太田述正コラム#7192(2014.9.20)
<中東イスラム文明の成立(その4)>(20145.1.5公開)
3 中間的総括
このシリーズのタイトルもこれあり、ここまで読んでこられた方は想像がつくと思いますが、Isisの動向を追うことは、イスラム共同体の創世記を追体験することを意味するのです。
但し、いくつか、どうすることもできない違いがあります。
すぐに、どなたかから、そもそも時代が違うではないか、という声が聞こえそうです。
いや、そんなことがあるはずがないのです。
コーランは、神(アラー)が語ったこと(啓示)をムハンマドが伝えた、というタテマエだからであり、およそ、時代を超えた普遍的な内容のものでなければ、神が語るはずがないからです。
ムハンマドが神の最後の預言者である、というタテマエ(コーラン46章8節9)が、更にそのことを動かしがたいものにしています。
新たな預言者が出現して、神の真意は実はこうだったのだ・・苦しー!・・といった形で、変化した時代に即したものへとイスラム教を刷新することはできないのです。
このことは、最後の預言者たるムハンマドの言行(スンナ)・・それを記録したものがハディース・・の一部または全部を否定したり、いやそれどころか再解釈することさえ、困難にしています。
もとより、コーランの文面の解釈を変更することは理論的には可能なわけですが、ムハンマドが文盲であったとされていることもあずかっているのか、コーランの文章は、(私が、これまで、邦訳や英訳のコーランを流し読みしてきた経験に照らしても、)おおむね平易かつ単純明快であって、多義性を許す余地は余りありません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%83%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%95 ←事実関係は左掲(前掲)に拠った。
違いの第一は、ハディースはもとより、コーランにしても、ムハンマドの、彼がその生涯をかけて、イスラム共同体を生誕させ拡大させながら創り出した、いわば作品であり、カリフ制はそのムハンマド死去後に生み出された制度であるところ、Isisは、これらを先例として、時間を圧縮した形で踏襲的実行に移すことができ、現に実行に移しつつあることです。
違いの第二は、ムハンマドは最後の預言者なのですから、バグダーディーは預言者ならぬカリフを称さざるをえなかったことです。
違いの第三は、これはもっと当然なことですが、ムハンマドの時は最初はイスラム教徒は0人だったのに、今では、(2009年の推計で)世界の4分の1近くの16億人も既に存在している
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/9034.html
ことです。
但し、バグダーディーからすれば、Isisの積極的成員ないし積極的シンパだけが純正イスラム教徒なのでしょうから、そう考えれば、これは、実質的な違いとは必ずしも言えないことになりそうです。
違いの第四は、第三と関係していますが、敵の違いです。
ムハンマドにとっては、敵は、A:非イスラム教徒たるアラブ人、及び、B:(自分達にとって敵対者達ないし敵対的中立の者達たる)ユダヤ人でしたし、初期諸カリフにとっては、C:自分達にとって敵対者達ないし敵対的中立の者達たる非イスラム教徒全体であり、その中でも、とりわけ、キリスト教国家たるビザンツ帝国、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E5%B8%9D%E5%9B%BD#.E3.82.A4.E3.83.87.E3.82.AA.E3.83.AD.E3.82.AE.E3.83.BC
及び、ゾロアスター教国家たるササン朝ペルシャ、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%B3%E6%9C%9D
でした。
それに対して、Isisの敵は、α:非純正イスラム教徒たる(広義の)シーア派及び非真正スンニ派、そして、β:非イスラム教徒でIsisに対して敵対者達ないし敵対的中立の者達、です。
恐らく、バグダーディーは、αをAに準え、βをB及びCに準えているのではないでしょうか。
(なお、敵が降伏した場合の取り扱いにおいては、Isisは啓典の民とそれ以外との区別を、当然のことながら、踏襲しています。)
さて、一体、Isisは、いつの時代のどのカリフを理想としているのでしょうか。
私は、彼らにとっては、過去に理想のカリフは存在せず、(正統カリフ達や)ウマイヤ朝の歴代カリフのように、アラブ人たるイスラム教徒と非アラブ人たるイスラム教徒を税負担において差別
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%A4%E6%9C%9D
せず、さりとて、アッバース朝の歴代カリフのように、シーア派を許容する(注3)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B9%E6%9C%9D
ことがない、しかも、ウマイヤ朝やアッバース朝のように世襲されることのない正統カリフ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E7%B5%B1%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%83%95
時代的な、カリフを新しく創ろうとしている、と考えています。
(注3)「反体制派の<スンニ派の>アラブ人とシーア派の非アラブムスリム(マワーリー)である改宗ペルシア人からなる反ウマイヤ朝軍<を率い、[<更には、>ササン朝時代に異端として弾圧されたマズダク教の勢力と結<んで>]<ウマイヤ朝を倒して>カリフの座についた<シーア派のアラブ人たる>アブー=アル=アッバースは、安定政権を樹立するにはアラブ人の多数派を取り込まなければならないと考え、シーア派を裏切り<スンニ>派に転向した。・・・
<しかし、>アッバース家が権力基盤を固めるには、イラクで大きな勢力を持つ非アラブムスリムの<シーア派の>ペルシア人の支持を取り付ける事が必要であったため、<コーラン>の下でイスラム教徒が平等であることが確認され、非アラブムスリムに課せられていたジズヤ(人頭税)とアラブ人の特権であった年金の支給を廃止し、差別が撤廃された。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B9%E6%9C%9D
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%A4%E6%9C%9D ([]内)
なお、マズダク教は「財産や女性の共有などを説いた」。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%BA%E3%83%80%E3%82%AF%E6%95%99
(続く)
中東イスラム文明の成立(その4)
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