太田述正コラム#7182(2014.9.15)
<新しい人類史?(その8)>(2014.12.31公開)
 「巨大企業網群の出現は、多くの諸個人にとっては、極めて疑わしい祝福だった。
 それらを維持した想像上の秩序は中立的でも公正でもなかったからだ。
 彼らは、人々を想像上の諸集団へと分け、それら諸集団を階統(hierarchy)へと整序した。
 上級諸層(upper levels)は諸特権、権力、及び富を享受し、下級ランクの者達は差別と抑圧に苦しんだ。
 例えば、ハンムラビ法典(Code of Hammurabi)<(注4)>は、上級者達、庶民達、そして奴隷達からなる明確な階統を樹立した。
 (注4)「紀元前1792年から1750年にバビロニアを統治したハンムラビ(ハムラビ)王が発布した法典。アッカド語が使用され、楔形文字で記されている。・・・
 罪刑法定主義<を掲げ、>・・・社会正義<の遵守と>弱者救済<を旨とした。>・・・
 宗教色は薄<く、(旧約聖書の律法とは違って)>身分階級の違いによって刑罰に差がある・・・<が>、身分差別を除いて、人種差別、宗教差別をした条文はみられない。・・・
 <また、>奴隷階級であっても一定の権利を認め、条件によっては奴隷解放を認める条文が存在し、女性の権利(女性の側から離婚する権利や夫と死別した寡婦を擁護する条文)が含まれている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%83%93%E6%B3%95%E5%85%B8
 上級の人々は、生活において、良いもの全てを得、庶民達は、残されたものを得、そして、奴隷達は何も得なかった。
 知られている全ての複雑な諸社会<の人々>は、このような諸階統の中に分けられた。
 若干の諸場所や諸時代においては、人々はカーストによって分けられ、他の人々は人種ないし宗教ないし富によって分けられた。
 しばしば、いくつものこれらの分け方が同時に(at once)援用された。
 例えば、近代の米国では、人々は、その人種、宗教、性、そして富によって、同時に(simultaneously)分けられ、扱われた。
 金持ちの黒人のイスラム教徒たる女性の地位(status)は、金持ちの黒人のキリスト教徒たる女性や貧しい白人のユダヤ人たる男性とは異なるのだ。
 どのような分け方を特定の社会が援用しようと、基本的な原則は常に同じであり続ける。
 それは、人々を異なった諸範疇へと分類し、人々は彼らが配置された範疇によって扱われるという点だ。
 つまり、彼らが誰であるとか彼らの諸能力や諸人格について、知る必要はないのだ。・・・
 異なった諸宗教と諸社会システムとが、何かに対する嫌悪を醸成する生物学的諸メカニズムを乗っ取り、それを、人々の特定の諸集団に向けさせたのだ。
 彼らは、人々を極めて早い年齢から、特定の類の人と接触した時、その人があなたを汚染するかもしれない、と教育した。
 これが、ヒンドゥー教のカースト制の形成にあたっての、少なくとも諸基盤の一つだった。・・・
 例えば、人種主義者達は、アフリカ人達、欧州人達、支那人達、そして豪州の原住民達の間には本当に生物学的諸差異がある、と主張する。・・・
 古代の支那人達は、創造主たる女神の女媧(Nuwa)<(注5)>が土から人間を創った時、彼女は、貴族達を上質かつ良い黄土から創ったが、庶民達は茶土から形成したので彼らは貴族ほど良質ではない、と信じた。・・・
 (注5)「土と縄で人類を創造したとされる女神。・・・黄土を捏ねて作った人間が貴人であり、数を増やすため縄で泥を跳ね上げた飛沫から産まれた人間が凡庸な人であるとされている。・・・農業神としての性格をも持つ。・・・天下を補修した<とされる。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E3%82%AB
 「確かなことは、歴史上の諸社会が人々を諸集団の階統へと分類した異なった諸手法は、想像上の諸物語に立脚してきた、という点だ。
 それらは、客観的事実を反映してはいないのだ。・・・
 何らかの種類の想像上の階統と何らかの種類の差別なくして、それ自身を組織し維持できる複雑な社会を、学者達は歴史上どこにも見出せない。
 それは、これらの全ての想像上の諸分類と諸階統が一つの重要な社会的機能に奉仕しているからだ。
 それらは、全くの異邦人達が、個人的に知り合いになるための時間と労力を浪費することなくして、相互にどう扱い合えばよいかを知ることを可能にする。
 例えば、教師はどうやって学生の入学を認めるかどうかを決めるだろうか?
 18世紀のユダヤ人のラビはユダヤ人の男性達しか認めなかっただろう。
 伝統的なヒンドゥー・コミュニティのグルはバラモン・カーストからの男性達しか認めなかっただろう。
 今日の名声のある私立の米大学は、彼らだけが授業料を払えるところの、金持ちの人々しか認めない。・・・
 生来の諸能力上の諸差異も社会的諸区別の形成に若干の役割を演じるけれど、それらは、通常、我々の社会の想像上の諸階統による取り次ぎを経る(mediated through)のだ。・・・
 多くの諸宗教と諸社会において、我々は、例えば、女性達は汚染の源泉であるから、聖なる諸書物の近くに行ってはならない、とか、彼女達は男性達と混淆してはならない、とか、彼らはこれを或いはあれをやってはならない、とか、といった諸観念を見出す。・・・
 <アフリカから奴隷達を輸入したのは、>米国大陸の原住民の90%超が、欧州人達の渡来から1世紀以内に、<これら欧州人達が持ち込んだ>新しい諸疾病に対する免疫を持っていなかったために死んだからだ。
 その結果、諸プランテーションで働く十分な数のインディアン達が確保できなくなった。
 アフリカから奴隷達を輸入したもう一つの理由は、アフリカで既にとてもよく発達した奴隷貿易があったからだ。
 北アフリカと中東出身の主としてイスラム教徒たる奴隷貿易業者達は、それまでの数世紀の間に、アフリカ人奴隷達が中央アフリカから北アフリカと中東に輸出されるところの、活発な貿易を発展させていた。
 欧州人達が奴隷達の輸入を欲し始めた時、何もないところから完全に新しい奴隷市場を創造するよりも、既存の市場を使って奴隷達を買ってアメリカ大陸に送った方が、はるかに容易だったのだ。・・・
 アフリカの奴隷達を輸入した三番目の、そして恐らくは最も重要な理由は、アメリカ大陸の砂糖、綿花、そしてコーヒーの諸プランテーションの大部分は、ハイチ、ブラジル、ルイジアナ、そしてヴァージニアといった熱帯諸地域に所在していたからだ。
 これらの熱帯諸地域では、アフリカ起源の、マラリアや高熱病といった熱帯疾病が流行っていた。
 コロンブスその他、15世紀末から16世紀初にかけて渡来した者達は、熱帯アフリカ起源の諸疾病を一緒に持ち込み、それらが熱帯アメリカ大陸全域に広がった。
 欧州人達は、それら疾病が欧州では一般的ではなかったので、免疫を持っていなかった。
 他方、アフリカ人達は、何世代にもわたって、少なくとも部分的にそれらへの免疫を獲得していた。
 欧州人達は、群単位で死んだのに対し、アフリカ人達ははるかに生存の確率が高かったのだ。・・・
(続く)