持した。
レオポルドの暴虐的統治は次の通り:地元住民達への無差別的暴力、集団的処罰、手足切断等、はさすがにそれは超えないが、今後人数百万人を死に導いた。
(注1)1830~86年。大統領:1881~85年(前大統領ガーフィールドの暗殺に伴い、副大統領から昇格したもの。)母親の祖先にインディアンの血が混じっている。ユニオン単科大学卒・修士、某ロースクール卒。「行政改革の主張者になり、ペンドルトン法の可決を統轄<し>・・・た。ペンドルトン法は公務員任用・昇進の際に試験を導入し、それに伴い人事を決定するものであった。現在でこそ普遍的であるが、当時としては非常に画期的な制度であった。また、議会が企図した中国系移民の排斥を阻止している。他、関税法、エドモンド法(モルモン教の一夫多妻禁止の法律)の可決に関与している。・・・マーク・トウェインは「アーサー大統領の治世よりも良い政治を行うことは本当に困難であろう。」と認めている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BBA%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC
レオポルドに対する、レオポルドに対してより強い姿勢をとるべきである、との何十年にもわたる働きかけにもかかわらず、米国政府の腰は重いままだった。
1901年から1909年の間大統領であったセオドア・ロースベルトは、「干渉するのは文字通り物理的に不可能である」と述べ、介入せよとの運動に係る観念を大ばか者と呼んだ。
⇒レオポルドによる黒人虐待や虐殺より長期的で悪質な黒人虐待や虐殺を黒人奴隷制/ジムクロウ制を通じてやったとさえ言える米国の知識人であるというのに、アメリカ原住民に関して、英領北米植民地人と米国人が殺害しただけでも100~400万人、持ち込まれた疫病等での死者を併せれば最低でも1000万人死亡させ、彼らの土地の98%を奪ったところの、自らが行ったジェノサイドないし民族浄化
http://www.politicususa.com/2012/03/24/native-american-crisis.html
に一言も言及しない、このコラム執筆者の厚顔無恥ぶりには絶句するのみです。(太田)
その後の何十年かだが、このローズベルトよりも孤立主義的な米国の歴代大統領達は、日本の東アジアにおける諸残虐行為、トルコのアルメニアでのジェノサイド、或いは、東南アジアのような場所での欧州の植民者達による一般住民の大規模な殺害、を止めることを拒否した。
⇒恐らく聞きかじりで書いているのでしょうが、こんなところに、日本の話を持ち出すだけでも呆れてしまうのですが、米国がフィリピン独立運動を欺き、抵抗する彼らを大量に虐殺しておいて、そのことに全く触れない精神構造が私には理解できません。(太田)
ヨセフ・スターリンの、正真正銘の民族浄化であるところの、1930年代におけるソ連内での約600万人の少数民族の強制移住は、米国政府の最高諸レベルにおける若干名による彼への尊敬の念を減じはしなかった。・・・
⇒これも、アメリカ原住民の強制移住を長期にわたって執拗に続けた国の国民がよく言うよ、とこのコラムニストに怒りをぶつけたくなります。(太田)
ホロコーストについてはどうか?
米国の戦争諸努力は、ナチスドイツの敗北、及び、史上最も身の毛がよだつ工業化されたジェノサイドに終止符を打つこと、に貢献したことは確かだ。
しかし、米国での伝承は、往々にして、1941年12月11日にアドルフ・ヒットラーの側が米国に宣戦布告をしたのであって、その逆ではないことを見過ごしている。・・・
⇒戦争犯罪ではないホロコーストに殺害者数でこそ「遜色がある」ものの、もっぱら非戦闘員の殺害を目的とした原爆投下を含む日本の都市爆撃で何十万の非戦闘員を殺害した米国の戦争犯罪を「見過ごしている・・・米国の伝承」に拠りかかっているこのコラムニストに失笑せざるをえません。
なお、ヒットラーに対米開戦させるべく、セオドアならぬフランクリン・ローズベルトがチャーチルと狸のばかしあいをしながら、どれだけ日本を対米開戦に導く策謀を弄したかについても、また、フランクリン・ローズベルトがいかに反ユダヤ主義者であったかについても、このコラムニストは無知であるか、あえて「見過ごし」た、ということになります。(太田)
(続く)
米国とその人道的介入の歴史(その1)
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