太田述正コラム#7166(2014.9.7)
<インド文明の起源(その3)>(2014.12.23公開)
戦争と言っても、理論上は、インダス文明内での戦争のほか、インダス文明以外との戦争もありうるわけですが、それもなかったことを示唆しているのが、下掲の事実です。
「インダス文明滅亡の原因<については、>・・・「アーリア人侵略説」をはじめとする外部からの侵略説がまず滅亡の原因として唱えられ<てい>た<が、>最近では紀元前2000年頃に地殻変動が起こって、インダス川の流路が移動したために河川交通に決定的なダメージを与えたのではないかという説が有力になっている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%80%E3%82%B9%E6%96%87%E6%98%8E 前掲
(なお、「インダス文明が存在した地域は現在砂漠となっている」(上掲)ところ、同文明当時もそうであったのなら、メソポタミア文明やエジプト文明と同じ気象環境であったということになるけれど、そうではなかった、と想定するわけです。)
つまり、インダス文明が衰弱してきて、餌食にされても不思議ではない時点に至っても、なお、外敵は出現しなかったらしいというのです。
その原因については、南はアラビア海ですし、東は、平和志向の同じドラヴィダ人が当時住んでいたと思われるヒンドゥスターン平原、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%A5%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%B3%E5%B9%B3%E9%87%8E
でしたし、北は、ヒンドゥークシュ山脈(とカラコルム山脈)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%B1%B1%E8%84%88
で守られ、西は、北から南にかけて、カヴィール砂漠、ルート砂漠、及び、現在のイランにおいて、(海岸地帯を除いて、)最も乾燥した地域
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E7%A0%82%E6%BC%A0
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%B3%E5%B7%9E
で、それぞれ扼されており、侵攻してくるような勢力が存在しなかったし、従って、これら勢力に対処するためにインダス文明側から出撃する必要もまたなかった、ためではないか、と考えられるのです。
ちなみに、こういった徒歩で踏破するのが困難な地域を踏破できるところの、騎乗(そして騎兵)の出現は紀元前2000年前後にモンゴル高原においてであり、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A8%8E%E5%85%B5
インダス文明滅亡の頃には、同文明周辺地域にはまだ騎乗勢力は出現していなかった、と考えられるところです。
このように、インダス文明は戦争とは無縁であったとすると、同文明内で帝国形成がなされなかったどころか、地域権力者の出現はもとより、大きな貧富格差すら生じなかったのは当然でしょう。
しかし、インダス文明のユニークさはそれだけではないのです。
「同時代のエジプト及びメソポタミア両文明とは対照的に、インダス渓谷においては、記念碑的な神殿群や宮殿群が全く欠如しているのだ。
発掘された諸都市が示すところによれば、そのための必要不可欠な知識をその社会が有していたにもかかわらず・・。
これは、宗教的諸儀典が仮に存在していたとしても、それらが個人の家々、小神殿群、ないしは屋外でしか概ね行われなかった、ということなのかもしれない。」
http://en.wikipedia.org/wiki/Indus_Valley_Civilization 前掲
これは、日本の縄文時代にだって、環状列石
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AB
のような、宗教施設としか考えられない遺跡群が存在していることに照らせば、インダス文明には、(呪術的なものを含め)宗教そのものが存在しなかった可能性を強く推認させるものである、と私は考えています。
(2012年の調査によると、現在、無宗教者が大半を占める「国」は、中共、北朝鮮という信教の自由のない国は別にすれば、チェコ、エストニア、香港、そして日本の4カ「国」しかありません。
http://www.christiantoday.co.jp/articles/11570/20121219/news.htm
しかし、そういう「国」が存在している、という事実こそ重要であって、これは、大昔にだって、宗教が必要でない条件さえ揃っておれば、無宗教の文明があっても不思議ではないことを示しています。
インダス文明におけるその条件を推測することは、はさすがに控えますが・・。)
そんなインダス文明の人々にとって、見えない巨大な力が働いて、(時間は相当かかったのでしょうが、)インダス渓谷が居住不適地になって行き、一種のユートピアであったインダス渓谷から立ち去らざるをえなくなったことは、どんなに大きな衝撃であったか、想像に難くありません。
そんなところへ、それほど時間を置かず、(恐らく騎乗の民たる)渡来人がインド亜大陸にやってきたのです。
(続く)
インド文明の起源(その3)
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