太田述正コラム#7198(2014.9.23)
<中東イスラム文明の成立(その7)>(2015.1.8公開)
この公正発展党政権観の強力な間接的証拠となるのが下掲記事です。
「2013年に、トルコは、2年連続して、ジャーナリスト達を最も多く牢屋に入れている国となった。
(次いで、イラン、中共。)
同年末にぶち込まれていたのは40人の報道人達であり、それが、2014年に、フリーダム・ハウスが、2014年の自由度ランキングで、この国を「部分的に自由」から「非自由」へとランキングを下げた様々な要因のうちの一つだ。
トルコは197国中の134位だった。・・・
公正発展党が権力の座に就いた時、「[メディアの]20%がイスラム主義的な保守的な諸新聞や諸チャンネルだった。・・・しかし、その後何年かの間に、諸局と諸新聞は政府よりになり始めた。今や、基本的に、メディアの3分の2は政府より的だ。」
http://www.foreignpolicy.com/articles/2014/09/22/either_with_us_or_against_us_turkey_media_press
(9月23日アクセス)
ウ イスラム同胞会・アルカーイダ・Isis
以上から、いかに、中東イスラム世界全域でイスラム急進化へのベクトルが働いているか、その結果、アラブの春「革命」を通じてチュニジアやエジプトで、或いは、既に、形の上では民主主義化していたトルコで、イスラム急進化が始まっているか、のイメージを掴んでいただけた、と思います。
では、今度は、この中東イスラム世界で、イスラム急進化の前衛となっている諸団体にはどういうものがあり、それら諸団体が相互にいかなる関係にあるかを見て行きましょう。
「サラフィー主義者は・・・基本的には非暴力的である。これに対し・・・<目的は同じくしつつも、>武力行使をジハードと位置づけて優先する流れ(1990年代以降に台頭した)については、区別して『サラフィー・ジハード主義』(サラフィー主義・ジハード派)などと呼ばれ、・・・イスラム過激派と表現するものの一部はこれにあたる。
<なお、>・・・<イスラム>同胞<会>などもサラフィー主義を源流とするとみられるものの、より社会福祉を重視するなど経済や貧富の格差に注目する社会運動としての性格を強く築いてきた点が区別される(このため必然的に同胞<会>の社会政策は大きな政府となろう)。これに対し・・・現在のサラフィー主義にはワッハーブ派であるサウ<ディ>アラビアの影響も強く、利子を禁止するイスラム金融を重んじるほかは、商業や経済活動に肯定的で、ある意味資本主義的、市場経済的であり夜警国家指向ともいえる。<現在、中東アラブ世界の>各国では同胞<会>系とサラフィー主義系は・・・つば競り合いを演じ<ている>。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E4%B8%BB%E7%BE%A9 前掲
「サウディアラビアとエジプトは、両国ともイスラム同胞会をテロ組織として禁止した。
<また、>ア首連(UAE)はイスラム同胞会の69人の会員を国家転覆を謀ったとして有罪宣告を行った。」
http://www.foreignpolicy.com/articles/2014/09/22/the_arab_war_on_terror_egypt_emirates_saudi_arabia_islamic_state
(9月23日アクセス)
ア首連については、その構成7首長国がそれぞれイスラム急進性の程度が異なる
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%96%E9%A6%96%E9%95%B7%E5%9B%BD%E9%80%A3%E9%82%A6
のでここでは立ち入らないこととして、ワッハーブ派を国の宗派とするサウディアラビア、及び、タテマエ上は世俗国家でも実態はサウディアラビアに準じるイスラム急進性を帯びたエジプトが、より急進的であるとはいえ、非暴力のイスラム同胞会を目の敵にしているのは、(いささか単純化して言えば、)下掲のように、イスラム同胞会からアルカーイダが生まれ、そのアルカーイダからIsisが生まれた、という歴史的経緯にも照らし、それぞれの国の現状以上にイスラム急進化が進展することを何が何でも食い止めようと必死になっている、ということでしょう。
「1984年、アフガニスタンでのアラブ人ムジャーヒディーンを理論的に指導してきた<イスラム>同胞<会>のアブドゥッラー・アッザームが教え子の<ビンラディン>をパキスタンのペシャーワルに呼び入れ、アラブ諸国からアフガニスタンへ義勇兵を送り込む組織・・・結成した。この動きに・・・35000人のムジャーヒディーンが世界各地からアフガニスタンに集まった。・・・
