太田述正コラム#7122(2014.8.16)
<英米性革命(その7)>(2014.12.1公開)
「ホフラーは、その1960年代末から1970年代初にかけての文化的分水嶺の年代記において、英国人達の貢献<度の大きさ>を認めている。
<性革命劇の>助演者達の一人は、当時、英国映倫(British Board of Film Censors)の事務局長であったジョン・トレヴェリヤン(John Trevelyan)<(注46)>だった。
(注46)1903~86年。イギリス人。教師、地方自治体の教育行政官を経て、1951年に英国映倫事務局に入り、やがて事務局長となる(1953~71年)。4度結婚。学歴不明。
http://en.wikipedia.org/wiki/John_Trevelyan_(censor)
http://www.screenonline.org.uk/people/id/454874/
発言:[1970年]米国人達はいい連中だが、たった今は、性って何かを発見したばかりの少年達のようなふるまいをしている。
我々は下劣な(dirty)考えを持つべく給料をもらっている。
http://www.imdb.com/name/nm1047404/bio?ref_=nm_ov_bio_sm
⇒「未成熟」な米国人をバカしきっているところの、まことにもってイギリス人らしい発言をトレヴェリアンはしていますね。
マッカーサーによる日本人12歳説ならぬ、米国人12歳説を私が唱えた(コラム#6337)ことを思い出してください。(太田)
校長的人物であった彼は、流行創造長官(tastemaker-in-chief)としての役割において、明確に楽しんだ。
(ここで読者への質問だ。
英映倫において彼の職位に今ある人物の名前を言えるか?
言えないだろう。
まこと、彼のような強力な存在が、今ではいなくなったことよ。)
果たして、トレヴェリアンは、ある監督が主張したように邪悪な偽善者だったのだろうか。
それとも、故ラッセル(前出)が主張したように、物議をかもす素材を、最大限、彼の同僚達に承認させることに関して、彼は奇跡を呼び起こした(work wonders)のだろうか。
後者の方がはるかにもっともらしいが、ホフラーは、読者達自身に判断させようとしている。」(B)
「<米>映画制作規定(Film Production Code)は、1930年代以来、裸(naked skin)、下劣な言葉、そして、赤裸々な(graphic)暴力の描写を禁じてきたが、それは、何年にもわたって、現状にそぐわなくなってきていた(cracking for years)。
それは、1968年に撃沈され、レーティングによって置き換えられた。・・・
ホフラーは、<このような意味で>時代が画された頃の前後において(the age that straddles Stonewall)、男性の同性愛は、不釣り合いなくらい、表現され、精査され、検閲されたことを巧みに示している。
ジョン・シュレシンジャー監督は、『真夜中のカーボーイ』で、ものすごい時間、<男性によって男性に>フェラチオを続けさせたが、ニコラス・ローグ(Nicholas Roeg)<(注47)>は、『パフォーマンス 青春の罠 (Performance)』<(注48)>の中で、ジェームズ・フォックス(James Fox)をおだてて、ミック・ジャガー(Mick Jagger)と性交させる(go all the way with)ことができなかった。
(注47)ローグ(Nicolas Roeg。1928年~)は、「イギリス・ロンドン出身の映画監督・撮影監督である。」学歴不明。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B0
(注48)1968年制作、1970年封切の英犯罪ドラマ映画。ドナルド・キャメル(Donald Cammell)とニコラス・ローグが監督し、イギリス人俳優のジェームス・フォックスとローリングストーンズの一員たるミック・ジャガーが出演した。ジャガーにとっては、俳優としての第一作。
http://en.wikipedia.org/wiki/Performance_(film)
http://en.wikipedia.org/wiki/James_Fox
「キャメル<が単独監督したもの>には長編映画として生涯四本しか作品がなく、そのうちの三本が犯罪映画、もう一本はSFホラーである。・・・<19>34年、スコットランドのエジンバラ生まれ。父は詩人で作家のチャールズ・リチャード・キャメル。美術に優れ、16歳で奨学金を得て、ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツに学ぶ。その後フィレンツェに留学、フレスコ画、肖像画の画家ピエトロ・アニゴニに弟子入り。50年代、ロンドンで肖像画家として活躍するが、その後画家を断念(その理由は不詳)、映画を志す。」
http://www.eiganokuni.com/yoshida/23-1.html
アンディ・ウォーホルとポール・モリセイの『Flesh』、『Trash』、そして、『Heat』<の3部作(注49)>におけるジョー・ダレサンドロ(Joe Dallesandro)<(注50)>崇拝が不自然でないのは、円熟した(ripe)奇人的(oddball)ユーモアと、カメラがダレサンドロの良く手入れされた(taut)白くて滑らかな(alabaster)肉体を憧憬することに対しての彼の絶対的平然さ(ease)を保てる愛でられた能力による。・・・
(注49)制作ウォーホル、監督モリセイによる「ポール・モリセイ3部作(Trilogy)」(1968年、1970年、1972年)全ての主役をダレサンドロが務めた。
http://en.wikipedia.org/wiki/Flesh_(1968_film)
http://en.wikipedia.org/wiki/Trash_(1970_film)
http://en.wikipedia.org/wiki/Heat_(1972_film)
(注50)1948年~。米国の俳優。母親は車の広域窃盗犯として長期服役したため、断続的に父親に育てられる。15歳の時に父親を侮辱した校長を殴って退学、爾後教育を受けていない。同性愛者。
http://en.wikipedia.org/wiki/Joe_Dallesandro
彼は、「20世紀<米国>のアンダーグラウンド映画では、おそらく最も有名な男性セックスシンボルであり、またゲイ文化におけるセックスシンボルでもあった。」
http://www.weblio.jp/content/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%AC%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AD
テレビ界でさえ、『ある米国の家族(An American Family)』<(注51)>・・元祖リアリティ・ショーにして、離婚と息子のカミングアウトを扱ったドキュメンタリー・・でもって、<性に係る>突破口を開いた。」(C)
(注51)1971年の5月末から12月末にかけて撮影され、1973年初から12回に分けて放映された。カリフォルニア州サンタバーバラの中流の上の一家を描く。
http://en.wikipedia.org/wiki/An_American_Family
(続く)
英米性革命(その7)
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