ソ連軍のアフガニスタンからの撤退後、闘争の舞台をイスラエルやカシミール、コソボ、アルジェリアなど世界各地の紛争地に求めるムジャーヒディーンが中心となって1988年に<アルカーイダ>を組織した。ここにおいてアブドゥッラー・アッザームはソ連軍撤退後に勃発したアフガニスタン内戦を最優先するのに対し、経済的な側面での実力者であった弟子の<ビンラディン>は世界各地でのテロ作戦を主張し両者の路線対立が表面化した。1989年にアブドゥッラー・アッザームは何者かに爆殺され・・・、<アルカーイダ>のメンバーは<ビンラディン>の傘下となった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%83%80
「<イスラム国は、>2000年頃にアブー・ムスアブ・アッ=ザルカーウィーがヨルダンなどで築いた「タウヒード<(注7)>と<聖戦>集団」・・・を前身とする。
(注7)「<イスラム教>における一神教の概念である。・・・タウヒードの反対の概念は、シルク(shirk、多元性)である。・・・<イスラム教>における唯一神(アッラー)の存在は絶対であり、この理由のために、<イスラム教徒>は、キリスト教世界で信奉されている三位一体説を否定する。・・・<サラフィー主義者>にとって、・・・スーフィー信仰 – 早期のムスリムやスーフィーと呼ばれる聖者の墓所へ巡礼を行ったりすること<や>死から逃れるための礼拝<は、>・・・シルクと見なされる」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%92%E3%83%BC%E3%83%89
この集団はアフガン戦争後はイラクに接近し、2003年のイラク戦争後はイラク国内でさまざまなテロ活動を行った。
2004年に<アルカーイダ>と合流して名称を「イラクの聖戦<アルカーイダ>組織」と改めた・・・
2006年1月には・・・名称を「ムジャーヒディーン諮問評議会」と改め他のスンニ派武装組織と合流し、さらに2006年10月には解散して他組織と統合し、「イラク・<イスラム>国」と改称した。・・・
2013年4月、・・・「イラクとシャームの<イスラム>国」(略称: <Isis>)(別称「イラクとレバントのイスラム国」(略称: ISIL))に改称するとの声明を出し、シリアへの関与強化を鮮明にした。
2014年2月には、アルカーイダ側が<自分達は>「イラクとシャームの<イスラム>国」とは無関係であるとの声明を出した。・・・
2014年6月29日、<Isis>は同組織のアブー・バクル・アル=バグダーディーが「カリフ」であり、あらゆる場所のイスラム教徒の指導者であるとし、<イスラム>国家であるカリフ統治領をシリア・イラク両国の<Isis>制圧地域に樹立すると宣言した。また同声明において組織名<を>・・・「<イスラム>国 (Islamic State)」と改変することを発表した。・・・
アラブ連盟は2014年9月7日に会合を開き、<イスラム>国を含む過激派勢力に対抗するために「必要なあらゆる措置を取る」という声明を発表した。
2014年9月11日、ヨルダン、エジプト、トルコ、<サウディ>アラビア、UAE、オマーン、クウェート、バーレーン、カタール・・・が、・・・<米国>の軍事作戦に協力することを約束した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E5%9B%BD
「ザルカーウィー<についてだが、彼>は、・・・1989年、・・・ムジャーヒディーン・・・としてアフガニスタンにわたった。しかし、既にソビエト軍は撤退を開始しており・・・前後して・・・アフガニスタンのキャンプをベースとして反ユダヤとヨルダンにおける<イスラム>国家の樹立を掲げる戦闘的なイスラーム原理主義組織「タウヒードとジハード集団」を立ち上げた。
<しかし、彼は、>2006年6月・・・バグダード65キロ北方・・・で、<米>軍の爆撃により死亡し・・・た。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%83%EF%BC%9D%E3%82%B6%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%BC
そこへ、最も急進的なIsisが、シリアとイラクにまたがる領域国家設立を宣言し、イスラム同胞会という内からの脅威に加えてIsisという外からの深刻な脅威が出現したことで、サウディアラビアやエジプトを中心とする、中東イスラム世界のスンニ派諸国は、(内戦状態のイェーメンを除き、)及び腰ながらも、米国の指導の下、対Isis戦線を結成したわけです。
一体、何が故に、Isisは、これら諸国にとって深刻な脅威なのでしょうか。
(続く)
中東イスラム文明の成立(その7)
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